2021年6月24日木曜日

曇り空で…

 公園に着いた時は、曇り空でした。
これから気温が上がっていくので助かりました。
発雷 確率」が発表されているのですね。
最近、タスクバーに天気のアイコンが追加されて困っていました。
メーカーのお問い合わせの多いランキングで解決法を教えてくれました。
香港「リンゴ日報」発行停止に「言論の自由」大きく後退〟(NHK)

リンゴ日報の
名前の由来は聖書に出てくるアダムとイブが食べた禁断の果実で、
黎氏は「もしかじっていなければ世の中には物事の是非も罪悪も、もちろんニュースも存在しなかったからだ」と説明しています。


中国政府は香港返還の際に確認した共同声明で、香港における報道の自由を守ることを約束しています。
香港の中国返還Q&A」(外務省)の「(8)言論の自由」を参照してください。
イスラエルで感染者増加 再拡大懸念 マスク着用義務再び導入も」(NHK 6月23日)
イスラエルでは16歳以上の人口の8割以上がワクチンを接種していますが、
パレスチナの人々どうなっているのでしょうか?

イスラエルとパレスチナ ワクチン接種に大きな格差が」(国境なき医師団 3月3日)
『演奏できない』“ビルマの竪琴”に魅せられた若者の今」(NHK)
記事の途中と最後にたて琴を演奏するアウン・チョウさんの動画があります。
たて琴の音色を聞いていて早く、ミャンマーに平和が訪れることを願っています。

私の世代?には懐かしい映画
ビルマの竪琴 総集篇」(NIKKATU)で予告編を見ることができます。
 江川紹子さんのTwitterに

17日行われた菅首相の記者会見。
質問できなかった者はメールで質問を送れば、文書回答してもらえることになっていたのだが…。
1週間してようやく回答が来たと思ったら、「お答えを差し控え」ですと。
納得がいかない。

江川さんの質問メールと回答の画像

江川さんの質問は私も知りたいこと。
天皇陛下の予定を開催1カ月を切っても決めることができないのでしょうかね!
 田中均さんのTwitterに

この一年でコロナ予算30兆円の使い残し。
大きな予算でコロナ対策という「見かけ」に奔走するが、真に必要な休業補償やニーズがある投資には廻らず、経済回復に遅れ。
これがこの10年で株価は上げても、日本がG7で最低の経済パフォーマンスに転落した理由。
中味より「見かけ」づくりの政治はもう沢山。


「見かけ」づくりの政治は、政府だけでなく大阪も東京も同じです。
保坂展人さんのTwitterに

赤木さんが「私党の傭兵」ではなく、「国民全体の奉仕者」として生命をかけて書き残した「赤木ファイル」。
長期政権の中で万能感に陥り、何が逸脱で許されないかも判断出来なくなった上司に抵抗し、真実を残すことにわずかな期待をかけたファイルも、無慈悲に隠蔽されて「知らぬ存ぜぬ」とされてきた。


再調査すれば、ボロボロでてくるので
「赤木ファイル」再調査行わない考え強調 麻生副総理兼財務相〟(NHK 6月22日)
(「津軽言葉」つづき)

