2023年2月6日月曜日

この暖かさは…

春のような暖かい朝
でも、水浴びをする勇気はないです(^_-)

奈良 室町時代の茶人村田珠光にちなんだ茶会 3年ぶりに」(奈良NHK)

一休と茶の湯」(一休さんのくにプロジェクト 堅田観光協会)
再放送があるので見てほしい番組(「見逃し配信」もあります)。

ドキュメント72時間「奄美大島 FMラジオを聴きながら
戦前、父の時代も方言札がありました。
母も方言札のことを話していました。
現在でも方言や訛りを揶揄する人がいますね…

Dearaにっぽん「ばばちゃんたちのそば~山形・鶴岡~
ばばちゃんたちの方言を聞いていると温かな気持ちになります。
苦労した人たちの人生哲学が勇気を与えてくれる。

NNNドキュメント’23「はなちゃんのみそ汁 父娘で歩んだ15年
はなちゃんが二十歳になったんだ…
米本土飛行の中国気球を撃墜 残骸回収し解明へ」(NHK)
中国は「アメリカ側が武力でわが国の民間の無人飛行船を襲撃したのは明らかに過剰反応だ。
アメリカ側のやり方に厳重に抗議し、必要な手段を使って類似の状況に対処する権利を留保する

としていますが、企業名を発表しないということは、中国軍と関連があるのでしょう。
以下の論考が参考になると思います。
習近平完敗か? 気球めぐり」(遠藤誉 2月5日)

かつて日本軍が風船爆弾を米国に向けて飛ばしたことがあります。
風船爆弾 東へ」(2007年夏~関東5紙共同企画)

