昨日、楽しい神事があったそうです。
〝桜井 大神神社 笑い声で豊作祈る「おんだ祭」〟(奈良NHK 2月6日) 今朝の0655
2月は如月(きさらぎ)~
名前の由来、ご存じですか?
寒くて衣服を更に着ることから「衣更着」になったという説が良く知られていますが、別の説も存在します。
旧暦2月は暖かくなるころのため、春の陽気が更にやって来ることから「気更来(きさらぎ)」。
また、草木が芽を張りだす季節という意味の「草木張月」の読みが変化して「きさらぎ」になったという説もあります。
三つとも知らなかったぁ…(^^ゞ
「かなりくるしい だじゃれ DE 一年間」が続いて流れます(*´▽`*)政党のポスターに「身を切る改革」とあるのだけど、このことだったんだなぁ!
大阪府職労のTwitterに
コロナ事業の打切りを早々に決めた大阪府。
病院のコロナ対応看護師への手当の助成も2月末で打切りに。
5類移行もまだだし、コロナ患者はまだ多いため府立病院は当面独自に対応するとのこと。
「大阪府新型コロナウイルス感染症に係る特殊勤務手当支給事業補助金について」(大阪府)
確かに「切る改革」だ!
「万博会場の建設費 “さらに膨らむのは避けられず” 関経連会長」(NHK 2022年11月7日)
人工島・夢洲の土壌改良にどれだけ予算が膨らむのかな?
〝大阪IR候補地・夢洲の液状化、府・市は当初「ない」と説明…事業者調査でリスク判明〟(読売新聞 2022年3月17日)2月5日の記事で伏見稲荷大社の初午大祭について紹介しました( ..)φ
『枕草子』の「訳」と「評」を転記します
第162段
訳
羨ましいもの。
わたしの場合、お経を誦(よ)み上げることなどを習っても、ひどくたどたどしく誦み間違い、正しい誦み方をつい忘れがちで、何度も何度も繰り返して、同じ所を誦むのに、法師はそれが専門だから当たり前なのだが、お坊さんや尼さんでない男や女が、すらすらとなめらかに、易々(やすやす)とお経を誦むのを聞くにつけ、「わたしがあの人たちのようになるのは、いつの日かしら」と、ふと思って、自分には、とても無理だなあという無力感を感じる。
また、自分が病気になって寝ているのに、健康な他の人が、笑ったり、おしゃべりしたり、何の気懸かりもなさそうに、元気にずんずん歩き回る。
そんな人たちを見ると、とても羨ましい。
(『枕草子 下』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年)
そうそう、歩きに歩くと言えば、こんなことがあった。訳
羨ましいもの。
わたしの場合、お経を誦(よ)み上げることなどを習っても、ひどくたどたどしく誦み間違い、正しい誦み方をつい忘れがちで、何度も何度も繰り返して、同じ所を誦むのに、法師はそれが専門だから当たり前なのだが、お坊さんや尼さんでない男や女が、すらすらとなめらかに、易々(やすやす)とお経を誦むのを聞くにつけ、「わたしがあの人たちのようになるのは、いつの日かしら」と、ふと思って、自分には、とても無理だなあという無力感を感じる。
また、自分が病気になって寝ているのに、健康な他の人が、笑ったり、おしゃべりしたり、何の気懸かりもなさそうに、元気にずんずん歩き回る。
そんな人たちを見ると、とても羨ましい。
(『枕草子 下』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年)
ある時わたしは、思い立って信心を起こし、京都の郊外にある伏見稲荷まで参詣したのだ。
伏見稲荷は、本殿までの道のりが、長い上り坂で、途中の「中(なか)の御社(みやしろ)」まででさえ、どうしようもないほどに、歩きなずんで苦しく、それでも、一所懸命、我慢して登って行った。
すると、ちっとも苦しげな様子も見せず、後ろから登ってきた者たちが、ずんずんわたしを追い越してゆき、参詣するではないか。
わたしは、彼らがとても羨ましかった。
その日は、二月の午(うま)の日で、伏見稲荷の初午(はつうま)に当たっていたので、かく言うわたしも参詣を思い立ったわけだが、夜明けには出発して、急いできたのに、参詣の坂道を半ばくらいまでやっと歩いたところで、もう「巳(み)の刻」(午前十時頃)になってしまった。
日が高くなるにつれて、次第に暑くなり、本当につらくなって、「こんなに苦労してまでお稲荷様に詣でなくてもよいと、楽を決め込んでいる人だって、世の中にはたくさんいるだろうに。こんなことなら、わたしは何だって、わざわざお参りに来たのだろう」とまで後悔して、涙が出てきて、しばらく休んでいた。その時、歳にして三十過ぎくらいの女、というのは、つまりは、わたしとほぼ同世代に見えるのだが、その女は、歩きやすい旅姿の壺装束(つぼそうぞく)などではなく、ただ、裾をちょっと絡(から)げたくらいの恰好をしていた。
