2023年2月18日土曜日

曇り空だったので

一人で公園を歩く時は自転車で向かいますが
 薄曇りだったので、もしかしたら雨が降るかなと思って車で向かいました。
歩いているときは、青空が見えたりしたのだけれど
帰り道、車のフロントガラスにポツポツと雨粒。
万葉集巻第十五

…前略…

 君がゆく道のながてをくりたたね焼きほろぼさむ天(あめ)の火もがも (3724)

  原文(略)

  歌意

 あなたの行かれる道の長い道程をたたんで一まとめにして、焼きほろぼしてくれる天の火があったらよい。そうすればあなたも遠い所へ行かなくてすむであろう。
(『万葉秀歌(五)』久松潜一 講談社学術文庫 1976年)
  解説

『万葉集』の女流歌人のうちで、第一期に額田王(ぬかたのおおきみ)、第三期に坂上郎女(さかのうえのいらつめ)をあげ得るならば、第四期としては笠女郎(かさのいらつめ)と茅上娘子(ちがみのおとめ)とをあげることができる。
  笠女郎と茅上娘子とは第四期の特色である繊細な表現を有しているが、しかもはげしい恋愛の感情を詠じて抒情歌人としてすぐれている。
そうして笠女郎は日常の生活のうちに家持に対するはげしい恋愛を歌っているが、茅上娘子は中臣宅守が遠く流されるという境涯のうちに情熱の歌を詠んでいる。
ちょうど新古今時代の建礼門院右京大夫の歌と近い性質を有する。
茅上娘子はもし幸福な恋愛をし、家庭をつくることができたらこれらの歌を残さなかったかも知れない。
巻十五にある歌は茅上娘子が「臨別作歌」(返り点は省略。以下同じ)四首に対して四首詠み、つぎに宅守の歌十四首に対して娘子の歌九首、宅守の歌十三首に対して娘子の歌八首、つぎに宅守の歌二首に対して娘子の歌二首、さらに宅守の七首で終わっている。
合わせて宅守の歌四十首、茅上娘子二十三首になっている。
宅守の歌が多いのは宅守の方の愛情がより強いことになるかも知れない。
ことに最後の七首には娘子の返歌はなく、また左注にも「中臣朝臣宅守寄花鳥陳思」とあるのは宅守の独詠のようにも見られる。
これらの贈答歌を通して愛情の起伏をも想像することができる。
 この贈答歌の詠まれたばあいについては巻十五の目録に、
  中臣朝臣宅守…(省略)…贈答歌六十三首
とあるので、茅上娘子は蔵部女嬬であり、宅守がそれと結婚したため罪を得て越前国に流されたことがわかる。
娘子の歌の中に「安治麻野に宿れる君が」とあるので越前の場所がわかる。
 また宅守については『続日本紀』天平十二年六月庚午の詔によって大赦があり、流人の穂積朝臣老、多治比真人祖人、名負東人、久米連若女ら5人は赦されて都に上ったが、大原采女(うねめ)、勝部鳥女は本郷に還し、小野王、日奉弟日女、石上乙麻呂、牟礼大野、中臣宅守、飽海古良比は「不在赦限」として赦されなかった中に入っている。
しかし宅守はその後赦されたのであり、天平宝字7年正月には従六位上から従五位下になっている。
しかし天平12年から天平宝字7年までは23年ほどあるので天平12年が25歳として天平宝字7年には五十前後になっているはずである。
宅守も都に帰った後、茅上娘子と幸福な家庭をつくったかどうかは何とも言えない。
 天平宝字8年には、宅守は乱により除名と中臣系図にあり、再び罪を得たことになる。
茅上娘子は蔵部女嬬とあるので雑用に当たる下級の役であるが、采女(うねめ)のように、自由に結婚をゆるされなかったのに宅守と結婚したことが罪になったのであろう。
石上乙麻呂なども一緒であり、乙麻呂は藤原宇合(うまかい)の未亡人久米連若女と契りを結んだために土佐に流されたのであるが、天平12年の時、そういう男女関係の粛清のために人々が流されたのであったかも知れない。
  語釈(省略)

  鑑賞

 非常に雄大な想像である。
道を一まとめにたたんで天の火で焼いてしまうなど思いもよらない想像である。
それだけに六朝時代の詩文にもありそうな詞句であるが、それほど学問のなさそうな若い女性の歌であるから奔放な空想かも知れない。
八百屋お七が家を焼けばまた寺に行っている男に逢えるかも知れないと思ったのに近いものを感ずる。
それにしても天の火などは中国に出典があるのであるから、そういうのを茅上娘子が聞いていたとも思われる。
誇張があり、また観念的と言えば言えるが、これだけの着想を詠んだ点にこの歌の特異な位置がある。
 命あらば逢ふこともあらむわがゆゑにはたな思ひそ命だにへば(3745)

  原文(略)

  歌意

 命があれば逢うこともありましょう。
わたくしのために、そんなにくよくよして下さいますな。
命だけながらえていればまた逢えましょうから。
  語釈(略)

  鑑賞

 茅上娘子の歌には激しい情熱をたたきつけるような歌もあるが、しみじみとした愛情を詠じた歌もある。
激したり、しんみりしたりするのである。
この歌はしみじみとした感情を歌っている。
茅上娘子の歌を『私注』では「従来此の二人の贈答歌、殊に娘子の作には、讃辞をを惜しまぬ者が多いのであるが、注者は必ずしもそれには賛同しない。巧妙といへば巧妙であるが、純真には遠いものの如く感ぜられる」とある。
この説にも首肯すべき点はあるが、娘子の歌にも純真と言ってもよい歌があると見られる。
こういう系列の歌にはそれが見られる。
 逢はむ日の形見にせよとたわやめの思ひみだれて縫へる衣ぞ (3753)

  原文(略)

  歌意

 また逢う日までの形見にして下さいと思って、か弱い女であるわたくしの心乱れて縫いました衣服でございます。
  語釈(略)

  鑑賞

 前の「命あらば」の歌と同じくやさしい女心の現れた歌である。
心をこめて縫った衣に自分を象徴している。
遠くはなれていてもそばにいると思って下さいという女心は時代を越えて共通するものがある。
そういう優しい女心を表わすにふさわしい韻律が見られる。
母音を多く用い、行音や行音を多く用いているのも、そういう調べを生み出す動機なっている。
終わりの「縫へる衣そ」と「そ」で結んだのは全体をひきしめる効果をあげている。
 帰りける人来れりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて (3772)

  原文(略)

  歌意

 赦されて帰って来た人があると聞きましたので、あなたかと思って、うれしさのあまり、ほとんど死んでしまうかと思いました。
あなたではありませんでしたのに。
  語釈(略)

  鑑賞

 前の二首と異なってはげしい感動を表わしている。
「焼きほろぼさむ天の火」とともに、「ほとほと死にき」は娘子のはげしい情熱をよく表わしている。
またこういうばあい極めてすぐれた表現となっている。
娘子のすぐれた才能をよく表わしている。
しみじみとした情趣の歌とあわせて、娘子の、歌人としてのすぐれた位置が認められる。
笠女郎にしても「皆人をねよと鐘はうつなれど」という歌に対して「相思はぬ人を思ふは大寺の」の歌があることをあげたが、娘子のこの歌には「相思はぬ人を」よりも強い感動が出ている。
それはこの歌が詠まれた環境にもよるであろうが、そういう感動の鼓動さえも聞く思いがする。
(『万葉秀歌(五)』久松潜一 講談社学術文庫 1976年)
この本は、久松潜一氏の「絶筆」だそうです。
『万葉集』の解釈を読み比べると面白いですよ(^^)/