2021年6月4日金曜日

雨が降り続いていたので

予報通り雨が降っていたのでリハビリ散歩を諦めて
妹の歯科通院に運転手をしていました。
緊急事態宣言前だったら、リハビリ散歩をしてから付き添っていたのですが
駐車場が閉鎖になり、9時からしかパークセンターの駐車場が利用できません。
待合室で読んでいたのが「世界 2021年6月号
今頃読んでいるのは、緊急事態宣言で書店が休業していたので読みたくても読めませんでした。
6月1日から平日だけ営業再開されたのでやっと読めます。
そして午後から読みたかった本が届いたとの連絡を受けたので受け取りに行きました。
営業再開するまで、注文もできなかったし、今日受け取らないと月曜日まで我慢しないといけない。
どの記事も興味深いのですが(「編集後記」)
現地の人が現地の物資、技術を最大限に生かせる方法を採用してアフガンの人々のために働いていた。

中村哲医師と「緑の大地計画」――クナール川を制した伝統的河川工法〟梶原健嗣(愛国学園大学)
(前略)

 PMS(ペシャワール会)の「緑の大地計画」を見て強く感じることは、歴史に学ぶということ、「温故知新」をいう言葉の本質は何かということである。
時間や空間を超えて、通用する本質を見抜くために、いかなる眼が求められるのかという問いかけが、そこには潜んでいる。
 中村氏は言う。
 「伝統は変化しながら現在に連続する。昔から学ぶとすれば、それは単純な模倣ではない。先祖たちのたどってきた自然に接する態度と洞察であり、翻(ひるがえ)って不易のものから流行の現在を見直すことである」(『アフガン・緑の大地計画』石風社、2018年)。
 氏の言葉は、単に灌漑事業ということにとどまらず、私たちが生きるための道標となるもののように思える。
(『世界 2021年 6月号』岩波書店)


高橋源一郎さんがTwitterでこんなエピソードを紹介されていました。

大坂なおみの件で思い出したエピソードがある。
このエピソードの顛末は、ジョン・アプダイクの、スポーツエッセイ史上に残る名作「Hub Fans Bid Kid Adieu 」に詳しく書かれている。
30年ほど前、「優雅で感傷的な日本野球」という小説を、アメリカ野球博物館に届けに行った時、手に入れて読んだ。

1960年9月28日、ボストン・フェンウェイパークで「最後の4割打者」テッド・ウィリアムスの現役最後の試合があった。
テッド・ウィリアムスは512ホームラン、三冠王二度、彼こそ大リーグ史上最高のバッターと考えるファンも多い。
アップダイクはその試合を観に行ったのである。

その前に知っておかなくちゃいけないのは、テッド・ウィリアムスと地元メディアの関係だ。
関係は悪かったのである。ひどく。
それは、ウィリアムスが職人肌で、しゃべるのが嫌いで、頑固で、アスリートはプレイがすべて、それ以外は不用と考える選手だったからだ。

さて、最後の試合、現役最後の打席となった。
球場に詰めかけたファンが総立ちになって拍手を送るなか、ウィリアムスは最後のスイングをすると、ボールは右翼スタンドの最上段に飛び込む特大のホームランとなった。
512本目のホームランだった。

悲鳴のような歓声の中、ウィリアムスはベースを一周するとベンチに戻った。
スタンディングオベーションはいつまでも続いたが、ウィリアムスが姿を現すことはなかった。
記者会見もなし、インタビューもなし、ファンへの挨拶すらなし。
それが、ウィリアムスの最後の打席だった。

この特別なエッセイの最後をアプダイクは、有名なこの文章で終えている。
Gods don't answer letters(神は手紙に返事を書いたりしないのだ)。
テッド・ウィリアムスは、ただプレイを見せるだけで、自らを「大リーグの神話」の一部としたのである。

すいません。ホームラン数は512本ではなく521本ですね。
彼に怒られます。
彼を「史上最高」とする人が多いのは、全盛時代に兵役で3年+2年、ほぼ5年出場できなかったから。
そこで出場できていたら700本近く打っていたと思います。