2018年10月4日木曜日

雨が降ってきたのですが…

出かけようとしたら雨が降ってきました。
小雨だったので少しは歩けるかなと…
公園に入るとキンモクセイの香り(^。^)
このような天気の時のほうがよく薫るみたいです。

木犀の花[仲] 木犀 金木犀 銀木犀 薄黄木犀 桂(かつら)の花
 モクセイはその幹が淡灰褐色で、紋理がサイの皮に似ているというのでこの名がある。
キンモクセイは名のごとく橙黄色の小花、ギンモクセイは白色、
ウスギモクセイは淡黄色の小花を開く。
咲く時期は、キンモクセイとウスギモクセイが仲秋、
ギンモクセイが少しおくれて晩秋にかかる。
もとは中国産で、ウスギに金桂、この変種のキンモクセイに丹桂、
ギンモクセイに銀桂の名がある。
日本への渡来は徳川時代といわれ、広く庭園木として栽培されている。
雌雄異株で、高さは3メートル余りにも達する。
枝が多く葉は常緑葉で密に茂り、花はこの葉のわきに小花が群がりつけ、
芳香を放って道行く人の足をとどめる。
この花のかおりはフィルリリンという配糖体で酸性が強く、
低温の夜とか湿気の高いところでよくにおう。
       (松田 修)
(『図説俳句大歳時記 秋』角川書店 昭和39年)
   鳥羽殿(とばどの)へ、五六騎(き)いそぐ。野分(のわき)かな  蕪村(ぶそん)

  騒然と、戦い前夜の京の町。
  人気のない大路に鳥羽殿へむかう騎馬の武者(むしゃ)
  吹き荒れる台風。
(『俳句・俳人物語 古典文学全集25』池田彌三郎 ポプラ社 1996年)
鳥羽殿は、京都市伏見区鳥羽にあった。
白河・鳥羽両上皇の離宮(皇居以外の宮殿)です。
白河上皇は、鳥羽殿で、
はじめて院政(上皇がその御所で政治をとられること)をおこなわれた方、
鳥羽上皇は、その御殿を継承された方で、おふたりともすぐれた方でした。
院政の時代は、それまで政権を担当していた公家(くげ)が、
やがて武士に変わろうとする危機をはらんでいた過渡期で、
皇室内部、公家の上層部内部に反目があり、
それに武士がくわわって、小さな政変がくり返されました。
野分は、野原の草を吹き分ける風といいますが、
それは字からでた解釈で、秋の台風のことです。
秋の季題。
鳥羽の離宮へ、急をつげるのか、味方にくわわるのか、
騎馬武者が、五ー六騎、かけて行く。
台風の吹き荒れている、たぶん都大路でしょう。
台風と馬を走らせる騎馬武者との取り合わせが、
絵画的な構成をもってとらえられている、王朝趣味の句です。
(『俳句・俳人物語 古典文学全集25』池田彌三郎 ポプラ社 1996年)
与謝蕪村(1716ー83年)は、摂津(せっつ)の生まれですが、
父母・家柄・通称などいっさい不明です。
享保(きょうほう)末年、17ー8歳のころ、江戸に絵画と俳諧の修業に出たといわれ、
元文(げんぶん)2年22歳のころ、
夜半亭早野巴人(やはんていはやのはじん)の優秀な門人として名をあげました。
いっぽう、絵画のほうでもその素質をみとめられ、
むしろ絵画に力をそそいでいたと思われます。
27歳のとき、師匠の巴人が亡くなると、俗化(ぞっか)した江戸の俳壇をあとに、
同門の下総(しもうさ)の国(千葉県北部・茨城県西南部)結城(ゆうき)
砂岡雁宕(すなおかがんとう)のもとに身を寄せ、
その後、京都にうつるまで十年間、
奥羽地方まで放浪生活をして絵画と俳諧の修業をつづけました。
宝暦(ほうれき)元年(1751年)、36歳のとき京都に上(のぼ)り、
おもに絵画の修練をして、漢画(かんが)から文人画(ぶんじんが)へとすすみ、
いわゆる与謝風(よさふう)といわれる画技(がぎ)を会得しています。
(『俳句・俳人物語 古典文学全集25』池田彌三郎 ポプラ社 1996年)
そして、まず画家として有名になり、
宝暦9ー10年(1759ー60年)ごろ、妻とも女をめとりました。
前の句でも、大きな襖(ふすま)か屏風の武者絵を思わせるのは、
蕪村が俳人である前に画家であったためです。
また、太祇(たいぎ)らと組んで俳諧の革新をこころざしたのもこのころです。
余技(よぎ)とはいっても俳句でぬきんでていた蕪村は、
同門の人々に推されて、明和7年(1770年)、夜半亭(やはんてい)の名をつぎ、
点者(てんじゃ)となって、中興期(ちゅうこうき)京都俳壇の代表的存在となりました。
翌8年、高井几圭(きけい)の子、
几董(きとう)をやがては夜半亭三世にしようと、まねいています。
この年は、文人画の大家、池大雅(いけのたいが)と大作を合作し
一流の画家とみとめられた反面、
親友の太祇、高弟の召波(しょうは)などを失っています。
翌安永(あんえい)元年(1772年)、『蕪村七部集』のひとつとなっている
『其雪影(そのゆきかげ)』を刊行し、
つづいて2年『このほとり』『明烏(あけがらす)』を世にだしています。
こうして、蕪村一門の新鮮な俳風が天下にしめされると、しぜんと、
俳壇の革新をもとめる人々によって中興期俳壇の中心的存在になったのです。
没年は天明3年(1783年)、68歳でした。

