今朝は、青空が広がり涼しい風も吹いていて梅雨のじめじめした蒸し暑さがない。
でも、明日は、曇り空で蒸し暑くなりそう…「コロナ禍の外出自粛で筋肉量減少 熱中症のリスク高まる」(NHK 6月16日)
…熱中症を防ぐには、今の時期から運動をして筋肉をつけ、暑さにも慣れておくことが大切で、18歳から64歳の人では、週に2回程度、息が弾んで汗をかく程度の運動を30分ほどかけて行うよう心がけてほしいとしています。…
私は、息が弾む程度の運動は、無理なので、ほぼ毎日リハビリ散歩を続けていますp(^^)q 国立公文書館のTwitterに
梅雨時の生物といえばカタツムリ。
突然ですが【クイズ】です。
『天保雑記』ではある人物をカタツムリに例えて風刺しています。
「まいないつむり」で「沢瀉の葉」から生まれ、「金銀をむさぼり」食うと書かれたのは次の誰でしょう?
答えは明日。
〔田沼意次〕
〔荻原重秀〕
〔水野忠邦〕
『天保雑記』の画像はこちら。
田中均さんのTwitterに
官僚の皆さんに聞いてみたい。
大臣を信頼しますか?
汚職を指摘され、選挙違反を指摘され、さっさと辞めていく大臣。
恫喝まがいの指示をする反面、自分に関係ある企業優遇を示唆したと報じられる大臣。
事実誤認、言語不明瞭な「美しき」大臣などなど。
任命責任も問われない総理。
これが民度だと諦める?
おさん
三
毎日、毎日、暑い日が続きました。
私は、暑さと、それから心配のために、食べものが喉をとほらぬ思ひで、頬の骨が目立つて来て、赤ん坊にあげるおつぱいの出もほそくなり、夫も、食(しょく)がちつともすすまぬ様子で、眼が落ちくぼんで、ぎらぎらおそろしく光つて、或る時、ふふんとご自分をあざけり笑ふやうな笑ひ方をして、
「いつそ発狂しちやつたら、気が楽だ。」
と言ひました。
「あたしも、さうよ。」
「正しいひとは、苦しい筈が無い。つくづく僕は感心する事があるんだ。どうして、君たちは、そんなにまじめで、まつたうなんだらうね。世の中を立派に生きとほすやうに生れついた人と、さうでない人と、はじめからはつきり区別がついてゐるんぢやないかしら。」
「いいえ、鈍感なんですのよ、あたしなんかは。ただ、……」
「ただ?」
(『太宰治全集第九巻』 筑摩書房 昭和51年)
夫は、本当に狂つたひとのやうな、へんな目つきで私の顔を見ました。三
毎日、毎日、暑い日が続きました。
私は、暑さと、それから心配のために、食べものが喉をとほらぬ思ひで、頬の骨が目立つて来て、赤ん坊にあげるおつぱいの出もほそくなり、夫も、食(しょく)がちつともすすまぬ様子で、眼が落ちくぼんで、ぎらぎらおそろしく光つて、或る時、ふふんとご自分をあざけり笑ふやうな笑ひ方をして、
「いつそ発狂しちやつたら、気が楽だ。」
と言ひました。
「あたしも、さうよ。」
「正しいひとは、苦しい筈が無い。つくづく僕は感心する事があるんだ。どうして、君たちは、そんなにまじめで、まつたうなんだらうね。世の中を立派に生きとほすやうに生れついた人と、さうでない人と、はじめからはつきり区別がついてゐるんぢやないかしら。」
「いいえ、鈍感なんですのよ、あたしなんかは。ただ、……」
「ただ?」
(『太宰治全集第九巻』 筑摩書房 昭和51年)
私は口ごもり、ああ、言えない、具体的な事は、おそろしくて、何も言へない。
「ただね、あなたがお苦しさうだと、あたしも苦しいの。」
「なんだ、つまらない。」
と、夫は、ほつとしたやうに微笑んでさう言ひました。
その時、ふつと私は、久方振りで、涼しい幸福感を味はひました。
