2021年6月3日木曜日

今日までは…

日差しが暑かったのですが、木陰などで休憩すると涼しい風が吹いていました。
天気がいいのは今朝までで、午後からぽつぽつ雨が降り出しました。
明日は、かなり天気が荒れるとのこと、リハビリ散歩は無理かな?

近畿 非常に激しい雨おそれ 浸水・土砂災害・増水に十分注意」(関西NHK)

楽しみにしていたネムノキが一つ咲いていました。

ネムノキ(マメ科)
(前略)
 ネムノキはイラン、アフガニスタン、中国南部、朝鮮半島、日本の本州~九州に分布し、中国では夫婦円満の木とされています。
暗くなったら、夫婦仲良く寝なさいという意味ですかね?
ネムノキは夜に葉を閉じるという、植物らしからぬ「運動」により擬人化され、人間の様々な妄想の題材になっています。
 ネムノキは川沿いなどに自生していて、風になびく姿は優雅です。
(『散歩が楽しくなる 樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年)
本で読んでいて知っていたのですが、いつか出会えないかなぁと思っていました。
90mmレンズなのであんまり近寄れなかったのですが、
キモチイイナァ~!」という声が聞こえてきそうでした(*^-^*)
汚れたスズメは砂風呂に入る
 人がずっと同じ服を着ていることを「着たきり雀」といいますね。
スズメの年中変わらない姿になぞらえ、『舌切り雀』をもじった言葉でしょう。
確かにスズメは一張羅を着っぱなしですが、年に一度は羽毛の生えかわりがあり、日々羽づくろいもしています。
清潔であれば「着たきり」であってもなんの問題もないわけです。
(『トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつ』川上和人 マツダユカ他 西東社 2018年)
 そして、スズメは大のお風呂好き。
池や川、ちょっとした水溜りなどで「水浴び」もしますし、砂を使った「砂浴び」もします。
植木鉢や花壇、街路樹の根元を覆う砂や土に、浅いくぼみがいくつか並んでいることがあります。
これが、スズメが「砂浴び」をした跡です。
くぼみにすっぽりはまって翼を震わせ気持ちよさそうにしているさまは、砂風呂を楽しむ湯治客のよう。
砂浴びや水浴びは、羽毛や皮膚の汚れを落とし、ハジラミなどの寄生虫を取り除くのが目的だと考えられています。
ベランダのプランターに乾いた土を入れておけば、スズメが一風呂浴びにやってくるかもしれません。
 ところで、私たちが海水浴に行って、砂浜を歩くと足が砂だらけになりますね。
シャワーを浴びても、すぐに足に砂がついて厄介です。
スズメは、砂場と水場がとなり合った場所があると、水浴びのあとで砂浴びをすることが多いそうです。
びしょびしょやじゃりじゃりは気持ち悪くないのか、そして砂は汚れのうちに入らないのか。
気になります。
(『トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつ』川上和人 マツダユカ他 西東社 2018年)
  夢十夜
     第三夜


