2021年6月10日木曜日

6月でこんなに暑いと…

今朝も暑い(-_-;)
ネムノキも葉を日傘代わりにしているような…
暑さに体が慣れないのに急な気温上昇が体に堪えます…

北海道でことし初の真夏日 広範囲で気温上昇 熱中症に注意を」(NHK)
 岩波書店のTwitterに

【今日の名言】
徳ある者は必らず言あり。
言ある者は必らずしも徳あらず。
仁者
(じんじゃ)は必らず勇あり。
勇者は必らずしも仁あらず。


――金谷治訳注『論語』
巻第七 憲問第十四 五

先生がいわれた、
「徳のある人にはきっとよいことばがあるが、よいことばのある人に徳があるとは限らない。
仁の人にはきっと勇気があるが、勇敢な人に仁があるとは限らない。」
(『論語』金谷 治訳注 岩波文庫 1963年)
 田中均さんのTwitterに

党首討論で首相は、64年東京オリンピックで高校生として大きな感動を受け、
そのような感動を世界中の人に味わってほしいと延々述べたが、それが唯一の新しい点だった。
それがリスクを冒しても開催したいオリンピックの意義と言うことなのだろうか。
どれだけ多くの国民が共感を持ったのだろうか。。。
日曜美術館 「壁を越える~パレスチナ・ガザの画家と上條陽子の挑戦~
番組の冒頭

パレスチナ、ガザ。
先月イスラエル軍による激しい空爆で町が破壊され250人以上が命を落とした(イスラエル12人)。
その半数は一般市民だった。
パレスチナの現状に心を痛めて日本で制作を続ける画家上條陽子。
たまたま訪れたパレスチナの過酷な状況に衝撃を受け20年以上、その悲劇を表現してきた。
2年前、そんな彼女の元にガザの画家から50枚近くの絵が届いた。
(上條)「本当に絵が届いたときは、皆で喜びまして奇跡が起きたね。」
70年以上戦禍にさらされ続けてきたガザから日本に送られた絵。
絵は、どのように生まれたのか?
私たちは爆撃の1週間前までガザの画家たちを取材していた
。……

