2018年10月8日月曜日

寒露&鴻雁来&体育の日

今日は二十四節気の「寒露(かんろ)」、七十二侯は「鴻雁来(こうがんきたる)
画像は、ヒドリガモと思いますが…(^^ゞ

鴻雁来
【新暦】10月8日~12日ごろ
【意味】雁が飛来し始める
雁が北から再びやってくる
 燕が南へ去ったころ、冬鳥の雁が北国から飛来します。
その年初めて渡ってくる雁を「初雁(はつかり)」、
雁の鳴きの声を「雁(かり)が音(ね)」といいます。
遠くシベリアなどから海を越えてやってくる雁が方向を見失わないのは、
太陽や北極星の位置を指針に飛んでいるため。
V字形の列をなして飛ぶ姿は「雁行(がんこう)」といいます。
こうすることで浮力が働き、後続の鳥たちの負荷が軽減。
そして先頭の鳥が疲れたら交代し、
集団で協力しながら長い旅路を渡ってきます。
(『イラストで楽しむ 日本の七十二候』アフロ 中経の文庫 2013年)

オリンピックのスケート競技のチームパシュートを思い出しました(o^^o)
金メダルへの道 “一糸乱れぬ”挑戦  女子団体パシュート
ある方と立ち話をしていて今日は「体育の日」
(2020年に限り7月24日に「スポーツの日」になる)
1964年10月10日に東京オリンピックの開会式が行われた日だけど
なんで2020年もこの時期にしないのでしょうねと
競技をする人だけでなく見学する人も命がけですよねと…
この夏の暑さは、今年が異常だったというわけでなく、
ますますひどくなるという報告もあります。
世界の平均気温 2030年にも1.5度上昇か 国連報告書
気温が上がるだけでなく
またオリンピックの予算は際限なく膨らみそうですよね(`_´)
東京五輪・パラ経費 関連施策に国の支出すでに8000億円余

コサギが餌を追い出す様子を見ていると、石の陰や草むら、水中に沈んだ板きれなど、
魚の潜みそうな場所を漏れなく探っているのがよくわかります。
魚と獲った経験のある人なら「あそこを狙えばいいんじゃないか」と思いそうなところを、
全部試しているのです。
また、目とクチバシは足の少し前をじっと狙っていて、
飛び出してきた獲物を逃さず捕らえる準備をしています。
 考えてみれば、コサギだけが妙に目立つ黄色い足先を持っているのも、
この行動と関係しているかもしれません。
黒と黄色という取り合わせは警告色に使われるくらい、目立ちやすい色合いです。
黄色い足先で、より魚を脅しやすくしているということも、あるのかもしれません。
(『鳥類学者の目のツケドコロ』松原始 ベレ出版 2018年)
我妹子(わぎもこ) 
(ひたひ)に生(お)ふる 
双六(すごろく) 
(ことひ)の牛(うし)の 
(くら)の上(うへ)の瘡(かさ)  
   巻十六・3838 安倍子祖父(あへのこおおじ)

うちの女房の
額に生えている
双六盤の
大きな牡牛の
鞍の上にある瘡(かさぶた)
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
[選者 小林康夫(こばやし・やすお)]
 万葉集にこんなナンセンスな歌があったことに、びっくりしました。
私は仏文学も多少かじっているので、
いま風に言えばシュールレアリスムにおけるブラック・ユーモアのような表現というか、
人間があまり人為を働かせず、ナンセンスな詩を作っていくみたいな。
そういう手触りの表現が、この時代にすでに行われていたことを驚きました。

――東京大学教授の小林康夫さんは、教養学部のサブ・テキストとして出版され、
話題になった『知の技法』の編者のひとりです。

[小林]
 歌のなかに額、双六と出てくる。
当時の双六は動物の角などで作っていたらしく、多少はそれも関係あると思うんですが、
さらに牛、鞍が出てきて、その上に瘡ができてると。
簡単に言えば「かあちゃん、お前の額におできがあるじゃんか」ってそれだけなんです。
 この歌は「我妹子が」、次に続く歌(3839)は「我が背子が」で始まる妹背の関係で、
男女の掛け合いという趣向も凝らされています。
お互いにナンセンスな喧嘩をしているのを、一瞬のうちに歌で表現した。
ナンセンスだから、決して意味を通しちゃいけない。
でも完全にデタラメかというとそうではなく、
じつはみんなが何かしら楽しめるというイメージはあったと思うんです。
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
――歌に詠まれている双六は当時、一時禁止令が出されるほど、
天皇から庶民にまで広く楽しまれました。

[小林]
 こに二首はまさしく座興の歌で、一座は大爆笑だったでしょう。
いまの我々には想像がつかないくらいに。
実際、歌の左注には、あとでみんなから集めた
物や銭二千文のご褒美をあげたと記されています。

――小林さんに、万葉びとの「知のレベル」を判定してもらいました。

[小林]
 ひとつの世界を自分たちの力で構築し、
なおかつそれを笑えるのは、知として最高の形です。
こういう言語ゲームで一座が沸いている状態は非常に余裕があり、
高級な技法を使っていると思いますね。
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)

禁止令まで出た双六の流行
 双六は、盤上の駒を賽(さい)の目によって対戦者の陣地に進める遊戯で、
ローマから絹の道を経て伝来したと言われるが年代不明。
我が国の室内遊戯最古のものといってよい。
『和漢三才図会』(18世紀)に囲碁よりも早い伝来とする。
『本朝世事談綺(ほんちょうせじだんき)』態芸門(たいげいもん)(18世紀)に
「梁武帝天監年中日本へわたす、本朝二十六代、武烈帝に当る」とあるが、あやしい。
正式な記録は『日本書紀』持統天皇三年(689)の禁止記事がある。
他に『万葉集』と重なる時代では、天平勝宝六年(754)に、
官人も百姓も法を畏(おそ)れず、私に集まり任意に双六をし、淫迷に至る。
子は父に順(したが)わず、終に家業を亡(うしな)い孝道を損うとして七道諸国に禁止令が出され、
杖などの処罰規定がみえる(『法曹至要抄(ほうそうしようしょう)』禁制条)が止むことはなく、
日本中の庶民から役人にまで広く双六が行われたようだ。
こうして双六は江戸時代に至るまで我が国の賭博の主たるものとなる。
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
『源平盛衰記』に
「白河院は、『賀茂川の水、双六の簺(さい)、山法師、これぞ朕が心に随はぬ者』」
とあるように、天皇・貴族をも席巻した。
『今昔物語集』悪行篇では、これがもとでの通りすがりの殺人事件まで書かれている。
万葉集には、

一二(いちに)の目(め)のみにはあらず
  五六三四
(ごろくさむし)さへありけり双六(すぐろく)の頭(さえ)
                       (巻十六・3827)

と詠まれた。
神のみぞ知る賽の目への祈りは、
「五四(ぐし)をふれば、五四五四(ぐしぐし)と啼くは深山(みやま)の時鳥、
 三六なれば、三六(さぶ)さつて猿眼、
 又重五(でく)をよするとき、さつとちれ山桜」(『柳亭記』19世紀)
などの地口(じぐち)を発達させる。
そして、夢中になったのは、男ばかりではなく、女もまた。
 近江君(『源氏物語』)を想えばよい。  (藤原茂樹)
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)

法曹至要抄

今朝の父の一枚です。
父に言わせれば、
「万博や賭博場(カジノ)の誘致の予算を
公園整備に使う方がよっぽど市民のためになる」


大阪市吉村市長 万博PRパリへ

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