2018年10月22日月曜日

日ざしがいっぱい

今朝も青空が広がっていました。
時代祭の日ですが、昔、京都に四年間通っていながら
いまだに京都三大祭りを見たことがないです(^^ゞ
秋の都大路で「時代祭」
京都と言えば「横山華山展」は図録を見ていると
来年7月2日(火)~8月17日(土)に京都文化博物館で開催されるそうです。

   八町堀にて
菊の花咲(さく)や石屋の石の間(あひ)  (翁草)

「八町堀」は寛永年間に船入場として堀割を造ったその北岸で、いま中央区。
与力・同心などが住み、また石屋が多かった。
芭蕉はそこを通りがかって、
道に面した石置場の石の間に菊の花が咲いているのに目をとめた。
こんな所に菊の花が、と驚いて眺め入った風情である。
寒菊や粉糠(こヌカ)のかゝる臼の端(はた)」に似て、
生活の片隅にふと可憐なものを見出でた驚きである。
(『芭蕉全発句』山本健吉 講談社学術文庫 2012年)
小野小町(おののこまち)
 この人もいつ生まれ、いつ亡くなったかはっきりわからないひとりです。
<六歌仙(かせん)>のひとりで、その一生はいろいろの伝説にとりまかれています。
在原業平(ありはらのなりひら)が美男子(びなんし)の代表者のように語られているのに対して、
この人は美女の代表のように、わが国の伝説のなかで語られます。
 日本では美人のことは<○○小町>などと、よく住んでいた地名をつけて呼びます。
これは今日のミス何々などというのにあたるもので、
小町というのは美女というぐらいの意味でつかわれます。
(『和歌・歌人物語』窪田敏夫 ポプラ社 1966年)
 ところでそのつくった歌をみますと、この人はだいたいのところ、
仁明(にんみょう)、文徳(もんとく)、清和(せいわ)天皇のころ(830ー870年ごろ)に生きていたようで、
小野篁の孫であるという説をはじめ、いろいろのことがいわれています。
ことにのちの謡曲(ようきょく)に、《通小町(かよいこまち)》とか
《卒塔婆(そとば)小町》《草子洗(そうしあらい)小町》《関寺(せきでら)小町》など、
いろいろなものにこの小町を主人公とした伝説がしるされています。
 それらはみなつくりあげたもので、ほんとうの話ではないようです。
たとえば、こんな話も伝えられています。
 それは業平が陸奥(むつ)の国(東北地方)に行って、
八十島(やそしま)というところに宿をとったときのことです。
ひと晩じゅうなんだか声が聞こえてきます。
よく聞きますと、その声は
秋風の吹くにつけても、あなめなあなめ>と歌の上の句をいうのです。
翌朝起きて、昨夜声の聞こえたところをさがしてみますと、
骸骨があり、その目のところからすすきが生えていました。
業平はそれを見て涙をながして、
小野とはいはずすすき生(お)ひたり>と、あとの下の句をつけました。
その野を玉造(たまつくり)の小野といいました。
その土地の人は、その骸骨は小野小町がこの国にきて、
ここで死んだのだといっています。
こんな語り伝えもあるのですが、
その歌は、やさしく弱よわしい女らしい姿をしめしているのです。
(『和歌・歌人物語』窪田敏夫 ポプラ社 1966年)
 つぎの歌なども多くの人に知られている有名なものです。

  花の色はうつりにけりいたづらにわがみよにふるながめせしまに

 この歌の意味はふたつあって、それがかさなっているのです。
(咲いた桜の花の色もあせてしまった、
 ただやたらに長雨(ながめ)がつづいているあいだに。)
(自分の美しい容色(ようしょう)も色あせて年老いてしまった、
 この身がこの世の中であれこれと思いわずらっているあいだに。)
 このふたつの心を、この一首の歌にこめてうたっているのです。
<わがみよにふる>は、<わが身世(みよ)に経(ふ)る>と
<わが御代(みよ)に降る>とふたつの意味をもち、
<ながめ>は、<眺(なが)め>と<長雨(ながめ)>とふたつの意味をこめた、
なかなか複雑なよみ方なのです。
こういううたい方は、この時代になるとぽつぽつ出てきます。
この歌は春をよんだ歌ですが、
そのなかににじむように自分の色香(いろか)のおとろえるのを嘆く、
いかにも女らしい、あわれに悲しい心のにじんでいるのを見てください。
(『和歌・歌人物語』窪田敏夫 ポプラ社 1966年)
 こんなふうで、小町の歌で『古今集』にのっているのはほとんど《恋の部》にあります。
そのひとつふたつを見てみましょう。

