2023年2月24日金曜日

雨が降りつづき…

天気予報通り雨が降り続きました。
これからまた寒さが厳しくなるとか…
 短いレンズ(50mm)の時に限って…
チャッチャッと舌打ちしたような笹鳴き(地鳴き)
まだ煩悩から逃れられないようです。
春になると法華経信者になるようですが、もう間もなくかな(^_-)-☆
昭憲皇太后 ◆片野真佐子◆

 国民の前へ


 皇后が本格的に国民の前に姿を現したのは73年である。
皇太后夙子(あさこ<孝明天皇皇后、諡号英照(えいしょう)皇太后>)とともに群馬県豊岡製紙場に行啓し殖産興業を奨励した。
これより前の71年には群馬県の養蚕農家の娘を集めて吹上御苑に蚕室を作った。
76年の東北巡幸からは天皇の送迎も皇后の役目となった。
 他に能楽鑑賞や絵画展などの文化的行事、天皇の遊行などに従い、御所、離宮、学校、皇太后の住む青山御所、臣下の邸などに行啓した。
注目すべきは日本赤十字社総会行啓や東京慈恵病院などへの病院行啓である。
天皇に軍事行幸が多いことを考えると、皇后には性役割として文化・学事・慈善に関わる仕事が課されたといえよう。
前近代には天皇の権威が宮廷文化の大衆への浸透をもって維持されてきたとする最近の研究(脇田晴子『天皇と中世文化』2003)からすれば、皇后のこの役割は注目に値する。
(『岩波 天皇・皇室辞典』原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
 しかし皇后は、度々この枠を踏み越え、軍事的な行事にも、天皇とともに、あるいは天皇の代理として行啓した。
79年、皇后は「扶桑(ふそう)」など新造軍艦の見物に出かけた。
81年には横浜からお召し艦「迅鯨(じんげい)」に乗って水雷艇からの水雷発射を視察、86年には病気の天皇に代わって軍艦「武蔵(むさし)」の進水式に臨席した。
この年は東京赤羽の近衛諸兵の演習を見るなど陸軍関係へも行啓した。
陸軍を好んだ天皇に対して、海軍を好んだようである。
 天皇の子を生まなかった美子は、侍妾の存在を認めた。
天皇は大正天皇の生母となる柳原愛子(やなぎはらなるこ)をはじめ5人の権典侍(ごんてんじ)との間に5皇子10皇女をもうけ、そのうち1皇子4皇女が成人した。
皇后は。87年に第3皇子嘉仁(よしひと<後の大正天皇>)を「儲君(ちょくん)」(実子とみなして皇位継承者とされる)として、実母のような気遣いを示した。
病みがちの嘉仁の平癒祈願のために日蓮宗に帰依したとする説もある。
4皇女も同様に「儲君」とした。
 いわゆる皇室外交にもその才を発揮した。
80年、初の観菊会に天皇と臨席し、88年に来日したフランス王室一族を欧州諸国におけると同様の礼式で接遇して、皇后の外賓謁見次第が確立された。
立憲的帝室の確立を目指す伊藤博文(いとうひろぶみ)と連携してお雇い外国人から西欧王室事情を熱心に学び、天皇に対する憲法進講に同席して学習した。
 86年、皇后は洋装を用いることとなり、翌87年に初めて洋装の大礼服で新年拝賀を受け、ほどなく女子の洋装を奨励する女子服制の思召書を発した。
以後、公式の場で和装をしなかった。
 89年の憲法発布式典と、94年の銀婚式に当たる大婚25周年記念式典では、皇后の姿が日本の近代化を象徴すると多くの国民に受けとめられた。
洋装の皇后は天皇と同じ馬車に乗ってパレードした。
その光景は女性の地位の向上を意味するとおおむね好評だった。
これに前後して、皇后の誕生日を地久節(ちきゅせつ)として天長節(てんちょうせつ)と同様に祝うべきだとする世論が登場した。
 日清戦争当時、皇后は、広島の大本営に天皇を訪問した。
その際、権典侍を連れる配慮を示した。
異例のことであった。
また陸軍病院などを回って負傷兵を慰問した。
日清戦争後は、さすがの皇后も年齢を感じるとする和歌を詠んでいる。
  しかし10年後の日露戦争でも皇后は行動的であった。
天皇が日清戦争の時以上に弱気になったのとは対照的に、勝算なき対露戦に対処するため渡米の密命を受けた金子堅太郎(かねこけんたろう)を訪問しひそかに励ました。
病院訪問や公式行事にも忙しく立ち働いた。
軍事救護にいそしむ愛国婦人会の総会への行啓を日露戦時以降は通例とした。
坂本竜馬(さかもとりょうま)が日本の海軍を守護すると皇后の夢枕に立ったという話は、日本国中を駆け巡り国民の志気を鼓舞した。
 近代的皇后像