(さうなんだ、夫の気持を楽にしてあげたら、私の気持も楽になるんだ。道徳も何もありやしない、気持が楽になれば、それでいいんだ。) その夜おそく、私は夫の蚊帳にはひつて行つて、
「いいのよ、いいのよ。なんとも思つてやしないわよ。」
と言つて、倒れますと、夫はかすれた声で、
「エキスキユウズ、ミイ。」
と冗談めかして言つて、起きて、床の上にあぐらをかき、
「ドンマイ、ドンマイ。」 夏の月が、その夜は満月でしたが、その月光が雨戸の破れ目から細い銀線になつて四、五本、蚊帳の中にさし込んで来て、夫の痩せたはだかの胸に当つてゐました。
「でも、お痩せになりましたわ。」
私も、笑つて、冗談めかしてさう言つて、床の上に起き直りました。
「君だつて、痩せたやうだぜ。余計な心配をするから、さうなります。」
「いいえ、だからさう言つたぢやないの。なんとも思つてやしないわよ、つて。いいのよ、あたしは利巧なんですから。ただね、時々は、でえじにしてくんな。」
と言つて私が笑ふと、夫も月光を浴びた白い歯を見せて笑ひました。
私の小さい頃に死んだ私の里の祖父母は、よく夫婦喧嘩をして、そのたんびに、おばあさんが、でえじにしてくんな、とおぢいさんに言ひ、私は子供心にもをかしくて、結婚してから夫にもその事を知らせて、二人で大笑ひしたものでした。 私がその時それを言つたら、夫はやはり笑ひましたが、しかし、すぐにまじめな顔になつて、
「大事にしてゐるつもりなんだがね。風にも当てず、大事にしてゐるつもりなんだ。君は、本当にいいひとなんだ。つまらない事を気にかけず、ちやんとプライドを持つて、落ちついてゐなさいよ。僕はいつでも、君の事ばかり思つてゐるんだ。その点に就いては、君は、どんなに自信を持つてゐても、持ちすぎるといふ事は無いんだ。」
といやにあらたまつたみたいな、興ざめた事を言ひ出すので、私はひどく恰好が悪くなり、
「でも、あなた、お変りになつたわよ。」
と顔を伏せて小声で言ひました。 (私は、あなたに、いつそ思はれてゐないはうが、あなたにきらはれ、憎まれてゐたはうが、かへつて気持がさつぱりしてたすかるのです。私の事をそれほど思つて下さりながら、他のひとを抱きしめてゐるあなたの姿が、私を地獄につき落としてしまふのです。
男のひとは、妻をいつも思つてゐる事が道徳的だと感ちがひしてゐるのではないでせうか。他にすきなひとが出来ても、おのれの妻を忘れないといふのは、いい事だ、良心的だ、男はつねにそのやうでなければならない、とでも思ひ込んでゐるのではないでせうか。さうして、他のひとを愛しはじめると、妻の前で憂鬱な溜息などをついて見せて、道徳の煩悶とかをはじめて、おかげで妻のはうも、その夫の陰気くささに感染して、こつちも溜息、もし夫が平気で快活にしてゐたら、妻だつて、地獄の思ひをせずにすむのです。ひとを愛するなら、妻を全く忘れて、あつさり無心に愛してやつて下さい。) 夫は、力無い声で笑ひ、
「変るもんか。変りやしないさ。ただもうこの頃は暑いんだ。暑くてかなはない。夏は、どうも、エキスキユウズ、ミイだ。」
とりつくしまも無いので、私も、少し笑ひ、
「にくいひと。」
と言つて、夫をぶつ真似をして、さつと蚊帳から出て、私の部屋の蚊帳にはひり、長男と次女のあひだに「小」の字の形になつて寝るのでした。