  思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを

(思いおもいして寝たので、恋しいあの人が夢に見えたのでしょうか。
 夢だと知ったら目ざめないでいようものを。)

 夢からさめて、夢のなかで自分の恋している人に会ってうれしく思っていた、
それが消え失せたのを残念に思って、ああさめなければよかったと悔やむ心なのです。
親子兄弟などしたしい人を亡くしたときなど、
ある夜その人を夢に見て、話しかけようとなどしたときに、
そのとき<あっ、夢だ>と、気がついてさめたあとなど、
もうちょっと夢がつづいていたら話もできたものをとなど、悔やむ思いがかすめます。
そんな心の動きです。
落語などにも、夢で小判をひろって<ああ夢か、さめなければよかった>などいう話がありますが、
人間の心の動きをうたっているこまかい心の歌です。

  うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき

(ほんの仮寝(かりね)の夢に恋している人に会った夢を見てからというもの、
 この世にある夢というものをはかないものと思わず、
 たよりにするものだと思うようになりました。)

 たよりにならないことを、人はよく夢のようだ、または夢の話のようだとか、
つまらぬたよりにならぬことに夢といいますが、
ふとその夢に恋人に会ってから、せめて夢にでも会うことができたらと、
夢にたよりを思う気になったという、
悲しい、やさしい女の心をよくしめしていると思います。
(『和歌・歌人物語』窪田敏夫 ポプラ社 1966年)
  今はとてわが身しぐれにふりぬれば言(こと)の葉さへにうつろひにけり

(時雨が降るように、私の身がふるくなったので<今はもう別れるときだ>と、
 時雨が降ると木の葉が紅葉(こうよう)して色が変わるように、
 あなたのおことばまでが変わってまいました。)

 これは恋人にすてられでもしたのを、うらめしく思っての歌のようです。
前に約束したことばが変わるように、時雨で木の葉も変わると、
言葉の葉と木の葉をかけていったものです。
当時は人に手紙などやるときは、かならずといってよいくらい歌を書いて贈ったもので、
この歌は小野貞樹(さだき)という人にやったものです。
『古今集』にはこの人の歌があって、その詞書(ことばがき)に<返し>とあります。
それは、

  人を思ふ心木(こ)の葉にあらばこそ風のまにまに散りもみだれめ

(あなたを思う私の心が木の葉のように軽いものならば、
 風の吹くままに散り乱れもしましょう。)

 私の心はそんな軽いものではない。
心変わりはしていない、というほどの心です。
(『和歌・歌人物語』窪田敏夫 ポプラ社 1966年)
  どうして いつも

太陽



そして



やまびこ

ああ 一ばん ふるいものばかりが
どうして いつも こんなに
一ばん あたらしいのだろう
(『まど・みちお 人生処方詩集』詩と絵:まど・みちお
           選詩:市河紀子 平凡社 2012年)
どんぐりとアクぬき作業
 クリをふくむどんぐりの仲間は、そのままで食べられるクリやシイ類などと、
しぶみやえぐみの成分であるアクをぬかないと食べられないカシ類やナラ類あがります。
さらにアクぬきはカシ類のように水にさらすだけでよいものと、
ナラ類のように加熱しなければならないものとに分かれます。
アクは粉にしたものを何度も水にさらしたほうがよくぬけます。
アクぬきや水さらしにはザルやカゴを使いました。
なお、カシ類でもイチイガシはアクが弱いのでアクぬきは不要です。
(『縄文人のくらし大研究 衣食住と心をさぐろう!』岡崎 努 PHP研究所 2014年)

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