2023年2月16日木曜日

曇り空で…

天気予報で今日のポイントは「寒さが続く」とのこと。
曇り空で日ざしがなく風が冷たかったです。
今朝の朝ドラ「舞いあがれ!」

史子さんが本歌取りと指摘した貴司さんの恋の歌

 君が行く新たな道を照らすように千億の星に頼んでおいた

本歌が

 君が行く
 道の長手を
 繰り畳ね
 焼き滅ばさむ
 天の火もがも

     狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)

本歌の方を2018年8月30日に折口信夫の『口訳万葉集(下)』から紹介しているのだけど
史子さんが指摘するまで気がつかなかったなぁ…
別の記事でも狭野茅上娘子の歌を2018年8月26日に紹介しているのに…(^^;
中臣宅守(なかとみのやかもり)
狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)

  中臣朝臣宅守(なかとみのあそんやかもり)と狭野弟上娘子(さののおとがみをとめ)とが贈答(ぞうたふ)せる歌
君が行(ゆ)く 道の長手(ながて)を 繰(く)り畳(たた)ね 焼き滅ぼさむ 天(あめ)の火もがも (巻15・3724)

(いのち)あらば 逢(あ)ふこともあらむ 我(わ)が故(ゆゑ)に はだな思ひそ 命(いのち)だに経(へ) (3745)

(あ)が身(み)こそ 関山(せきやま)越えて ここにあらめ 心は妹(いも)に 寄(よ)りにしもを (3757)

(わ)が背子(せこ)が 帰(かへ)り来(き)まさむ 時(とき)のため 命残(いのちのこ)さむ 忘(わす)れたまふな (3774)
 
(わ)がやどの 花橘(はなたちばな)は いたづらに 散(ち)りか過(す)ぐらむ 見る人もなし (3779)
(『万葉集鑑賞事典』神野志隆光編 講談社学術文庫 2010年)
 《歌意

あなたが行く長い道を手繰りたたんで、焼き滅ぼす天の火が欲しい。 (3724)

命があったらまた逢うこともありましょう。私のことでひどく心を痛めないで下さい。命だけでも永らえたら。 (3745)

自分の身は関や山を越えてここにあろうが、心は愛しいおまえにぴったり寄り添ってしまったのに。 (3757)

愛しいあなたがお帰りになる時のために、命を残しておきましょう。どうぞお忘れにならないで下さい。 (3774)

