2018年10月26日金曜日

北浜 道修町

平野町公証役場へ出かけました。
というのは遺言書の作成をしました。
2011年に心筋梗塞と肺炎を併発したときに
主治医から突然死の危険性があるとの話を聞いてました。
2013年には腸からの出血で入院
2016年に皮膚癌の摘出手術
そして今年4月に胆のうの摘出手術を受けたので
終活をしないといけないなと思いました。
義弟と母の死後、さまざまな手続きで父や妹が苦労していました。
自分のことで家族に迷惑をあまりかけたくないので
動ける間に遺言書を作成したいと決心したのです。
天気が良かったのでちょっと歩きたくなりました。

春琴抄の碑
      菊原初子書
          百一歳
『春琴抄』(昭和8年・1933)は、
谷崎潤一郎が道修町(どしょうまち)を舞台に借りて、
松子夫人に対する思慕を、架空の人物
――幼時に失明した琴三絃の天才春琴と、
彼女に献身的に仕える佐助に託して創作した、日本近代文学史上屈指の名作である。
 菊原初子師は、谷崎邸への出稽古に、父菊原琴治検校の手を引いて行った。
その父娘のことが、作品に生かされているという。
当年百一歳、地唄筝曲(そうきょく)の人間国宝で、
かつて一丁北の伏見町から、集英(現開平)小学校に通った人である。
  三島佑一 記(前四天王寺国際仏教大学教授)

 平成12年10月吉日建碑
   道修町資料保存会
細い参道に、こんな掲示が

神虎(張子の虎)の由来
文政5年(1822)に大坂でコレラが流行したとき、
道修町の薬種仲間が疫病除けの薬として
「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさつきうおうえん)」という丸薬をつくり、
合わせて「神虎」のお守りをつくって神前で祈願した後、
施与したことに由来するといわれています。
虎は古来より、邪を祓い鬼を退治するといわれており、
大坂の郷土玩具である張子細工で虎をつくりお守りとしたのです。
現在では万病平癒・無病息災のお守りとされています。
神農さんの名で呼ばれる少彦名神社

神農(しんのう)さん 少彦名神社略記(すくなひこなじんじゃりゃっき)
 本殿・拝殿 国登録有形文化財指定

御祭神
少彦名命…日本の薬祖神
神農氏…古代中国で特に農耕、医薬、交易を司った。

御神徳
薬、医療、健康、温泉、国土開拓、造酒の神として古くから言われているが、
特に薬の神、健康増進の神として御神徳が発揚されている。

例祭日
神農祭(大祭)毎年11月22日~23日
昔から大阪の一年間の祭りは正月の「ゑびす祭り」で始まり、
当社の「神農祭」で終わるため、別名「とめの祭り」とも言われ、
大阪年中行事の一つに数えられている。
月例祭 毎月1日、15日、23日
献湯祭 毎月23日

御鎮座
道修町(どしょうまち)には、明暦4年(1658)頃から薬種商が集まっており、
享保7年(1722)124軒が幕府より道修町薬種中買仲間として公認された。
この仲間が生命に関する薬を神の御加護のもとに間違いなく取り扱えるよう、
中国の薬祖神・神農氏と共に、安永9年(1780)京都・五条天神から
少彦名命をお招きして、仲間会所(現在地)にお祀りした。

張子の虎
(…略…)

注連柱(しめばしら 参道入口正面)の文字について
定給療病方咸蒙 其恩頼 
正二位伯爵 源通禧(みなもと みちとも 東久世 通禧)
やまいをおさむるのりをさだめたまひ みなそのみたまのふゆをかがふれり
 (出典 日本書紀巻一 神代 上)

母が生前、神農さんにお参りしたと話していました
(北浜で働いていたことがあります)。
トラが迎えてくれるのはタイガースの資料館ではありません(^_-)
くすりの道修町資料館」です。
鍾馗(しょうき)人形
鍾馗は、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神で
日本では、魔除け、疱瘡(ほうそう)除けや学業成就に効験があるとされ、
旗、屏風、掛軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗像を載せたりする。
江戸時代によく使われていた唐薬種