 こんな夢を見た。
 六つになる子供を負(おぶ)つてる。 
(たしか)に自分の子である。
只不思議な事には何時(いつ)の間(ま)にか眼が潰(つぶ)れて、青坊主になつてゐる。
自分が御前の眼は何時(いつ)潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答へた。
声は子供の声に相違ないが、言葉つきは丸(まる)で大人(おとな)である。
しかも対等(たいとう)だ。
(『漱石全集 第十六巻』夏目漱石 岩波書店 1956年)
  左右は青田(あをた)である。路は細い。
(さぎ)の影が時々闇に差す。
 「田圃へ掛つたね」と背中で云つた。
 「どうして解る」と顔を後(うし)ろへ振り向ける様にして聞いたら、
 「だつて鷺が鳴くぢやないか」と答へた。
 すると鷺が果して二声程鳴いた。
 自分は我子ながら少し怖(こは)くなつた。
こんなものを背負(しよ)つてゐては、此の先どうなるか分らない。
どこか打遣(うつち)やる所はなからうかと向ふを見ると闇の中に大きな森が見えた。
あすこならば考へ出す途端に、背中で、
 「ふゝん」と云ふ声がした。
 「何を笑ふんだ」
 子供は返事をしなかつた。只
 「御父(おとつ)さん、重いかい」と聞いた。
 「重かあない」と答へると
 「今に重くなるよ」と云つた。
 自分は黙つて森を目標(めじるし)にあるいて行つた。
田の中の路が不規則にうねつて中々思ふ様に出られない。
しばらくすると二股(ふたまた)になつた。
自分は股(また)の根に立つて、一寸休んだ。
 「石が立つてる筈だがな」と小僧が云つた。
 成程八寸角の石が腰程の高さに立つてゐる。
表には左(ひだ)(ひ)ケ窪(くぼ)、右堀田原(ほつたはら)とある。
闇だのに赤い字が明(あきら)かに見えた。
赤い字は井守(ゐもり)の腹の様な色であつた。
 「左が好いだらう」と小僧が命令した。
左を見ると最先(さつき)の森の闇の影を、高い空から自分等の頭の上へ抛(な)げかけてゐた。
自分は一寸躊躇した。
 「遠慮しないでもいゝ」と小僧が又云つた。
自分は仕方なしに森の方へ歩き出した。
腹の中では、よく盲目(めくら)の癖に何でも知つてるなと考へながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で「どうも盲目は不自由で不可(いけな)いね」と云つた。
 「だから負(おぶ)つてやるから可(い)いぢやないか」
 「負つて貰つて済まないが、どうも人に馬鹿にされて不可(いけな)い。親に迄馬鹿にされるから不可い」
 何だか厭になつた。
早く森へ行つて捨てゝ仕舞はふと思つて急いだ。
 「もう少し行くと解る。――丁度こんな晩だつたな」
と背中で独言(ひとりごと)の様に云つてゐる。
 「何が」と(きわ)どい声を出して聞いた。
 「何がつて、知つてるぢやないか」と子供は嘲(あざ)ける様に答へた。
すると何だか知つてる様な気がし出した。
けれども判然(はつきり)とは分らない。
只こんな晩であつた様に思へる。
さうしてもう少し行けば分る様に思へる。
分つては大変だから、分らないうちに早く捨てゝ仕舞つて、安心しなくつてはならない様に思へる。
自分は益(ますます)足を早めた。
 雨は最先(さつき)から降つてゐる。
路はだんだん暗くなる。
殆んど夢中である。
只背中に小さい小僧が食付(くつつ)いてゐて、其の小僧が自分の過去、現在、未来を悉(ことごと)く照して、寸分の事実も洩らさない鏡の様に光つてゐる。
しかもそれが自分の子である。
さうして盲目(めくら)である。
自分は堪(たま)らなくなつた。
 「此処だ、此処だ。丁度其の杉の根の処だ」
 雨の中で小僧の声は判然(はつきり)聞えた。
自分は覚えず留つた。
何時(いつ)しか森の中へ這入つてゐた。
一間ばかり先にある黒いものは慥(たしか)に小僧の云ふ通り杉の木と見えた。
 「御父(おとつ)さん、其の杉の根の処だつたね」
 「うん、さうだ」と思はず答へて仕舞つた。
 「文化五年辰年(たつどし)だらう」
 成程文化五年辰年らしく思はれた。
 「御前がおれを殺したのは今から丁度百年前(まへ)だね」
 自分は此の言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、此の杉の根で、一人の盲目を殺したと云ふ自覚が、忽然(こつぜん)として頭の中に起つた。
おれは人殺(ひとごろし)であつたんだなと始めて気が附いた途端に、背中の子が急に石地蔵の様に重くなつた。
注解
日ケ窪 麻布区(今の港区)にある地名。当時は「日下窪」とも書き南北に分れていた。

堀田原  『東京案内』(東京市役所市史編纂係著、明治40年刊)の北日下窪町の説明に「南日下窪町の北にあり。明治五年正信寺前を合し、五年又華族堀田氏邸址及寺地を合す」とあるので、堀田邸附近をこう呼んだのかも知れない。

際どい声 切迫した声。

(『漱石全集 第十六巻』夏目漱石 岩波書店 1956年)
今朝の父の一枚です(^_^)v
ワクチンを打った左肩は、まだ少し腫れているようですが、痛みは感じないようです。
でも、月曜日に転倒して打った右肩は、かなり痛いようで、左手をそえてもやっと90度くらいしか上がりません。
それでも散歩に出かけ、先日、転んだ所のタイサンボクを写していました。
写すのも右手を自由に動かせないので苦労していました。
それでも「動かさないと、治らない。リハビリだ」と頑張っていました!