でも、私は、それだけでも夫に甘えて、話して笑ひ合ふ事が出来たのがうれしく、胸のしこりも、少し溶けたやうな気持で、その夜は、久しぶりに朝まで寝ぐるしい思ひをせずにとろとろ眠れました。 これからは、何でもこの調子で、軽く夫に甘えて、冗談を言ひ、ごまかしだつて何だつてかまはない、正しい態度で無くつたつてかまはない、そんな、道徳なんてどうだつていい、ただ少しでも、しばらくでも、気持の楽な生き方をしたい、一時間でも二時間でもたのしかつたらそれでいいのだ、といふ考へに変つて、夫をつねつたりして、家の中に高い笑ひ声もしばしば起こるやうになつた矢先、或る朝だしぬけに夫は、温泉に行きたいと言ひ出しました。
「頭がいたくてね、暑気に負けたのだらう。信州のあの温泉、あのちかくに知つてる人もゐるし、いつでもおいで、お米持参の心配はいらない、とその人が言つてゐるんだ。二、三週間、静養して来たい。このままだと、僕は気が狂ひさうだ。とにかく、東京から逃げたいんだ。」
そのひとから逃げたくなつて、旅に出るのかしら、とふと私は考へました。「お留守のあひだに、ピストル強盗がはひつたら、どうしよう。」
と私は笑ひながら、(ああ、悲しいひとたちは、よく笑ふ)さう言ひますと、
「強盗に申し上げたらいいさ、あたしの亭主は気違ひですよ、つて。ピストル強盗も、気違ひには、かなはないだらう。」
旅に反対する理由もありませんでしたので、私は夫のよそゆきの麻の夏服を押入から取り出さうとして、あちこち捜しましたが、見当りませんでした。
私は青白くなつた気持で、
「無いわ。どうしたのでせう。空巣にはひられたのかしら。」
「売つたんだ。」
夫は泣きべそに似た笑ひ顔とつくつて、さう言ひました。 私は、ぎよつとしましたが、しひて平気を装つて、
「まあ、素早い。」
「そこが、ピストル強盗よりも凄いところさ。」
その女のひとのために、内緒でお金の要る事があつたのに違ひないと私は思ひました。
「それぢや、何を着ていらつしやるの?」
「開襟シヤツ一枚でいいよ。」
朝に言ひ出し、お昼にはもう出発といふことになりました。
一刻も早く、家から出て行きたい様子でしたが、炎天つづきの東京にめづらしくその日、俄雨があり、夫は、リユツクを背負ひ靴をはいて、玄関の式台に腰をおろし、とてもいらいらしてゐるやうに顔をしかめながら、雨のやむのを待ち、ふと一言、
「さるすべりは、これは、一年置きに咲くものかしら。」
と呟きました。 玄関の前の百日紅(さるすべり)は、ことしは花が咲きませんでした。
「さうなんでせうね。」
私もぼんやり答へました。
それが、夫と交した最後の夫婦らしい親しい会話でございました。
雨がやんで、夫は逃げるやうにそそくさと出かけ、それから三日後に、あの諏訪湖心中の記事が新聞に小さく出ました。 それから、諏訪の宿から出した夫の手紙も私は、受取りました。
「自分がこの女と死ぬのは、恋のためではない。自分は、ジヤーナリストである。ジヤーナリストは、人に革命やら破壊やらをそそのかして置きながら、いつも自分はするりとそこから逃げて汗などを拭いてゐる。実に奇怪な生き物である。現代の悪魔である。自分はその自己嫌悪に堪へかねて、みづから、革命家の十字架にのぼる決心をしたのである。ジヤーナリストの醜聞。それはかつて例の無かつた事ではあるまいか。自分の死が、現代の悪魔を少しでも赤面させる反省させる事に役立つたら、うれしい。」
などと、本当につまらない馬鹿げた事が、その手紙に書かれてゐました。
男の人つて、死ぬる際まで、こんなもつたい振つて意義だの何だのにこだはり、見栄を張つて嘘をついてゐなければならなのかしら。 夫のお友達の方から伺つたところに依ると、その女のひとは、夫の以前の勤め先の、神田の雑誌社の二十八歳の女記者で、私が青森に疎開してゐたあひだに、この家へ泊りに来たりしてゐたさうで、妊娠とか何とか、まあ、たつたそれくらゐの事で、革命だの何だのと大騒ぎして、さうして、死ぬなんて、私は夫をつくづく、だめな人だと思ひました。 革命は、ひとが楽に生きるために行ふものです。
