2018年10月6日土曜日

天気予報では…

天気予報では、曇りのち晴れだったのですが
台風の影響か?ザーッと本降りの雨(ーー;)
傘を持っていない人が多かったです。
売店の庇で雨宿りをしている方と少し立ち話。
山のエリアだったら東屋などの休憩所が点々とあるので助かるのにと…
休憩所でカメラをザックにしまったりすることもできました。
今日は、撮影するよりもカメラを抱えて歩く時間が多かったです。
少し、青空が見えたけどすぐに本降りになりました。
年配の女性の方と立ち話。
公園の整備にスタッフ(指定業者)の皆さんは頑張っているけど
大阪市の職員の姿は見ませんねと
万博のテーマが健康なんだけど、
病気の予防のためにこういう公園などが必要なのに業者任せになっている。
また、依存症を増やすだけのカジノを誘致するなんて
言っていることは、信じられませんと仰っていた。
  妻思い、台風に女性名
 5月13日(昭和53年)の北海道新聞夕刊に
「〝リブ〟に抗議され、米は台風に男性名」という記事がのっており、
米国商務省・大洋大気局(日本の気象庁に相当。
米国の気象事業は商務省の管轄である)のフランク局長が、
ハリケーンや台風に、これまで女性名をつけていたが、
今後は男性名も用いる、と発表した、と記されている。
理由は、アメリカの女性団体がハリケーンを女性名で呼ぶのは、
女性差別の現れだ、とこの二、三年強く反対してきたのに、
米国政府がこたえたためらしい。
この記事を読みながら、私は日本の台風が女名前で呼ばれていた時代を思い出していた。
(『暮しの気象学』倉嶋厚 草思社 1984年)
敗戦の昭和20年から昭和27年まで、日本は連合国の占領下にあり、
気象事業もかなり細かい点まで、米極東空軍司令部によって管理されていた。
米国の気象隊では、台風に女性の名をつけて警報を行う伝統があった。
そして中央気象台も、これに従って台風を女性名で呼び始めたのであった。
昭和22年9月、利根川と荒川の堤防を決壊させ、
関東平野を一面の泥海にしたカスリーン台風、
24年8月、東京の下町を高潮で水びたしにしたキティ台風、
25年9月、大阪湾に高潮を起こしたジェーン台風など、
戦後の荒廃した国土をあばれまわった台風は、
ほとんどすべて、アメリカ女性の名で、人びとの記憶に残っている。
なぜ、台風は女性名なのか。
フランク局長によれば、その由来は不明であるが、
飛行機や船に昔から女性の名前をつけたことに関係があるらしいという。
(『暮しの気象学』倉嶋厚 草思社 1984年)
たぶん、昭和49年のことだったと思うが、
米国ウィスコンシン大学のブライソン博士が来日し、夕食を一緒にとったことがあった。
ブライソン博士は世界の異常気象の研究、とくに気候寒冷化説の提唱者として、
その方面では有名な学者である。
雑談の折、台風の女性名の由来をたずねてみた。
「ハリケーンのことは知らないが、台風の命名は私たちが始めたんだ。
 私は大戦末期、サイパンの気象隊の将校だった。
 次々に通る台風に故国の恋人や妻の名前をつけて情報を出していたんだよ」
――ブライソンはそう語りながら、隣の奥さんと顔を見合わせて笑った。
私は「そうか。この男はあの時、海をへだてた向こう側で軍服を着ていたのか」と
不思議な気持になっていた。
私自身も、気象技術官養成所を卒業後、約1年の短い期間であったが、
海軍航空隊の気象将校を務めていたのである。
(『暮しの気象学』倉嶋厚 草思社 1984年)
中央気象台が「台風の呼び名を外国女性名から発生順番号に変える」と発表したのは、
講和条約発効の翌年の昭和28年6月のことである。
「もう独立国なのだから、なにもアメリカの女の名を使わなくても――」
という声が各方面で起こったため、と聞いているが、
当時は予報官になっていない下働きだったので、くわしいことは知らない。
が、予報官室では「日本の女の名にしたらどうか。〝まゆみ〟とか〝おてい〟とか」
「サクラ、スミレ、タンポポなどはどうかな」
「ハヤブサ、タカ、ツバメなんかもいいぞ」などと、
いっとき、議論の花が咲いたものだった。
が、考えてみると、防災のために闘うべき相手が、
台風「まゆみ」では、やはりうまくない。
 台風のアメリカ女性名は、国内向けに使わなくなったが、
気象庁は国際的な海上警報には現在も使用しており、
たとえば昭和50年8月、石狩川洪水を起こした台風第6号は「リタ Rita 」であった。
米国大洋大気局では「中部、西部太平洋の台風にも、
日本など関係各国と協議したうえで、男性名を使う意向」と記事にある。
やがて日本へも〝男の台風〟が襲うことになる。
(『暮しの気象学』倉嶋厚 草思社 1984年)

カスリーン台風(昭和22年・1947年9月14日~9月15日)」(気象庁)
現在の命名の方法になったのは平成12年(2000年)からです。
台風の番号の付け方と命名の方法」(気象庁)

過去の台風の番号と名前の対応表(1951年から1999年まで)」(気象庁)
昭和29年(1954年)の洞爺丸台風の国際名は「Marie(マリー)」。
名前のついた台風」(日本気象協会)

帰る頃に小雨からほぼ止んでくれた。
でも、風が吹いているのになんか一気に蒸し暑くなった(゜o゜;)
これも台風の影響かな?
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