2021年6月28日月曜日

ちょっと暑かったけど…

朝一番で、父の歯科通院。
30分ほどで終わったので、帰宅後、自転車で公園に向かいました。
父は、眼科を受診(自宅から歩いて行ける距離)。
歯科の待合室で読んでいたのが『知らなかった、ぼくらの戦争
本の帯に高橋源一郎さんの推薦の言葉

「日本の戦争」についてこれほど深く語った本が、
アメリカ人の著者によって作られたことに、
ひとりの日本人としてぼくはうちのめされたのだ。


アーサー・ビナードさんに語った人の中には、本が出版されたときに天国に旅立った方もいます。
ビナードさんが話を伺っていなかったら私たちは知ることができませんでした。
この本を読もうと思ったのはちばてつやさんの『ひねもすのたり日記③』にエピソードが載っていたのです。
中国から引き上げる時に助けてくれた徐集川(じょしゅうせん)さんのことをビナードさんが指摘してくれました。
漫画の吹き出しなのでうまく転記できませんが(^^ゞ
(「第79回 三つ子の魂」より)
 
数年前に詩人のアーサー・ビナードさんにインタビューを受けたとき、

アーサー・ビナード)
ちばさんのキャラクターにはジョーや城太郎など「ジョ」という名前が多いですねー。
徐さんに関係あるんじゃない?


ちばてつや)
えっ………
あーつ……

(「紫電改のタカ」滝城太郎 「あしたのジョー」 「走れジョー」)
気がつかなかった……
ほ…ほんとうだ――っ。


ふふふ…その時の対談が載っている本です。
(『知らなかった、ぼくらの戦争』)
ワシ以外にも23人もの貴重な戦争体験が……
たくさんの人たちに読んでもらいたいな――

(『ひねもすのたり日記③』ちばてつや 小学館 2019年)
 岩永直子さんのTwitterに

東京五輪開催で判断が遅れたら医療崩壊も起こる恐れがある東京。
西浦博先生(@nishiurah)は、そうなれば海外からの客に医療が提供できない恐れもあると警告します。
また専門家組織は忖度した発信をしてはいけないと、あるべき姿を語ります。ぜひご一読を。

「おもてなしどころか、国際的に恥をかく事態も」 医療崩壊も想定される東京五輪で考えておくべきこと〟(BuzzFeed)
気になりながらいまだに読んでいないなぁ…

 岩波書店のTwitterに

「私は宿命的に放浪者である」
今日は林芙美子の没後70年。
代表作
放浪記では地方出身者の「私」が、都市の底辺で貧窮にあえぎ、職を転々としながらも文学に向かいまっすぐに生きる姿が描かれています。
林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』は7月上旬重版出来です。

藪の中
  多襄丸
(たじょうまる)の白状

 あの男を殺したのはわたしです。
しかし女は殺しはしません。
ではどこへ行ったのか?
それはわたしにもわからないのです。
まあ、お待ちなさい。
いくら拷問(ごうもん)にかけられても、知らないことは申されますまい。
その上わたしもこうなれば、卑怯(ひきょう)な隠し立てはしないつもりです。
(『芥川龍之介全集 第六巻』伊藤 整、吉田精一編 角川書店 昭和43年)
 わたしは昨日(きのう)の午(ひる)少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。
その時風の吹いた拍子(ひょうし)に、牟子(むし)の垂絹(たれぎぬ)が上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。
ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの女の顔が、女菩薩(にょぼさつ)のように見えたのです。
わたしはその咄嗟(とっさ)の間(あいだ)に、たとい男は殺しても、女は奪(うば)おうと決心しました。
 何、男を殺すなぞは、あなた方の思っているように、大したことではありません。
どうせ女を奪うとなれば、必ず、男は殺されるのです。
ただわたしは殺す時に、腰の太刀(たち)を使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。
なるほど血は流れない、男は立派に生きている、――しかしそれでも殺したのです。
罪の深さを考えてみれば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑)
 しかし男を殺さずとも、女を奪うことができれば、別に不足はない訳です。
いや、その時の心もちでは、できるだけ男を殺さずに、女の奪おうと決心したのです。
が、あの山科(やましな)の駅路では、とてもそんなことはできません。
そこでわたしは山の中へ、あの夫婦をつれこむ工夫(くふう)をしました。
  これも造作(ぞうさ)はありません。
わたしはあの夫婦と途(みち)づれになると、向うの山には古塚(ふるづか)がある、この古塚を発(あば)いてみたら、鏡や太刀がたくさん出た、わたしは誰も知らないように、山の陰の藪の中へ、そういう物を埋めてある、もし望み手があるならば、どれでも安い値に売り渡したい、――という話をしたのです。
男はいつかわたしの話に、だんだん心を動かし始めました。
それから、――どうです。
(よく)というものは恐ろしいではありませんか?
それから半時(はんとき)もたたないうちに、あの夫婦はわたしと一しょに、山路(やまみち)へ馬を向けたのです。
 わたしは藪の前に来ると、宝はこの中に埋めてある、見に来てくれと言いました。
男は慾に渇(かわ)いていますから、異存(いぞん)のあるはずはありません。
が、女は馬も下りずに、待っていると言うのです。
またあの藪の茂っているのを見ては、そう言うのも無理はありますまい。
わたしはこれも実を言えば、思う壺(つぼ)にはまったのですから、女一人を残したまま、男と藪の中へはいりました。
  藪は少時(しばらく)の間(あいだ)は竹ばかりです。
が、半町(はんちょう)ほど行った処に、やや開いた杉むらがある、――わたしの仕事を仕遂げるのには、これほど都合(つごう)のいい場所はありません。
わたしは藪を押し分けながら、宝は杉の下に埋めてあると、もっともらしい嘘をつきました。
男はわたしにそう言われると、もう痩(や)せ杉が透いて見える方へ、一生懸命に進んで行きます。
そのうちに竹が疎(まば)らになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。
男も太刀を佩(は)いているだけに、力は相当あったようですが、不意を打たれてはたまりません。
たちまち一本の杉の根がたへ、括(くく)りつけられてしまいました。
(なわ)ですか? 
繩は盗人(ぬすびと)のありがたさに、いつ塀(へい)を越えるわかりませんから、ちゃんと腰につけていたのです。
もちろん声を出させないためにも、竹の落葉を頬張(ほおば)らせれば、ほかに面倒はありません。
(『芥川龍之介全集 第六巻』伊藤 整、吉田精一編 角川書店 昭和43年)

つづく…