戦時中、天気予報は発表されませんでした。

秘密だった気象観測 職員たちの苦悩」(NHK 2017年8月15日)
第十回 愛すべき人間
  仁和持章段の面白さ


『徒然草』の中に、「仁和寺(にんなじ)章段」と総称できる、連続する三つの章段がある。
どれも仁和寺の僧侶たちの失敗談である。
その失敗の原因は、人間の心のあり方と深く結びついており、単なる滑稽な話で終わっていない。
ちなみに、兼好は仁和寺の近くの双(ならび)ヶ岡(おか)の麓に、草庵を結んで隠栖していた、と伝えられている。 
(「批評文学としての『枕草子』『徒然草』」島内裕子 NHK出版 2019年)
 最初の第五十二段は、石清水八幡(いわしみずはちまん)の本体(本殿)が男山(おとこやま)の上にあるのを知らず、麓の末社を拝んだだけで帰ってきた僧侶の話である。
内容を要約して紹介しよう。
 仁和寺の法師が、年を取るまで、石清水八幡宮にお詣りしたことがなかったので、ある時、思い立って、ただ一人、徒歩でお詣りした。
八幡宮のある男山の麓にあった極楽寺(ごくらくじ)・高良社(こうらしゃ)などの付属寺院や末社だけを拝んで、帰ってきた。
そして、同僚に向かって、「やっと年来の宿願を果たしました。参詣している人々が皆、山に登っていたのは、何がそこにあるのか知りたく思いましたが、神にお詣りするのが今回の一番大切な目的ですから、山の上には登りませんでした」と言ったという話である。
 古くから平安京の守りとして、また武士たちの帰依(きえ)も篤(あつ)い石清水八幡のことを知らなかったのは迂闊(うかつ)だが、たった一人、徒歩で参詣したこの法師には、どこか孤独な影がある。
そして、ようやく宿願の参詣を果たしえた安堵(あんど)からであろうか、ほっとして、初めて自分の行動を人々に披露した。
それを聞いた周りの人々の反応を書かずに、兼好は末尾を、「少しの事も、先達(せんだち)は、あらまほしき事なり」(ちょっとしたことにも、そのことに通じた先輩がいてほしいものである)という、格言のような短い文章で語り納めている。
 この筆法は、法師に対するこまやかな配慮のように感じる。
また、一個人の失敗談を超えて、誰しもが陥りがちな無知や勘違いに対する警告を、自分を含めて発しているようでもある。
 このような書きぶりは、すでに第四十一段の賀茂の競べ馬の所でも、木の枝の上で居眠りする僧侶のことを嘲笑する人々に対して、いや、自分たちも同じ愚かさを持っていると言わずにはいられなかった兼好の心の水脈と、深く繋がっているとわたしは思う。
 次の第五十三段の失敗談は、周りの人々に対して、座を盛り上げ、拍手喝采を受けたいというような気持ちから生じた、思いがけない事故の顚末(てんまつ)である。
場面展開があって、情景が変化してゆく長い段であるが、内容を要約して紹介したい。
 これも仁和寺の法師の話であるが、稚児(ちご)が法師になるというので、そのお別れに、皆で宴会をしたことがあった。
そのとき、ある法師が酔って座興の余り、無理に鼻を押しつけて平らにして、鼎(かなえ)の中にすっぽり頭を入れて、座敷の中へ躍り出て舞ったので、そこにいた皆が非常に面白がった。
 しばらく舞ってから、さて鼎を引き抜こうとすると、まったく抜けない。
酒宴も急に白けて、皆が困惑するうちに、首の周りがひどく腫(は)れてきて、息も詰まって苦しいので、鼎を割って毀(こわ)そうとするが、がんがん響いて耐えがたいので、それ以上叩き割ることもできず、万事休すとなってしまった。
鼎の三本の脚(あし)が上を向いて、角(つの)が生えたように見えるので、帷子(かたびら<一重(ひとえ)の着物>)を掛けて、京都の町中(まちなか)の医師のところに連れて行くその道すがら、人々が怪しんでみることといったら限りもない。
 さて、京都の医師の家に入って、法師が何かしゃべっても、くぐもり声に響いてしまい、医師には聞きとれない。
「こんなことは、医学の本にも出ていないし、こういうときの処方箋の言い伝えもない」と医師が言って匙(さじ)を投げたので、また仁和寺に空しく帰ってきて、親しい者や老母など、枕元に集まって座り、泣き悲しむが、本人に聞こえているようにも思えない。
 そうこうするうちに、ある者が言うには、「たとえ怪我をしても、命だけはきっと助かる。ただ力一杯に、鼎を引き抜きなさい」と言うので、藁(わら)しべを首の周りに差し入れ、首もちぎれるほど強く引っ張ったところ、耳や鼻に大怪我をしたものの、命だけは助かった。
その後、長い間、病に臥していた、という話である。
 この段の特徴は、次々と変化する場面が、ありありと描写されていることである。
 江戸時代以来、『徒然草』が多くの読者を獲得して高い人気を誇ったのは、平安時代の古典文学と比べて、格段に簡潔・平易に内容が理解できる文体で書かれていたからだろう。
『徒然草』の文章には、人生の真理を洞察する明晰さのみならず、人間味が感じられる。
そのような文体で書かれている『徒然草』は、時代や身分という枠組みを、やすやすと超える軽快さを持っている。
『徒然草』の魅力の基盤は、このような親しみやすさにあるとわたしは思う。
 さて、この第五十三段には、まとめの一言が書かれていないが、それは仁和寺章段の三つ目の第五十四段の最後に書かれている、「余りに興有(きょうあ)らむとする事は、必ず、あいなき物なり」と繋がっているのである。
「あいなし」は、不都合であるとか、面白みがない、などという意味である。
あまりに趣向を凝らして面白くしようとすると、必ず詰まらぬことになる、というのだ。
ちなみに、第五十四段は、仁和寺の僧侶たちが、稚児を誘って野遊びをする趣向として、あらかじめ弁当を隠しておいたが、それが盗まれて喧嘩となったという話である。
 これら、三つの「仁和寺章段」はどれも根本には、人間の心のあり方を描いている。
兼好は、人間の言動をよく観察し、その背後にある生身の人間を見極めている。
それだけでなく、人間存在への共感がある。
「批評文学としての『枕草子』『徒然草』」島内裕子 NHK出版 2019年)

徒然草絵抄」(京都大学28-29/120)
今朝の父の一枚です(^^)/
カワラヒワ(アトリ科)を写していました。

 アトリ・ヒワの仲間

 アトリ科の仲間はアトリ類とヒワ類に分けられる。
ヒワ類は体が太めでずんぐりして見えるものが多く、かなり植物食に適したくちばしをしている。
固い種子を割るイカルやシメ、小さな草の実や芽を食べるベニマシコやウソなど、同じ太いくちばしでも少しずつ形が違っている。
また、くちばしだけで種子の皮をむいて食べるので、種子を安定して支えられるように、舌の先が手のひらのように平らになっている。
…後略…
(『鳥のおもしろ私生活(旧版)』 ピッキオ編著 主婦と生活社 1997年)