とも」に脇点(、、
(『俳句・俳人物語 古典文学全集25』池田彌三郎 ポプラ社 1996年)

与謝蕪村」(大阪市都島区)
今朝は、雨が降るので望遠レンズを諦めて90mmマクロレンズでやって来ました。
そんな時に限ってエゾビタキに会う…(ーー;)

団栗 どんぐり】櫟(くぬぎ)の実、木(こ)の実、木の実降る、木の実拾う

 ドングリはクヌギ、コナラ、マテバシイ、カシ、カシワなどの実の総称です。
古くはクヌギの実をさしたようですが、
クリ以外のかたい実のよび名に広く使われるようになりました。
丸いものや細長いものなどいろいろな形があります。
どれも、ネズミやリスなどの小さい動物からイノシシやクマなどの大きな動物まで、
さまざまな動物のえさになります。
 縄文時代には、皮をむいてよく水にさらしてあくぬきをし、
ドングリ餅やドングリがゆなどにして食べたようです。
ドングリの「帽子」とよばれる部分は殻斗(かくと)といい
、おわん型や鳥の巣のようなものなど木によって形が異なります。
 ドングリのようにまんまるい目を「ドングリ眼(まなこ)」といい、
子どもやおどろいた顔をしたときの目にたとえます。
「ドングリの背比べ」といえば、
どれも似たり寄ったりで目立つものがないことをいいます。
 宮沢賢治は、どんぐりたちのもめごとを裁判で解決する
『どんぐりと山猫』という童話を書きました。

*あく えぐみ、渋み、苦味など食べにくい味のこと。
(『いきもの歳時記<秋>』古舘綾子 文、
    小林絵里子 絵、舘あきら他 写真 童心社 2011年)
ハシブトガラスがバトルをしていました。
神話の中のカラス
『古事記』の「神武紀」によれば、神武天皇が東征の際、
紀州熊野から大和へ入ろうとして山中で道に迷って難儀している時、
ヤタガラス(八咫烏)というカラスが飛来して、一行の道案内をつとめた。
このヤタガラスは天照大神の遣わされた神鳥で、きわめて大きかったという。
 カラスは自分の縄張りの中を常時パトロールし、
情報収集に努め、鳥類の中ではきわめて賢い動物である。
ノアの方舟から放たれた鳥がカラスであったように、
情報通で強靱な武器である觜を備えており、
天皇の窮地を救う動物としていかにも相応しい役割であったようだ。
(『カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応能力』唐沢孝一 中公文庫 2003年)
では、いったいヤタガラスとは、どんなカラスだったのであろうか。
中村浩氏(1981)は、ヤタガラスの〝ヤタ〟というのは、〝ヤアタ〟(八咫)の転で、
物の長さを示す単位であり、1アタは約二寸(約6センチ)ほどであるという。
従って、八咫は一尺六寸(約48センチ)くらいになる。
現在、日本に生息しているカラス類の大きさは、
最大のワタリガラスで61センチ、ハシブトガラス56.5センチ、ハシボソガラス50センチ、
ミヤマガラス47センチ、カササギ45センチなどである。
もし咫が長さを示す単位であるとすれば、
該当するのはミヤマガラスもしくはハシボソガラスということになる。
しかし、ミヤマガラスは冬季に日本に飛来する冬鳥であり、
渡来地は主として北九州である。
熊野や大和といった近畿地方には分布していなかったにちがいない。
しかも、越冬中は群れをなして生活しており、
たった一羽で飛来するということは考えにくい。
(『カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応能力』唐沢孝一 中公文庫 2003年)
大きさからカササギとも考えられるが、
これまた、九州の佐賀平野を中心として局所的に分布している特殊な鳥だ。
また、ヤタガラスは大きな鳥であったということからも
カササギやミヤマガラスではあるまい。
一方、日本のカラス類最大のワタリガラスは冬季に
北海道などの一部に飛来する北方系の鳥であり、
大和地方にまで分布していたとは思えない。
とすれば、ハシボソもしくはハシブトのいずれかとなる。
(『カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応能力』唐沢孝一 中公文庫 2003年)
柴田敏隆氏(1983)は、各種の生息場所の比較から、
ヤタガラスはハシブトであろうと推理している。
つまり、ハシボソは田園地帯や山里に分布し、
ハシブトは森林や都市、高山、海岸などに分布する傾向がある。
神武天皇が道に迷ったのは山中であり、明らかにハシブトの生息環境である。
ヤタガラスは〝高木の神〟あるいは〝日の神〟の使いともいわれていることからも、
まずはハシブトガラスに間違いあるまい。
(『カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応能力』唐沢孝一 中公文庫 2003年)
今朝の父の一枚です。
雨が降っていましたが、少しでも歩かないと足腰が弱るといって公園にやって来ました。
倒木を撮していました。
父は、山のエリアを歩いてたときは70カットほど撮していたのに
最近は、多くても40カット位で20カット前後が多いです。
公園のニュースを見ていても臨時休業や催しの中止ばかり…

2 件のコメント:

  1. こんばんは~

    >ヤタガラス(八咫烏)
    >>八咫は一尺六寸(約48センチ)くらいになる。
    そうだったんですね。(^-^;
    ヤタは、どんなカラスでどんな謂れかな?
    と、思っていたのですが。。。。
    有難うございます。
    なるほどでした。(^^)/

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    1. カイさんこんばんは(*^O^*)/
      八咫烏については、古事記を読んでいると登場するのですが
      カラスというだけでハシブトガラスとまでは思いませんでした。
      ハシボソガラスの方が賢いのにと思っていましたが、
      高木の神で山の中だとハシブトガラスですよね(^_-)

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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m