台風3号が沖縄・奄美地方に近づいています。
夜には温帯低気圧になるみたいですが…
沖縄は新型コロナで大変なんだけど…
「沖縄県の台風情報」(NHK 沖縄)
アジサイ アジサイ科
水不足が顔に出るタイプ
アジサイはガクアジサイが元となった日本原産の園芸植物で、外国で品種改良されたものはセイヨウアジサイと呼ばれています。
ガクアジサイは、装飾花が周りにあり、中央に小さな花が集まっています。
装飾花は、虫が来たら伏せているようです。
花弁に見えるのはガクで、虫を呼ぶ飾りです。
アジサイは装飾花ばかりですが、装飾の無い花も奥にひっそりと咲いています。
実はなりにくいようです。
(『散歩が楽しくなる 樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年) アジサイは水を欲しがる木です。
真夏の乾燥時は、わかりやすく葉がしだれます。
梅雨時にピンクや紫、青色に咲き、土が酸性かアルカリ性かで色が変わります。
土のアルミニウムの作用により、酸性なら青、アルカリ性ならピンクになります。
日本は酸性の土が多いので、青い花が多いはずですが、街ではコンクリートの影響でアルカリ土も多く、ピンクの花も見られます。
普通根元から緑の枝に花がつかず、木質化した枝から出た枝に花がつきます。
それで枝を切るのですが、毎年同じように丸刈りにすると、株が行き詰まってしまいます。
古い枝から新しい枝に更新するように剪定すると良いと思います。 枝の中に白い髄があり、昔は灯心に使っていたそうです。
試したら、絶えず芯をずらさないと火が消えるので大変でした。
あまり知られていませんが、アジサイは有毒で、料理の飾りの葉を食べた中毒例があります。
決して食べてはいけません。
(『散歩が楽しくなる 樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年) 室井佑月さんのTwitterに
政府がこうしたい場面で利用できれば「専門家の意見で」といい、反対の意見になっら「自主的な研究」という。
つーことは、自分らの意見にただ『専門家のお墨付き』というシールを貼りたいだけじゃん。
でも、恫喝して専門家の意見を変えさせるようじゃ、そのシール偽装だわ。
〝尾身氏見解は「自主研究の発表」田村大臣、非公式の認識〟(朝日新聞 6月4日)内田樹さんのTwitterに
平尾さん、とても勇気のある発言だと思います。
彼がどれくらいのリスクを背負って語っているかを僕たちは想像する必要があると思います。
Choose Life ProjectのTwitterをリツート
「五輪の開催がコロナ対策の足かせになっている」
シリーズ企画「コロナ禍の五輪開催を考える」。
ラグビー元日本代表の平尾剛さんからのメッセージです。
IOCが選手らに求めた同意書に「新型コロナによる死亡も“自己責任”」などとあることについても伺いました。
#Tokyo2020 田中均さんのTwitterに
私が好きな過去の政治家。
大平正芳、小渕恵三、野中広務。
秘めた確信と誠意。
今日、昔の政治家の良さは消え、権力願望に満ち権謀術数が渦巻く、後期高齢者が差配する古い政治は残る。
デジタル革命と言われフラットな社会に旧態依然とした政治は有害。
認識を共有してくれる政治家を一人でも増やしたい。
若くても批判されると向きになって否定しようとする知事
〝「いちゃもん、うっとうしい」吉村知事が枝野氏を痛烈批判〟(産経新聞6月4日)
維新の広告塔だなと思う産経新聞でもこう付け加えざるをえなかったようです。
府は2度目の緊急事態宣言が解除された3月1日、運用中の重症病床の一部を一般医療用に切り替えるよう医療機関に通知し、運用病床は約200床から約160床に減少した。
夢十夜
第四夜
広い土間の真中に涼み台の様なものを据ゑて、其周囲(まはり)に小さい床几(しやうぎ)が並べてある。
台は黒光りに光つてゐる。
片隅には四角な膳を前に置いて爺さんが一人で酒を飲んでゐる。
肴(さかな)は煮(に)しめらしい。
(『漱石全集 第十六巻』夏目漱石 岩波書店 1956年)
爺さんは酒の加減で中々赤くなつてゐる。第四夜