笑顔だったガザの市民は無事なんだろうか…

描くことは生きること 現代美術家「上條陽子展」開催@相模原市民ギャラリー〟(RareA 6月5日)
  夢十夜
    第九夜


  世の中が何となくざわつき始めた。
今にも戦争(いくさ)が起りさうに見える。
焼け出された裸馬(はだかうま)が、夜昼となく、屋敷の周囲(まはり)を暴(あば)れ廻(まは)ると、それを夜昼となく足軽共(あしがるども)が犇(ひしめ)きながら追掛(おつか)けてゐる様な心持がする。
それでゐて家のうちは森(しん)として静かである。
 家(いへ)には若い母と三つになる子供がゐる。
父は何処かへ行つた。
父が何処かへ行つたのは、月の出てゐない夜中であつた。
(とこ)の上で草鞋(わらぢ)を穿(は)いて、黒い頭巾(づきん)を被つて、勝手口から出て行つた。
其の時母の持つてゐた雪洞(ぼんぼり)の灯(ひ)が暗い闇に細長く射して、生垣(いけがき)の手前にある古い檜(ひのき)を照らした。
(『漱石全集 第十六巻』夏目漱石 岩波書店 1956年)
 父はそれ限(きり)帰つて来なかった。
母は毎日三つになる子供に「御父様は」と聞いてゐる。
子供は何とも云はなかつた。
しばらくしてから「あつち」と答へる様になつた。
母が「何日(いつ)御帰り」と聞いても矢張り「あつち」と答へて笑つてゐた。
其時は母も笑つた。
さうして「今に御帰り」と云ふ言葉を何遍となく繰返して教へた。
けれども子供は「今に」丈(だけ)を覚えたのみである。
時々は「御父様は何処」と聞かれて「今に」と答へる事もあつた。
 夜になつて、四隣(あたり)が静まると、母は帯を締め直して、鮫鞘(さめざや)の短刀を帯の間へ差して、子供を細帯で背中へ背負(しよ)つて、そつと潜(くゞ)りから出て行く。
母はいつでも草履を穿(は)いてゐた。
子供は此の草履の音を聞きながら母の背中で寝て仕舞ふ事もあつた。
 土塀(つちべい)の続いている屋敷町を西へ下(くだ)つて、だらだら坂を降(お)り尽(つ)くすと、大きな銀杏(いてふ)がある。
此の銀杏を目標(めじるし)に右に切れると、一丁許(ばか)り奥に石の鳥居がある。
片側は田圃(たんぼ)で、片側は熊笹(くまざゝ)ばかりの中を鳥居迄来て、それを潜(くゞ)り抜(ぬ)けると、暗い杉の木立(こだち)になる。
それから二十間許り敷石伝ひに突き当たると、古い拝殿の階段の下に出る。
鼠色に洗ひ出された賽銭箱(さいせんばこ)の上に、大きな鈴の紐がぶら下つて昼間見ると、其の鈴の傍(そば)に八幡宮(はちまんぐう)と云ふ額が懸(かゝ)つてゐる。
八の字が、鳩が二羽向ひあつた様な書体に出来てゐるのが面白い。
其の外(ほか)にも色々の額がある。
大抵は家中(かちゆう)のものゝ射抜いた金的(きんてき)を、射抜いたものゝの名前に添へたのが多い。
(たま)には太刀(たち)を納めたのもある。
 鳥居を潜ると杉の梢(こずゑ)で何時(いつ)でも梟(ふくろふ)が鳴いてゐる。
さうして、冷飯草履(ひやめしざうり)の音がぴちやぴちやする。
それが拝殿の前で已(や)むと、母は先づ鈴を鳴らして置いて、直(すぐ)にしやがんで柏手(かしはで)を打つ。
大抵は此時梟が急に鳴かなくなる。
それから母は一心不乱に夫(をつと)の無事を祈る。
母の考へでは、夫が侍(さむらひ)であるから、弓矢の神の八幡へ、かうやつて是非ない願(ぐわん)を掛けたら、よもや聴かれぬ道理はなからうと一図(いちづ)に思ひ詰めて居る。
 子供は能く此の鈴の音で眼を覚まして、四辺(あたり)を見ると真暗だものだから、急に背中で泣き出す事がある。
其の時母は口の内で何か祈りながら、背を振つてあやさうとする。
すると旨(うま)く泣き已(や)む事もある。
又益(ますます)(はげ)しく泣き立てる事もある。
いづれにしても母は容易に立たない。
  一通(ひととほ)り夫の身の上を祈つて仕舞ふと、今度は細帯を解いて、背中の子を摺(ず)り卸(お)ろすやうに、背中から前へ廻して、両手に抱(だ)きながら拝殿を上(のぼ)つて行つて、「好い子だから、少しの間(ま)、待つて御出(おいで)よ」と屹度(きつと)自分の頬を子供の頬へ擦(す)り付ける。
さうして細帯を長くして、子供を縛つて置いて、其の片端を拝殿の欄干(らんかん)に括(くゝ)り附(つ)ける。
それから段々を下りて来て二十間の敷居を往つたり来たり御百度(おひやくど)を踏む。
 拝殿に括りつけられた子は、暗闇(くらやみ)の中で、細帯の丈(たけ)のゆるす限り、広縁上を這ひ廻つてゐる。
さう云ふ時は母に取つて、甚だ楽(らく)な夜である。
けれども縛つた子にひいひい泣かれると、母は気が気でない。
御百度の足が早くなる。
大変息が切れる。
仕方のない時は、中途で拝殿へ上(あが)つて来て、色々すかして置いて、又御百度を踏み直す事もある。
  かう云ふ風に、幾晩となく母が気を揉(も)んで、夜(よ)の目(め)も寝ずに心配していた父は、とくの昔に浪士の為に殺されてゐたのである。
 こんな悲(かなし)い話を、夢の中で母から聞いた。

注解
金的 一寸四方くらいの金色の板の中央に、直径三分ばかりの円を描いた的(まと)。的の中で最も小さく、これを射当てることは最高技術とされている。
(『漱石全集 第十六巻』夏目漱石 岩波書店 1956年)
 今朝の父の一枚です(^_^)v
最近、カルガモの子どもは、暑い日差しを避けるように葉の影に隠れていることが多いのですが
今朝は、泳いでいました。

そろそろパークセンターの駐車場に戻ろうとした時、父からの電話。
パークセンターに戻るのはしんどいので途中で待っているとのこと。
急な気温上昇に軽い熱中症になったようです。
途中で、父の姿を確認して駐車場に向かい、父が待っている所へ…
昨日、車のクーラーが全くきかないので、いつものガソリンスタンドでガスを補充してもらいました。
おかげで車内を涼しくして帰宅することができました。
帰宅後、昼にきつねうどんを用意してあげると全部食べてくれたので安心しました。