2021年6月7日月曜日

暑いけれど…

青空が広がり日差しがきついのだけど、木陰に入るとホッとする。
梅雨なのですが、ジメッとした蒸し暑さでないので助かります。
今週のEテレ0655「たなくじ」は、「声に出して忘れものチェックをすると吉
確かに言える!
家を出る時などに「鍵をちゃんと閉めたかな?」「ガスの元栓閉めたかな?」などなど…
ついつい不安になるなぁ…
小さな小さな落とし物
コロナ禍で出生減加速、海外も 生活不安や母子感染懸念」(朝日新聞 6月5日)
今、子どもを産み育てるのは不安だと思います。
木陰なので写すのに苦労するのですがユリズイセンも咲き出しました。
インカのユリ」とも呼ばれているそうです。
 仲野徹さんのTwitterに

あんたが間違えてる。
コロナは菌とちごてウイルスやし。

【東京五輪】竹中平蔵氏 開催是非の議論に注文「世論が間違ってる」「だったらコロナ菌に怒れ」(東スポWeb 6月6日)

上西充子さんのTwitterにも

竹中平蔵「専門家として、個人で言うのはいいんです。しかし、国会で(分科会の)座長として言ってるんですから、あれは明らかに、矩(のり)を踰(こ)えてますよ」(デイリー 6月6日)

政府が間違った方向に進もうとしているなら、それが間違っていることを指摘するのは専門家の役割。
昨日の和歌山県の新型コロナ感染者は、私が住んでいる市よりも少ない。
新型コロナ 和歌山県で新たに2人の感染確認 計2637人に」(和歌山NHK 6月6日)

平野啓一郎さんのTwitterに

読むべき記事。「最終的には行動の変容が必要になるかもしれませんが、基本的にはコロナの拡大防止は積極的疫学調査を武器にして、感染症法を使って保健医療行政で立ち向かわなければなりません。」

和歌山モデルの陣頭指揮を執る仁坂知事に聞く 大阪と隣接しながら感染抑制できた理由」(前編 渡辺陽 まいどなニュース 6月5日)

接種率1位独走の和歌山、仁坂知事が取ったビシビシ作戦とは 大臣には「ワクチンください」と直談判 〟(後編 渡辺陽 まいどなニュース 6月6日)
  夢十夜
    第六夜