広い土間の真中に涼み台の様なものを据ゑて、其周囲(まはり)に小さい床几(しやうぎ)が並べてある。
台は黒光りに光つてゐる。
片隅には四角な膳を前に置いて爺さんが一人で酒を飲んでゐる。
肴(さかな)は煮(に)しめらしい。
(『漱石全集 第十六巻』夏目漱石 岩波書店 1956年)
其の上顔中沢々(つやつや)して皺(しわ)と云ふ程のものはどこにも見当らない。
只白い髯(ひげ)をありたけ生やしてゐるから年寄(としより)と云ふ事丈(だけ)は別(わか)る。
自分は子供ながら、此の爺さんの年は幾何(いくつ)なんだらうと思つた。
所へ裏の筧(かけひ)から手桶(てをけ)に水を汲んで来た神さんが、前垂(まへだれ)で手を拭きながら、
「御爺さんは幾年(いくつ)かね」と聞いた。
爺さんは頬張つた煮〆(にしめ)を吞み込んで、
「幾年(いくつ)か忘れたよ」と澄ましてゐた。
神さんは拭いた手を、細い帯の間に挟んで横から爺さんの顔を見て立つてゐた。
爺さんは茶碗の様な大きなもので酒をぐいと飲んで、さうして、ふうと長い息を白い髯の間から吹き出した。
すると神さんが、
「御爺さんの家(うち)は何処かね」と聞いた。
爺さんは長い息を途中で切つて、
「臍(へそ)の奥だよ」と云つた。
神さんは手を細い帯の間に突込(つつこ)んだ儘、
「どこへ行くかね」と又聞いた。
すると爺さんが、又茶碗の様な大きなもので熱い酒をぐいと飲んで前の様な息をふうと吹いて、
「あつちへ行くよ」と云つた。
「真直かい」と神さんが聞いた時、ふうと吹いた息が障子を通り越して柳の下を抜けて、河原(かはら)の方へ真直に行つた。
爺さんが表へ出た。
自分も後(あと)から出た。
爺さんの腰に小さい瓢箪(へうたん)がぶら下がつてゐる。
肩から四角な箱を腋(わき)の下へ釣るしてゐる。
足袋(たび)丈(だけ)が黄色い。
何だか皮で作つた足袋の様に見えた。 爺さんが真直に柳の下迄来た。
柳の下に子供が三四人居た。
爺さんは笑ひながら腰から浅黄の手拭(てぬぐひ)を出した。
それは肝心綯(かんじんより)の様に細長く綯(よ)つた。
さうして地面(ぢびた)の真中に置いた。
それから手拭の周囲(まはり)に、大きな丸い輪を描(か)いた。
しまひに肩にかけた箱の中から真鍮(しんちゆう)で製(こし)らへた飴屋の笛を出した。 「今に其の手拭(てぬぐひ)が蛇になるから、見て居らう。見て居らう」と繰返して云つた。
子供は一生懸命に手拭(てぬぐひ)を見て居た。
自分も見て居た。
「見て居らう、見て居らう、好いか」と云ひながら爺さんが笛を吹いて、輪の上をぐるぐる廻り出した。
自分は手拭許(ばか)り見て居た。
けれども手拭は一向(いつかう)動かなかつた。 爺さんは笛をぴいぴい吹いた。
さうして輪の上を何遍も廻つた。
草鞋(わらぢ)を爪立(つまだ)てる様に、抜足をする様に、手拭に遠慮する様に、廻つた。
怖(こは)さうにも見えた。
面白さうにもあつた。 やがて爺さんは笛をぴたりと已(や)めた。
さうして、肩に掛けた箱の口を開けて、手拭の首を、ちよいと撮(つま)んで、ぽつと放(はふ)り込(こ)んだ。
「かうして置くと、箱の中で蛇になる。今に見せてやる。今に見せてやる」と云ひながら、爺さんが真直に歩き出した。
柳の下を抜けて、細い路を真直に下りて行つた。
自分は蛇が見たいから、細い道を何処迄も追(つ)いて行つた。
爺さんは時々「今になる」と云つたり、「蛇になる」と云つたりして歩いて行く。
仕舞には、
「今になる、蛇になる、
屹度(きつと)なる、笛が鳴る、」
と唄ひながら、とうとう河の岸へ出た。
橋も舟もないから、此処で休んで箱の中の蛇を見せるだらうと思つてゐると、爺さんはざぶざぶ河の中へ這入り出した。
始めは膝位の深さであつたが、段々腰から、胸の方迄水に浸(つか)つて見えなくなる。
それでも爺さんは
「深くなる、夜になる、
真直になる」
と唄ひながら、どこ迄も真直に歩いて行つた。
さうして髯も顔も頭も頭巾(づきん)も丸(まる)で見えなくなつて仕舞つた。 自分は爺さんが向岸(むかふぎし)へ上がつた時に、蛇を見せるだらうと思つて、蘆の鳴る所に立つて、たつた一人何時迄(いつまで)も待つてゐた。
けれども爺さんは、とうとう上がつて来なかつた。
(『漱石全集 第十六巻』夏目漱石 岩波書店 1956年)