我が家の庭の橘の花は、むなしく散っていることだろう。見る人もなく。 (3779)
 《鑑賞

 巻15は、前半が遣新羅使人の歌45首、後半がこの中臣宅守と狭野弟上娘子(写本によっては茅上<ちがみ>娘子とも)の贈答63首で構成されている。
万葉集の目録によると、宅守が蔵部女嬬(にょじゅ)であった弟上娘子と結婚した時、勅によって流罪と断じられ、越前(3770歌によれば味真野<あじまの>。現在の福井県越前市)に配された。
配流の理由は明らかでないが、天平12(740)年6月の大赦でも、赦す者の数に入れないとの記事が続日本紀にある。
贈答は四群に分けられ、「花鳥の寄せて思ひを陳(の)ぶ」と注する宅守の独詠7首が最後に付く。
 3724歌は、「娘子、別れに臨みて作る歌」と注される冒頭4首の第2首。
万葉集中にも稀なほど激しく、また特異な発想を持つ歌である。
「天の火」は、漢語「天火」の翻読語と見られる。
『春秋左氏伝』に「凡そ火は、人火を火と曰い、天火を災と曰う。」(宣公16年)、『史記』に「天火、雒陽東宮大殿の城室を燔(や)く」(孝景本紀3年正月乙巳)とある。
「災」は、日本書紀にも、讒言された馬飼歌依(うまかいのうたより)が「若(も)し是実(これまこと)ならば必ず天災を被らん」と言挙げし、拷問のために死んだ直後に「殿に災あ」ったなどと見える(欽明23年6月)。
これらによれば、「天の火」は、人の悪行に対する天罰なのであり、娘子が夫の流刑に強い憤りを感じていたことが窺われよう。
「滅ぼさむ」という集中唯一の表現も、その憤慨に応じたものである。
それゆえ、第四句と末句とは不可分の関係にある。
「道の長手を繰り畳ね」が直接「天の火もがも」と関わらないために、第四句で句切れになると見る説もあるが、「焼き滅ばさむ」の勢いはやはり「天の火」に続いてゆくとした方が自然だろう。
 3745歌は、娘子による答歌9首(第二群)の冒頭歌。
宅守は既に配所に到着している。
その宅守から贈歌14首の中に「命(いのち)をし 全(また)くしあらば あり衣(きぬ)の ありて後(のち)にも 逢(あ)はざらめやも」(命さえ無事であったならば〔あり衣の〕こうしてあり続けて後に逢えないことがあろうか。きっと逢えるだろう)(3741)があった。
また「あかねさす 昼(ひる)は物思(ものも)ひ ぬばたまの 夜(よる)はすがらに 音(ね)のみし泣(な)かゆ)」(3732)、「我妹子(わぎもこ)に 恋(こ)ふるに我(あれ)は たまきはる 短(みじか)き命(いのち)も 惜(を)しけくもなし」(3744)などとも歌っている。
当該歌は、3741歌に同調しつつ、思いつめて命も落としかねない夫の身を案ずる。
しかし末句「命だに経ば」の念の押し方は、かえって娘子自身の生命の危うさを感じさせよう。
娘子の9首の中にも、「恋(こ)ひ死(し)なぬとに」(3747~3748)、「現(うつ)しけめやも」(「正気でいられようか」の意)(3752)、「思(おも)ひ乱れて」(3753)といった語句が目立つ。
 3757歌は、第三群の宅守の贈歌。
この群には、「山川(やまかは)を 中に隔(へな)りて 遠(とほ)くとも 心を近く 思(おも)ほせ我妹(わぎも)」(3764)など、当該歌と同様、二人の間に横たわる距離を嘆く歌が多い。
また「さすだけの 大宮人(おほみやひと)は 今(いま)もかも 人(ひと)なぶりのみ 好(この)みたるらむ」(〔さすだけの〕大宮人は今も、人を辱めるころばかり好んでいるのだろう)(3758)といった呪詛めいた歌もあり、前掲の3744歌のような切迫した調子の歌は少なくなっている。
 しかし娘子の方はそうではなかった。
3774歌は第三群の答歌8首の末尾。
8首の中に「帰(かへ)りける 人来(ひときた)れりと 言(い)ひしかば ほとほと死(し)にき 君(きみ)かと思ひて」(帰ってくる人が到着したと言うので、もう少しで死ぬところでした。あなたかと思って)(3772)がある。
「帰りける人」は穂積老(ほづみのおゆ)ら恩赦に浴した人々。
夫が帰還する喜びに死にそうになるならば、早合点だったと知った時の落胆もまた死なんばかりであったろう。
当該歌は、その中で、いつか帰京がかなう日まで、希望をつなぎ、命を残そうと言うでのある。
 二人のその後は、はっきりとは語られていない。
しかし以上のような娘子の歌の傾向、そして最後が宅守の独詠で終わっていることは、既に指摘のあるように、あるいは娘子の死が暗示されているのかも知れない。
特に独詠歌冒頭の3779歌にはその色彩が強い。
橘の落花に人の死を比喩する歌には、大伴旅人の「橘の 花散る里に 霍公鳥(ほととぎす) 片恋(かたこひ)しつつ 鳴く日しそ多(おほ)き」(巻8・1473)があり、空しく散る花の背後に、見るべき人の死を示すことは、笠金村の志貴皇子挽歌(巻2・231、前出)に見える。
 この贈答は、物語的に構成されており、どこまでが事実か、どの歌が二人の実作なのか、定かでない。
しかし「命」や「死」が、恋歌のレトリックを超えて、真実の意味を持った歌として、極限状況に置かれた二人の贈答が享受されたのは確かであろう。
(『万葉集鑑賞事典』神野志隆光編 講談社学術文庫 2010年)

狭野茅上娘子(弟上娘子)の歌がこれからどんな意味をもってくるかのかなぁ?(伏線?)
明日のあさイチ「プレミアムトーク 赤楚衛二」なんだけど赤楚さん大丈夫かな?
司会者も視聴者も聞きたいことがいっぱいで、手ぐすねして待っているだろうなぁ(^_-)
福原遥さんは3月31日が金曜日なんだけど、出演するのかなぁ…
今朝の父の一枚です(^^)/

アオジ(青鵐)
 アオジもクロジも姿がかわいらしいので、
親愛の情を込めて「児」とつけられたのだろう。


 アオジの漢字名は青鵐または嵩鵐。
鵐は巫と鳥を合わせた国字で「しとど」と読む。
青はアオアシシギの項(10頁)に記した緑の意。
嵩は「よもぎ餅」にするヨモギの色のこと。
 「しとど」はホオジロ類の古称。
すなわちアオジの漢字名は「緑色のしとど」の意。
「しとど」の語源については150頁に解説した。
 アオジのジは鳥を表す接尾語といわれている。
私の考えでは、ジは、メジロの別名「繍眼児」と同じ児であり、小鳥に対する親しみを込めた呼称だろう。
…後略…
(『野鳥の名前 名前の由来と語源』文:安部直哉、写真:叶内拓哉 ヤマケイ文庫 2019年)