道修町と薬種商
豊臣時代、北船場の地域は長崎からの輸入品を扱う貿易商の町でした。
中国から輸入された唐薬種(とうやくしゅ 漢薬 かんやく)を商う人たちが、
しだいに東横堀(ひがしよこぼり)の平野橋(ひらのばし)辺りから
北側の道修町へ移っていったと考えられます。
その契機は、寛永(かんえい)年間(1624~1644)に堺の商人小西吉右衛門(きちえもん)が、
道修町1丁目に薬種屋を開いたこととされています。
道修町が現在のように「くすりの町」として知られるようになったのは、
八代将軍徳川吉宗の享保7年(1722)以降のこと。
道修町薬種中買仲間が株仲間として組織され、
諸薬種を吟味(検査)のうえ適正価格を付けて、
独占的に全国に供給するようになってからのことです。
明治に入ってから西洋薬が主流となりました。
当初は神戸・横浜の外国商館からの輸入でしたが、
明治中期には欧米からの直輸入が始まりました。
一方、道修町薬種商たちは共同の薬品試験所の設置や、
製薬事業にも着手し始めます。
その多くは薬種問屋から製薬企業へと発展してきました。
今ではくすりのみならず医療、健康関連産業の分野にも
進出してさらに躍進を続けています。
大阪会議開催の地

この料亭で井上馨、五代友厚の周旋により、1875年(明治8)
大久保利通・木戸孝允・板垣退助・伊藤博文らが会談をしています。
花外楼の歴史」にある「大阪会議とは」を参照してください。
花外楼は、高級なお店なのでテクテク歩き続けて天満橋にやってきました。
今朝の新聞を見て気になっていた広告があったので書店を探すと
家族のためのユマニチュード』を見つけました。
ユマニチュードについては、以前から知っていましたが本を読むのは初めてです。
ガッテン!「認知症の人が劇的変化! “アイコンタクト”パワー全開SP」で
ユマニチュードが紹介されていました。
再放送は今夜の午前0時25分からです。
この本は、介護をする家族のために書かれていてイラストも多く読みやすいと思います。
読んだ後は、看護師をしている姪にあげようと思っています。
その後、上の階に上がって「蔵元個室 薩摩ごかもん」で
日替わりランチを食べました(^-^)

2 件のコメント:

  1. こんばんは~

    >終活をしないといけないなと思いました。
    最近、とみに考えることが多くなっています。
    そして、考えているだけでは事が進まない、出来ることから少しずつ事を運ばねば。
    とも、思っています。
    kaseさんは、ちゃんと行動されているんですね。
    えらいです。
    私は、今のところお姑さんや母親の色々を思案中です。(^-^;

    道修町の街歩きはいいですね。
    「せごどん」や「朝が来た」を見ているので、「花外楼の歴史」には、とても関心があります。

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    1. カイさんおはようございます(*^O^*)/
      心筋梗塞を発病した後は、切実に考えなかったのですが
      腸からの出血、皮膚癌、胆のう炎など重なり
      地震に台風と終活を考えないといけないなと思っていた時に
      母が亡くなったときにお世話になった銀行の方が
      声をかけてくださいました。
      遺言書は必要だと思っても知識がないと二の足を踏みますよね…

      カイさんも道修町周辺で働いておられたこともあるので
      五代友厚ゆかりの地でもあり近くには適塾もあってビジネス街ですが興味深い地です。

      今日は、これからクラス会に行きます。
      高校時代の級友に会えるのを楽しみにしてます。
      今回は幹事が日帰りの人も参加できるように大阪府内で会場を見つけてくれました。
      女子のみなさんは3年前の犬鳴き温泉では遅くまで話題が尽きなかったようで
      朝は、みなさん寝不足でしたが
      σ(^_^;は早寝早起きになると思います。

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