 運慶(うんけい)が護国寺(ごこくじ)の山門で仁王(にわう)を刻んでゐる云ふ評判だから、散歩ながら行つて見ると、自分より先にもう大勢集まつて、しきりに下馬評(げばひやう)をやつてゐた。
 山門の前五六間の所には、大きな赤松があつて、其幹が斜(なゝ)めに山門の甍(いらか)を隠して、遠い青空迄伸びて居る。
其の上松の位地が好い。
門の左の端を眼障(めざはり)にならない様に、斜(はす)に切つて行つて、上になる程幅を広く屋根迄突出(つきだ)してゐるのが何となく古風である。
鎌倉時代とも思はれる。
(『漱石全集 第十六巻』夏目漱石 岩波書店 1956年)
 所が見て居るものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。
其の中(うち)でも車夫が一番多い。
辻待(つじまち)をして退屈だから立つてゐるに相違ない。
 「大きなもんだなあ」と云つてゐる。
 「人間を拵へるよりも余つ程骨が折れるだらう」とも云つてゐる。
 さうかと思ふと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫(ほ)るのかね。へえさうかね。私(わつし)は又仁王はみんな古いのばかりと思つてた」と云つた男がある。
 「どうも強さうですね。なんだつてえますぜ。昔から誰が強いつて、仁王程強い人あ無いつて云ひますぜ。何でも日本武尊(やまとたけのみこと)よりも強いんだつてえからね」と話しかけた男もある。
此の男は尻を端折(はしよ)つて、帽子を被らずにゐた。
余程無教育な男と見える。
 運慶は見物人の評判には委細頓着(とんぢやく)なく鑿(のみ)と槌(つち)を動かしてゐる。
一向(いつかう)振り向きもしない。
高い所に乗つて、仁王の顔の辺(あたり)をしきりに彫(ほ)り抜(ぬ)いて行く。
 運慶は頭に小(ちひ)さい烏帽子(えぼし)の様なものを乗せて、素袍(すはう)だか何だか別らない大きな袖を背中で括(くゝ)つてゐる。
其の様子が如何にも古くさい。
わいわい云つてる見物人とは丸(まる)で釣り合が取れない様である。
自分はどうして今時分迄運慶が生きてゐるのかなと思つた。
どうも不思議な事があるものだと考へながら、矢張り立つて見てゐた。
 然し運慶の方では不思議とも奇体とも頓(とん)と感じ得ない様子で一生懸命に彫(ほ)つてゐる。
仰向いて此の態度を眺めて居た一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
 「流石(さすが)は運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はたゞ仁王と我(わ)れとあるのみと云ふ態度だ。天晴(あつぱ)れだ」と云つて賞(ほ)め出(だ)した。
 自分は此の言葉を面白いと思つた。
それで一寸若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
 「あの鑿(のみ)と槌(つち)の使ひ方を見給へ。大自在(だいじざい)の妙境に達してゐる」と云つた。
  運慶は今太い眉を一寸(いつすん)の高さに横へ彫(ほ)り抜(ぬ)いて、鑿の歯を竪(たて)に返すや否や斜(は)すに、上から槌を打(う)ち下(おろ)した。
堅い木を一(ひ)と刻(きざ)みに削つて、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思つたら、小鼻のおつ開(ぴら)いた鼻の側面が忽ち浮き上つて来た。
其の刀(たう)の入れ方が如何にも無遠慮であつた。
さうして少しも疑念を挟(さしはさ)んで居らん様に見えた。
 「能くあゝ無造作に鑿を使つて、思ふ様に眉(まみえ)や鼻が出来るもんだな」と自分はあんまり感心したから独言(ひとりごと)の様に言つた。
するとさつきの若い男が、
 「なに、あれは眉(まみえ)や鼻を鑿で作るんぢやない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)つてゐるのを、鑿と槌の力で掘り出す迄だ。丸(まる)で土の中から石を掘り出す様なものだから決して間違ふ筈はない」と云つた。
 自分は此の時始めて彫刻とはそんなものかと思ひ出した。
果してさうなら誰にでも出来る事だと思ひ出した。
それで急に自分も仁王が彫(ほ)つて見たくなつたから見物をやめて早速家(うち)へ帰つた。
 道具箱から鑿(のみ)と金槌(かなづち)を持ち出して、裏へ出て見ると、先達(せんだつ)ての暴風(あらし)で倒れた樫(かし)を、薪(まき)にする積りで、木挽(こびき)に挽(ひ)かせた手頃な奴が、沢山積んであつた。
  自分は一番大きいのを選んで、勢ひよく彫(ほ)り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当たらなかつた。
其の次のにも運悪く掘り当てる事が出来なかつた。
三番目のにも仁王は居なかつた。
自分は積んである薪(まき)を片(かた)つ端(ぱし)から彫つて見たが、どれもこれも仁王を蔵(かく)してゐるのはなかつた。
遂に明治の木には到底仁王は埋(うま)つてゐないものだと悟つた。
それで運慶が今日迄(けふまで)生きてゐる理由も略(ほゞ)解つた。

注解
辻待 路傍で人力車夫が客待ちをすること。
(『漱石全集 第十六巻』夏目漱石 岩波書店 1956年)
今朝の父の一枚です(^_^)v
まだ右腕は、痛くて上げられないのだけどツバメを写したいと頑張っていましたp(^^)q
それだけにツバメが写っていたので大喜びしていました。

  山塊(さんかい)を雲の間にして夏つばめ  飯田蛇笏(いいだだこつ)

 芽柳の垂れる枝の間や植田の上を猛スピードで飛ぶ燕も颯爽(さっそう)としていて「これぞ燕」と思いますが、この句のように大きな景の中の一点である燕があたかも雲間の山を統(す)べるように宙を飛ぶ様子も「これぞ夏燕」といいたくなります。
どんな障害物にもぶつかることなく、その流れるような飛翔の姿や速さはまことに見事です。
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)