悲壮な顔の革命家を、私は信用いたしません。
夫はどうしてその女のひとを、もつと公然とたのしく愛して、妻の私までたのしくなるやうに愛してやる事が出来なかつたのでせう。
地獄の思ひ恋などは、ご当人の苦しさは格別でせうが、だいいち、はためいわくです。 気の持ち方を、軽くくるりと変へるのが真の革命で、それさへ出来たら、何のむづかしい問題もない筈です。
自分の妻に対する気持一つ変へる事が出来ず、革命の十字架もすさまじいと、三人の子供を連れて、夫の死骸を引取りに諏訪へ行く汽車の中で、悲しみとか怒りとかいふ思ひよりも、呆れかへつた馬鹿々々しさに身悶えしました。
(『太宰治全集第九巻』 筑摩書房 昭和51年)
おわり
・山崎富栄さんが亡くなった時、28歳でした。今朝の父の一枚です(^_^)v
白花のサルスベリ(百日紅)を写していました。
サルスベリ(ミソハギ科)
(前略)
一つ一つの花は数日で閉じますが、長い期間次々花が咲くので、百日紅とも呼ばれます。
夏はあまり花のない時期なので、庭や街路樹などに重宝がられます。
普通の花弁は水を多く必要としますが、サルスベリの花はちじれた花弁六枚で、水を節約する形ではないかと思います。
葉は、二枚ずつ交互に並ぶコクサギ型葉序で、丸っこい葉がついています。
(後略)
(『散歩が楽しくなる樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年)
「ただね、あなたがお苦しさうだと、あたしも苦しいの。」
「なんだ、つまらない。」
と、夫は、ほつとしたやうに微笑んでさう言ひました。
その時、ふつと私は、久方振りで、涼しい幸福感を味はひました。
(さうなんだ、夫の気持を楽にしてあげたら、私の気持も楽になるんだ。道徳も何もありやしない、気持が楽になれば、それでいいんだ。) その夜おそく、私は夫の蚊帳にはひつて行つて、
「いいのよ、いいのよ。なんとも思つてやしないわよ。」
と言つて、倒れますと、夫はかすれた声で、
「エキスキユウズ、ミイ。」
と冗談めかして言つて、起きて、床の上にあぐらをかき、
「ドンマイ、ドンマイ。」 夏の月が、その夜は満月でしたが、その月光が雨戸の破れ目から細い銀線になつて四、五本、蚊帳の中にさし込んで来て、夫の痩せたはだかの胸に当つてゐました。
「でも、お痩せになりましたわ。」
私も、笑つて、冗談めかしてさう言つて、床の上に起き直りました。
「君だつて、痩せたやうだぜ。余計な心配をするから、さうなります。」
「いいえ、だからさう言つたぢやないの。なんとも思つてやしないわよ、つて。いいのよ、あたしは利巧なんですから。ただね、時々は、でえじにしてくんな。」
と言つて私が笑ふと、夫も月光を浴びた白い歯を見せて笑ひました。
私の小さい頃に死んだ私の里の祖父母は、よく夫婦喧嘩をして、そのたんびに、おばあさんが、でえじにしてくんな、とおぢいさんに言ひ、私は子供心にもをかしくて、結婚してから夫にもその事を知らせて、二人で大笑ひしたものでした。 私がその時それを言つたら、夫はやはり笑ひましたが、しかし、すぐにまじめな顔になつて、
「大事にしてゐるつもりなんだがね。風にも当てず、大事にしてゐるつもりなんだ。君は、本当にいいひとなんだ。つまらない事を気にかけず、ちやんとプライドを持つて、落ちついてゐなさいよ。僕はいつでも、君の事ばかり思つてゐるんだ。その点に就いては、君は、どんなに自信を持つてゐても、持ちすぎるといふ事は無いんだ。」