 美子は、一夫一婦多妾制の中で近代皇后としての役割を開拓し、女子教育の振興、慈善事業の発展、産業の奨励、洋装化推進などの改革を実践して、殖産興業と富国強兵を旗印とする日本の近代化に貢献した。
つづく皇后たちは、この足跡をほぼ踏襲した。
皇后美子には国母(国民の母)という賞賛が国民の中に広がっていった。
天皇の没後、皇太后となり、青山御所に移った美子は、2年後の1914(大正3)年4月11日に天皇の後を追った。
京都の伏見桃山東陵に祀られ、1920年11月に天皇とともに明治神宮に合祀された。
…後略…
(『岩波 天皇・皇室辞典』原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
今朝の父の一枚です(^^)/
ジョウビタキ♀を写していました。

第4章 飛んで旅をする鳥たち
 渡り鳥を脅かす環境破壊


 長距離を飛び続けるだけでも大変なのに、さらに不測の事態が起こることもあります。
体力が続かなくなったり、天候が荒れたり、天敵に遭遇したりすれば、命にかかわります。
さらに人による環境破壊が、鳥たちの命をかけた渡りに影響を及ぼしているは否めません。
 東アジア・オーストラリア地域フライウェアでは、毎年数百万羽もの渡り鳥がロシア東岸やアラスカの繁殖地を飛び立ち、中国や台湾、韓国、日本などを経由してオーストラリアやニュージーランドに飛来しています。
その移動距離はあまりにも長く、その間で休憩や栄養補給ができる中継地は重要です。
しかし近年、中国などの沿岸部では大規模な工事や埋め立てにより、人工海岸の建設が進み、その長さは万里の長城を超えています。
急速に消えゆく湿地は開発区に姿を変えてGDPに貢献していますが、このルートを通る渡り鳥の数は激減しています。
 他にも、都市化が進んだところでは、夜間の照明が増えて光害となり、夜に飛ぶ渡り鳥にも影響を及ぼしています。
「飛んで火に入る夏の虫」という言葉のとおり、都会の強烈な光に引きつけられた渡り鳥が、高層ビルの窓ガラスに激突して死んでしまうケースがあとを絶たないのです。
また、強い光は渡り鳥の方向感覚を狂わせて、本来の飛行経路を見失わせてしまいます。
(『鳥類学が教えてくれる「鳥」の秘密事典』陳湘靜・林大利著、 牧髙光里訳、今泉忠明監修 SBクリエイティブ 2023年)
午後から心臓リハビリでした。
待ち時間に読んでいたのが『戦争と平和 ある観察[増補新装版]
2015年に出版され2022年に増補新装版が出ました。
この本を知ったのは100分de名著
中井久夫スペシャル (4)精神科医が読み解く「昭和」と「戦争」

冒頭の言葉が

 人類がまだ埋葬していないものの代表は戦争である。
その亡霊は白昼横行しているように見える。


国連総会緊急特別会合 ロシア撤退やウクライナ平和の決議採択」(NHK)