 津軽では中央ではとうに廃れている古語が、まだいくつか生きて使われているのを聞いた。
 中庭をさして「壺」という。
 「右りのはづれの雀こ欲うし」の「右り」も、古典に「右りの階に――」とあって、太宰が幼少のころには耳にすることがあったからこそ「右り」としたのだろうが、もう廃れていたのか私は聞くことが出来なかった。
(『回想の太宰治』津島美知子 人文書院 昭和53年)
 夏のある日、嫂が台所の床下の冷蔵室に降りて行ったかと思うと、鶏肉を盛った皿をさし上げて「わいハアうだて!」と叫んだ。
肉がいたんでいたのである。
 昔、文法の時間に「おにいさま、おねえさま」などといい言葉のつもりで、みな使っているが、「おあにさま、おあねさま」が正しいので、略すならば、「あにさま、あねさま」とすべきだと教わったが、津軽では、ちゃんと「アニ、アネ」と言っている。(必ずしも単に兄、姉をさすのではないらしいが。)
 津軽で「カマ」は鉄瓶のことで、飯を炊くのは「ツバガマ」である。
鉄瓶などとよぶより「カマ」の方がよほどよい。
まだこの類の言葉はほかにも残っているだろう。
これらの奥床しい古語が、いつまでも消えずに残ることを祈る一方、あまりにも甚だしい訛にとまどうことも多かった。
 ギターときいたのが下駄で、ウエつまり上級酒のことかと思ったら、ウイスキーであったり、シラクが柄杓だったり、まごついているうちに少し時間をかければわかるようになったが、あるとき「ジェンコけるはんで、ジャンボかって来い」という会話の前半はわかったが、「ジャンボ」がわからなくて太宰にきいて「銭をくれるから床屋に行って来い」の意味と知ったことがある。
太宰は郷里では、津軽言葉で話し「一戸大将(県出身の名士)でも帰郷すると、くにの言葉で話したそうだ」と言っていた。
  男性は別として津軽の女性の言葉は、女同志で聞いても、じつにやさしく情がこもっているようにひびいた。
彼女らはもの言えば唇寒し何とやらという句を連想せずにおれないほど、口を大きく開けず、唇をあまり動かさず語尾をひくようにしてものを言う。
そのために歯切れがわるいけれども、余韻があっていかにも情愛深げである。
私は、我が子にかけられた言葉にそれを感じたのだが、話し相手が相愛の異性の場合を想像せずにおれなかった。
 よい陽気になって道端に香具師が店を拡げ、道行く人々が足をとめていた。
流れものの商人のしゃべっている、いわゆる標準語は、全くここの風土になじまない、いやな感じにひびいた。
  太宰は会話で津軽訛から完全に脱け出せなかっただけでなく、文章の上でも、てにをはの使い方、共通語にない語法、のばす音、つめる音などで津軽訛がかかっていると思われる場合がいくつかあって、それが太宰独特の文体を作り出す要素の一つになっているように思われる。
 そしてそれは言語、文章、つまり表現だけのことではなく、思想、精神まで津軽の風土から生まれたものがあって、太宰の文学の要素の一つになっているのではないだろうか。
 太宰が中学受験の補習のとき作った作文の一つ「胃の失敗」は、ハタタコの読本には文語体の「胃と身体」が載っていて、ハナハトの読本には同じ内容が口語体で載っている。
その課を、ひっくり返して考えて綴った文で読本では「ある時、口、耳、目、手、足等一同申し合せて胃に向つていふやう」で始まり、修治の作文では、「或時胃は目、口、鼻等に向つてさも不平さうに――」となっている。
これは自由題の作文なのか、指導に当たっていた先生から題か、ヒントを与えられて書いた作文なのか、そのへんの事情がはっきりしないけれども、読本の一つの課の内容を主客を逆にして作り変えるとは、思い切った奇抜な着想である。
  後年の太宰に『逆行』という作品があり、「修身、斉家、治国、平天下」の順序を逆に考えると爽快だ、とし、マイナスの札を集めてプラスに逆転することを考えるなど、一般の逆手をゆく発想があるのだが、この作文がその発想の最初の現われである。
これは太宰の独創なのか、あるいは津軽精神にその源泉があるのだろうか。
ここで連想されるのが、世去れ節の「嘉瀬と金木の間の川コ石コ流れて木の葉コ沈む」という古謡で、物事を逆にみてよろこぶ好み(言い廻し)が、津軽または、金木地方に伝わっているのではないだろうか。
 日常会話の一節がふと耳に入って、いつまでも記憶に残るようなことが往々あった。
ひねった、皮肉な、天邪鬼的なと言えるような表現で、文学的と言えるような表現である。
とにかく、都会で交されるような上すべりした、あっさりとして会話とは、違っている。
また津軽ゴタクというのがあるそうだ。
太宰も話のおもしろい人であった。
伝統的津軽風の発想や表現が彼に必ずあると思うのが、短い期間住んだだけでの私にはよくわからない。
(『回想の太宰治』津島美知子 人文書院 昭和53年)

 「嘉瀬奴踊(かせやっこおどり)」(五所川原市)