といやにあらたまつたみたいな、興ざめた事を言ひ出すので、私はひどく恰好が悪くなり、
「でも、あなた、お変りになつたわよ。」
と顔を伏せて小声で言ひました。 (私は、あなたに、いつそ思はれてゐないはうが、あなたにきらはれ、憎まれてゐたはうが、かへつて気持がさつぱりしてたすかるのです。私の事をそれほど思つて下さりながら、他のひとを抱きしめてゐるあなたの姿が、私を地獄につき落としてしまふのです。
男のひとは、妻をいつも思つてゐる事が道徳的だと感ちがひしてゐるのではないでせうか。他にすきなひとが出来ても、おのれの妻を忘れないといふのは、いい事だ、良心的だ、男はつねにそのやうでなければならない、とでも思ひ込んでゐるのではないでせうか。さうして、他のひとを愛しはじめると、妻の前で憂鬱な溜息などをついて見せて、道徳の煩悶とかをはじめて、おかげで妻のはうも、その夫の陰気くささに感染して、こつちも溜息、もし夫が平気で快活にしてゐたら、妻だつて、地獄の思ひをせずにすむのです。ひとを愛するなら、妻を全く忘れて、あつさり無心に愛してやつて下さい。) 夫は、力無い声で笑ひ、
「変るもんか。変りやしないさ。ただもうこの頃は暑いんだ。暑くてかなはない。夏は、どうも、エキスキユウズ、ミイだ。」
とりつくしまも無いので、私も、少し笑ひ、
「にくいひと。」
と言つて、夫をぶつ真似をして、さつと蚊帳から出て、私の部屋の蚊帳にはひり、長男と次女のあひだに「小」の字の形になつて寝るのでした。
でも、私は、それだけでも夫に甘えて、話して笑ひ合ふ事が出来たのがうれしく、胸のしこりも、少し溶けたやうな気持で、その夜は、久しぶりに朝まで寝ぐるしい思ひをせずにとろとろ眠れました。 これからは、何でもこの調子で、軽く夫に甘えて、冗談を言ひ、ごまかしだつて何だつてかまはない、正しい態度で無くつたつてかまはない、そんな、道徳なんてどうだつていい、ただ少しでも、しばらくでも、気持の楽な生き方をしたい、一時間でも二時間でもたのしかつたらそれでいいのだ、といふ考へに変つて、夫をつねつたりして、家の中に高い笑ひ声もしばしば起こるやうになつた矢先、或る朝だしぬけに夫は、温泉に行きたいと言ひ出しました。
「頭がいたくてね、暑気に負けたのだらう。信州のあの温泉、あのちかくに知つてる人もゐるし、いつでもおいで、お米持参の心配はいらない、とその人が言つてゐるんだ。二、三週間、静養して来たい。このままだと、僕は気が狂ひさうだ。とにかく、東京から逃げたいんだ。」
そのひとから逃げたくなつて、旅に出るのかしら、とふと私は考へました。「お留守のあひだに、ピストル強盗がはひつたら、どうしよう。」
と私は笑ひながら、(ああ、悲しいひとたちは、よく笑ふ)さう言ひますと、
「強盗に申し上げたらいいさ、あたしの亭主は気違ひですよ、つて。ピストル強盗も、気違ひには、かなはないだらう。」
旅に反対する理由もありませんでしたので、私は夫のよそゆきの麻の夏服を押入から取り出さうとして、あちこち捜しましたが、見当りませんでした。
私は青白くなつた気持で、
「無いわ。どうしたのでせう。空巣にはひられたのかしら。」
「売つたんだ。」
夫は泣きべそに似た笑ひ顔とつくつて、さう言ひました。 私は、ぎよつとしましたが、しひて平気を装つて、
「まあ、素早い。」
「そこが、ピストル強盗よりも凄いところさ。」
その女のひとのために、内緒でお金の要る事があつたのに違ひないと私は思ひました。
