雨の朝でしたが、雨ですんでいると思う。
なんか変だなと思って引き返しました。
枯れ葉を細い枝が突き抜けている…
今までもう少し大きな穴を突き抜けているのを度々見たけど
どうやって突き抜けたのかな?
仮説を立てればいいのだけど…
仮説と言えば昨日の065で「小さなぎもんを みすごすな!仮説小学生」で
「あみだくじは、どうして全員ちがうゴールに着くんか?」事件
が、発生していました!
言われれば確かにどうして全員ちがうゴールに着くのかな?
今朝の0655で、マス田君が答えの寸前まで数学的に解説してくれていました。昨夜のブラタモリ セレクション
「浅間山~江戸時代の大噴火!衝撃の1日に何があった?~」(2023年2月10日)
未だに解明できないことがあるそうです。
「浅間山の溶岩の性質―中学」
第3章 「公共」をめぐるせめぎあい
2 天明浅間山大噴火と天明の飢饉
「天明の飢饉」は、江戸時代でも最大の犠牲者を出した飢饉であった。
飢饉後の人口は、どの地域でも江戸時代の最低を記録する。
各地で食料を求める打ちこわしが起こり、打ちこわしが領主や富裕者の施行を引き出すという「慣行」も広まった。
飢饉を通じて、地域を単位とした新しい救済システムが模索されるようになる。
地域の実態は「村」の連合である。
そのつながりは、領主支配の機構に沿う場合もあれば、それを超える場合もある。
いずれの場合も、領主支配と付かず離れずのかたちで地域の自立的な活動が広がる。
飢饉の原因の一つに、直前に起きた浅間山の噴火があった。
その噴火災害の様子から話を始めてみよう。
(『江戸の災害史 徳川日本の経験に学ぶ』倉地克直 中公新書 2016年) 浅間山大噴火
浅間山は現在でも活潑な活動を続ける活火山の一つだ。
歴史上も何度か大噴火を繰り返しており、江戸時代でもその活動が衰えることはなかった。
天明3年(1783)4月9日浅間山が噴火した。
麓の村では家が地震のように揺れた。
それから1か月半ほどは平穏に過ぎたが、5月26日に再び噴火、三日間続いた。
6月17日に三度目の噴火、その後は断続的に噴火が続き、29日からは連日となった。
7月6日は昼過ぎから爆発が続き、夕方から夜にかけてさらに激しくなった。
麓の村人たちは避難を始めた。
降灰は関東一円に広がった。
7日は北斜面で火砕流が発生、夜から翌8日朝にかけて噴火は最高潮に達した。
中山道(なかせんどう)の軽井沢や沓掛(くつかけ)の宿場に火石が降り、多くの家屋が焼けた。
昼前北麓で発生した火砕流は上野国吾妻(あがつま)郡鎌原(かんばら)村を直撃、瞬時に村を呑(の)み込んだ。
犠牲者は477人。
小高い観音堂に逃れていた老人・女・子ども93人が助かった。 さらに流れ下った火砕流は吾妻川に流れ込み、泥流となった。
土砂が降り積もっていた吾妻山では山津波が起こり、群馬郡南牧(なんもく)村・川島(かわしま)村が壊滅して、2480人余が亡くなった。
山津波は村々を押し潰して大量の土砂を利根川まで流し込み、各所で洪水を彦起こした【口絵1(省略)】。
前橋周辺では1500人ほど亡くなった。
9日になって、噴火はようやく沈静に向かう。 7月11日ごろから村人たちは村に帰り、復旧を始める。
村役人たちはまず被害の状況を領主に報告した。
これを受けて領主の見分役が派遣される。
村人は役人に対して当座の扶持米の支給と年貢の減免を願った。
被害の大きかった吾妻郡の幕府領では、勘定吟味役の根岸九郎左衛門鎮衛(ねぎしくろうざえもんやすもり)がじきじきに廻村し、飢人扶持米として男一人一日米二合、女米一合を60日分支給することとした。
あわせて、農具代も下賜された。
できる限り自力で灰を取り除き、農地を回復させるためであった。
私領分では、川越藩のように農具代・種籾代・建築資材などを下賜する場合もあったが、多くは当座の夫食米を提供するにとどまった。
私領の村人が巡回する幕府役人に直訴(じきそ)する場面も見られたが、幕府は私領の救済は私領主の責任という立場を崩さなかった。 復旧は遅々として進まず、物価も高騰した。
