2018年10月5日金曜日

通院日

今朝は、曇り空でしたが父を病院(内科)に送った後、眼科を受診しました。
診察までの待ち時間に読んでいたのは「BRUTUS NO.879
発病前は、好きな特集があると購入していた(^-^)
今回、欲しくなったのは幡野広志さんの
ブログ記事「旅のはじまりと目的。」を読んだから。
BRUTUSの「知床/写真家2人、ヒグマを探す旅。」を読みながらそうだなと思ったのは…

「ぼくは(幡野)ちいさなミラーレスカメラに55mmのレンズ、
鈴木心はさらに小さなカメラに35mmのレンズ。
レンズのmm数が大きくなるほど、遠くのものが撮影できる。
二人ともレンズは一本だけ、予備のカメラも予備のバッテリーもない。
雑誌の企画でヒグマを目的に来た写真家が
選ぶ機材ではないようにように思われるかもしれないけど、最大の目的は旅なのだ。
旅するときにどんな機材を選ぶかという視点で、機材を選択した。
波がレンズについて曇る、
その曇りを拭かずに撮影することがぼくの見ている世界であり旅なのだ。
 ほぼ確実に見られるはずの漁船クルーズでヒグマを見ることができなかった。
下船後、ぼくカメラも鈴木心のカメラも調子が悪い。
海水をかぶりすぎた。
もしもカメラが壊れたら、コンビニで写ルンですを買えばいい。
ヒグマが見られないことも、カメラの調子が悪くなることも感動なのだ。
予想外が起きることも日常生活ではトラブルかもしれないけど、
トラブルを楽しむことや解決することが旅では大切だ。
きっと日常生活だってそうするべきなんだ。」(BRUTUS NO.879


1時間ほどのリハビリ散歩の時に、
70~300mmズームレンズで鳥などを撮影していますが
町歩きの時は、24mmレンズなどで撮影しています。
望遠レンズがあればいいなと思うときもあるけれど、
体力がないので単体レンズで歩くようにしています。
本当は、インスタントカメラにメモリー機能がついていたら即購入なんだけどな…
素敵な「人間関係」
以前、情熱大陸で熊谷和徳さんが取り上げられていました(2018年03月18日放送)。
熊谷和(くまがい にき)さんの将来の夢は「妖精研究家」だそうです(o^^o)

1984年(昭和59年)に出た倉嶋厚さんの本ですが、
古さを感じない(原文通りではありません)。

大型台風、痛烈な教訓
 昭和になってから死者1000人以上の大災害を起こした台風を列記すると次のようになる。

 室戸台風   昭和9年9月21日  死者3036人
 16号台風   昭和17年8月27日  同1168人
 枕崎台風   昭和20年9月17日  同3130人
 カスリン台風 昭和22年9月15日  同1417人
 洞爺丸台風  昭和29年9月26日  同1761人
 狩野川台風  昭和33年9月26日  同1269人
 伊勢湾台風  昭和34年9月26日  同5098人

 これらの台風は、それぞれの時点で、
日本の気象事業や防災対策に痛烈な教訓を与えた。
 昭和9年9月21日午前6時、超大型の台風の中心が
室戸岬を通り過ぎて徳島付近にあったのに、大阪の風速は6メートルだった。
いまでは考えられないことだが、
当時の子供たちは「あらしの前の静けさ」の中を登校した。
7時20分、14メートル、8時、30メートル、
そして8時3分、瞬間風速が60メートルを超えた時、鉄塔が倒れ、風速計が壊れた。
大阪府下の死者1812人、うち生徒児童676人、教職員28人。
この台風を契機に、現在の気象注意報・警報制度の原形が作られた。
 昭和29年9月25日朝、台風15号が中国地方から日本海に抜けた。
防災関係者も気象関係者も、ホッと息を抜いたことは事実であった。
が、台風は日本海で再発達し、猛スピードで北東に進み、
26日夜半、北海道西岸から稚内にかけ抜ける。
26日夕方、函館港を出発した青函連絡船「洞爺丸(とうやまる)」が港外で転覆、
乗客1204人中、1051人、乗組員133人中88人が死者・行方不明となった。
洞爺丸のほかにも数隻の貨車・客車連絡船が沈没した。
また、北海道では風倒木災害8000万石、
岩内大火(3300戸焼失、死者63人)が起こっている。
洞爺丸事故は社会問題化し、函館海難審判庁で審判が行われた。
最終裁決で気象台の責任は問われなかったが、
気象情報のあり方に多くの問題点があることは明白になった。
翌々年の昭和31年7月、中央気象台が気象庁に昇格され、
気象事業の充実がはかれた原因の一つは、この洞爺丸事故であった。
 国鉄の元の運転局長、鈴木宏さんの文章によれば、安全に対する考え方は
「昭和29年の洞爺丸事故を契機に国鉄においては大きな転換があった」という。
それまでは「遅れ」や「運休」を出さないことがほめられたが、
それ以後は、安全のためにとった措置は、
慎重すぎたとしても当事者の責任は絶対に追求せず、
逆に結果的には大事にならなかったとしても、予防処置として不十分な場合は、
その責任をきびしく追及するなど、頭の切りかえが行われた、
と鈴木さんは書いておられる。
 昭和34年9月26日、伊勢湾台風の起こした高潮によって、
伊勢湾沿岸だけで一夜に3674人の方が死亡した。
事後の調査では、気象警報に迅速に反応した市町村と、
無視した市町村では死者数にケタ違いの差があることがわかった。
また、被害者の多くは、危険地帯に住んでいることを知らなかった。
そして総合的な国および地域の防災計画が必要なことが認識され、
昭和36年に災害対策基本法が制定された。
 私には洞爺丸事故も伊勢湾台風も、つい昨日のことのように思える。
が、洞爺丸台風からすでに20年以上も年月が経過している。
若い気象技術者には、あの台風は初老の予報官が語る昔話になっている。
しかし、洞爺丸型の台風は、その後も北海道付近を通っている。
ただ、事故を起こさなかっただけである。
そして、この夏、そのような台風が来ないという保証はない。
(『暮しの気象学』倉嶋厚 草思社 1984年)

台風21号は、初めそよ風位だったのがいきなり強風になり室戸台風を連想しました。
嵐の前の静けさ」ってこれなんだと痛感しました。
80年前に大阪を襲った室戸台風」(大阪歴史博物館)
台風25号は日本海を進むようですが、
りんご台風(台風19号 1991年)の時もよく似たコースでした。
洞爺丸台風」(気象庁)

そうだったのか!?計画運休

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