「それぢや、何を着ていらつしやるの?」
「開襟シヤツ一枚でいいよ。」
朝に言ひ出し、お昼にはもう出発といふことになりました。
一刻も早く、家から出て行きたい様子でしたが、炎天つづきの東京にめづらしくその日、俄雨があり、夫は、リユツクを背負ひ靴をはいて、玄関の式台に腰をおろし、とてもいらいらしてゐるやうに顔をしかめながら、雨のやむのを待ち、ふと一言、
「さるすべりは、これは、一年置きに咲くものかしら。」
と呟きました。 玄関の前の百日紅(さるすべり)は、ことしは花が咲きませんでした。
「さうなんでせうね。」
私もぼんやり答へました。
それが、夫と交した最後の夫婦らしい親しい会話でございました。
雨がやんで、夫は逃げるやうにそそくさと出かけ、それから三日後に、あの諏訪湖心中の記事が新聞に小さく出ました。 それから、諏訪の宿から出した夫の手紙も私は、受取りました。
「自分がこの女と死ぬのは、恋のためではない。自分は、ジヤーナリストである。ジヤーナリストは、人に革命やら破壊やらをそそのかして置きながら、いつも自分はするりとそこから逃げて汗などを拭いてゐる。実に奇怪な生き物である。現代の悪魔である。自分はその自己嫌悪に堪へかねて、みづから、革命家の十字架にのぼる決心をしたのである。ジヤーナリストの醜聞。それはかつて例の無かつた事ではあるまいか。自分の死が、現代の悪魔を少しでも赤面させる反省させる事に役立つたら、うれしい。」
などと、本当につまらない馬鹿げた事が、その手紙に書かれてゐました。
男の人つて、死ぬる際まで、こんなもつたい振つて意義だの何だのにこだはり、見栄を張つて嘘をついてゐなければならなのかしら。 夫のお友達の方から伺つたところに依ると、その女のひとは、夫の以前の勤め先の、神田の雑誌社の二十八歳の女記者で、私が青森に疎開してゐたあひだに、この家へ泊りに来たりしてゐたさうで、妊娠とか何とか、まあ、たつたそれくらゐの事で、革命だの何だのと大騒ぎして、さうして、死ぬなんて、私は夫をつくづく、だめな人だと思ひました。 革命は、ひとが楽に生きるために行ふものです。
悲壮な顔の革命家を、私は信用いたしません。
夫はどうしてその女のひとを、もつと公然とたのしく愛して、妻の私までたのしくなるやうに愛してやる事が出来なかつたのでせう。
地獄の思ひ恋などは、ご当人の苦しさは格別でせうが、だいいち、はためいわくです。 気の持ち方を、軽くくるりと変へるのが真の革命で、それさへ出来たら、何のむづかしい問題もない筈です。
自分の妻に対する気持一つ変へる事が出来ず、革命の十字架もすさまじいと、三人の子供を連れて、夫の死骸を引取りに諏訪へ行く汽車の中で、悲しみとか怒りとかいふ思ひよりも、呆れかへつた馬鹿々々しさに身悶えしました。
(『太宰治全集第九巻』 筑摩書房 昭和51年)
おわり
・山崎富栄さんが亡くなった時、28歳でした。今朝の父の一枚です(^_^)v
白花のサルスベリ(百日紅)を写していました。
サルスベリ(ミソハギ科)
(前略)
一つ一つの花は数日で閉じますが、長い期間次々花が咲くので、百日紅とも呼ばれます。
夏はあまり花のない時期なので、庭や街路樹などに重宝がられます。
普通の花弁は水を多く必要としますが、サルスベリの花はちじれた花弁六枚で、水を節約する形ではないかと思います。
葉は、二枚ずつ交互に並ぶコクサギ型葉序で、丸っこい葉がついています。
(後略)
(『散歩が楽しくなる樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年)