村人の不満も高まった。
9月晦日碓氷(うすい)郡下磯部(しもいそべ)村で打ちこわしが起きる。
村役人が救済を求めて江戸へ出訴中の出来事であった。
10月2日武州・上州の百姓が信州の米屋を打ちこわすという噂が流れ、小田井(おたい)宿に1000人ほど押し寄せた。
百姓たちが米の安売りを要求する書付を差し出したので、炊(た)き出しをして食べさせた。
噂では、岩村田(いわむらだ)宿では12軒が打ちこわされ、佐久(さく)郡では53軒が打ちこわされたということだ。
(『江戸の災害史 徳川日本の経験に学ぶ』倉地克直 中公新書 2016年)〝トルコ大地震 専門家「極めてまれな“双子地震”」〟(NHK 2月7日)
「トルコ大地震 震源地周辺で最大2m超の地盤変動 国土地理院解析」(NHK)
断層が関係しているのですね…
第1章 地震のメカニズム
†地震はどうして起きるか
そもそも地震は、地下の岩盤が広範囲にわたって割れることにより発生しま(図1-4<省略以下同>)。
ここで、割れる際に「断層」が関与します。
断層とは、地下の変動(地震)よって、本来は一続きだった岩盤や地層に割れ目が入ったものを言います。
この割れ目に沿って、両側の岩石が互い違いに移動します。
そこで生じたずれ(破壊)は、地震が終わったあとも長く残るのです。
こうして断層で割れた面が地震を発生する震源域になる、と地球科学者は考えています。
(『京大人気講義 生き抜くための地震学』鎌田浩毅 ちくま新書 2013年) 実は、地震は「震源」となる断層面の一点で起きます(図1-5のA)。
震源とは地下で最初に岩石が割れて地震を起こしはじめた場所を指し、ここから岩盤のずれが生まれるのです。
この震源からずれ(破壊)が四方八方へ拡大してゆき、岩盤を面的に割ってゆきます(図1-5のB)。
すなわち、ある広がりを持って割れた場所が、面積を持った領域という意味を込めて「震源域」と呼んでいるのです。
実際には、震源域とはその中心に震源を持ち、断層面を二次元で表したものです。
そして震源域の端では岩盤のずれは小さくなり、やがてずれがなくなります。
ここまでが震源域の領域です。 さて、この震源域から今度は「地震のエネルギー」が波となって周囲へ伝わります。
これが「地震波(じしんは)」と言われるものです(図1-5のD)。
地震波は縦波と横波の2種類があり、それぞれ速度が異なります(図1-6)。
ここでは波が進む方向を「縦」と呼び、それに直交する方向を「横」と呼んでいます。
縦波は秒速7キロメートルと速く、横波は秒速3キロメートルです。
したがって、同じ震源域から波が発生しても、縦波は横波よりも先に地上へ到達します。
まとめると、地下で発生した断層のずれ現象が地震の原因であり、そこから地震波が地上までやっていて、揺れ=地震動(どう)として観測されるのです。
(『京大人気講義 生き抜くための地震学』鎌田浩毅 ちくま新書 2013年)今朝の父の一枚です(^^)/
ツバキの花びらに斑模様がついているのを見ませんか?
ツバキに残る謎の穴や引っかき傷
メジロは花の蜜が大好きな鳥です。
花の蜜腺に届きやすいよう、クチバシは細く、長くなっています。
舌は管状のストローのような構造で、先がブラシのようになっています。
まさに蜜を吸うために進化したかのような体の構造です。
メジロは、長い爪で花やその周辺につかまり、蜜をなめ取ります。
体が小さく、体重も軽いので、ツバキの花ぐらいのものならば、簡単につかまることができます。
このとき、花に爪を引っかけるので、花びらには穴や傷がつきます。
…後略…
(『身近な「鳥」の生きざま事典』一日一種著 SBクリエイティブ 2021年) 午後から心臓リハビリ。
待ち時間に読んでいたのが『とりかへばや、男と女』
一度読んでいるのですが、最近の政治家の発言を聞いていると
この本は、多くの示唆を与えてくれると思い再読しています。
〝首相 同性婚制度導入めぐる答弁「ネガティブな意味ではない」〟(NHK 2月8日)