そして、「わたしはね、今日は、「七度詣(しちどもう)で」をするのですよ。もうすでに、三往復したので、三度のお参りを果たしました。今は四回目ですが、まだまだ平気です。「未(ひつじ)の刻」(午後二時頃)までには、七度の参詣を終わって、帰ろうと思っています」と、たまたま途中で会った人に打ち明けて、坂を下って行くではないか。
普段、どこか町角ですれ違ったら、取り立てて目に留まることもないような恩であるが、「ああ、あの女のような健脚に、今この瞬間に、成り代われたらなあ」と、心から思ったことだった。 それはそうと、まだまだ羨ましいことは、たくさんある。
男の子であれ、女の子であれ、はたまた法師になった子であれ、出来のよい子を持った人は、とても羨ましい。
また、髪の毛が長く、黒々としていて、艶々(つやつや)と麗しく、切りそろえた所もよく整っている女性。
ご身分が高くて、まわりの人に大切にお世話されていらっしゃる人も、とても羨ましい。
字を書くのが上手で、和歌も素晴らしく詠み、何かの時には、まず達筆で名歌人ということで指名される人は、羨ましい。 それは、例えばこんな状況なのである。
中宮様のように、ご身分の高いお人の御前に、とても大勢の女房たちが伺候しているのではあるが、大切な相手のお遣わしになるお手紙などは、誰が代筆するにせよ、鳥の足跡のような、たどたどしい筆跡であってよいはずがない。
そもそもお側にお仕えする女房たちは、皆ひとかどの教養人であるから、字も上手なのであるが、それでも、最高に達筆な人というので、自分の局(つぼね)に下がっている女房をわざわざお召しになって、日頃ご自身がお使いになっている硯を使わせて、お書かせになる、それくらい重用される能筆の人は、羨ましい。
このようなことは、永く宮仕えしていて、女房たちの中でも年長者の部類になれば、和歌を詠んだり書いたりすることも、いろいろな状況のもとで多いのである。その中には、書道の手習(てならい)で最初に習う「難波津(なにはづ)に咲くやこの花冬籠(ふゆご)もり今は春べと咲くやこの花」という歌を書く段階からそれほど遠くない、未熟な筆跡の者もいるのだが、この場合、そういう日常的なことではなく、上流貴族である上達部(かんだちめ)のもとや、また、「初めて、あなた様のもとに出仕いたしたく存じます」などと、人を介して申し入れてきた、相応の身分の娘などへの手紙は、女主人が率先なさって、何から何まで、よく整えさせなさる。
それを、字を書く役に選ばれなかった女房たちが集まって、ふざけて、嫉妬まじりに羨ましがって、あれこれ言うようだが……。 琴や笛を習っていて、上達者ほどには巧みに演奏できない時には「あの人のように、上手になるのは、いつの日かしら」と、羨ましく思われる。
また、天皇様や東宮様にお乳を差し上げた乳母は、羨ましい。
女房の中でも、天皇様お付きの「上(うえ)の女房」で、お后様や女御たちのお部屋に出入りすることを許されている人は、羨ましい。
心置きなくお経を誦むための三昧堂(さんまいどう)を建てて、宵・暁に、熱心にお祈りできる人は、羨ましい。
双六を打つ時、相手に良い賽の目が出たら、羨ましい。
本当に心の底から、世の中のすべてを思い捨てた聖は羨ましい。
わたしのように、こんなにあれこれ何でも羨ましがらぬだろうから。 評
伏見稲荷詣での話には、驚くほど健脚な女が登場して、異色である。
清少納言の場合、羨望の念は、自分自身の能力との比較によって生じる非力感を見据えたうえでのことなので、なるほどと納得されるし、逆にここから、生身の清少納言の息づかいも聞こえてくる。
当時の宮廷人、とりわけ女房が身に付けるべき技芸と、その能力を発揮する状況も具体的にわかる。
『徒然草』第一段の最後に書かれている「男性貴族の教養科目」と対比すると面白い。
『枕草子』と『徒然草』は、それぞれが個性的な作品であるが、相互補完的に両者を一体化して捉えるならば、現代人にとって最強の「教養古典」となろう。
(『枕草子 下』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年)今朝の父の一枚です(^^)/
アトリの群れに出会ったそうです。
アトリ・ヒワの仲間
【群れ】
この仲間は繁殖期以外は群れになることが多い。
この仲間に限らないが、一般的に群れになる理由としては、いちはやく外敵をみるけることができ、また敵にねらわれたときに自分が食べられる確率が減るからだといわれている。
また、群れでいることにより食物をみつけやすくなるようである。
アトリ科の鳥の群れは突発的とも思える移動をする。
突然大群が現われても、同じ場所に長く居つかず、数日で姿を消してしまうことがよくある。
1994年1月頃、岐阜県にアトリが10万羽の群れで渡来したことがあり、空を埋め尽くすほどだった。
(『鳥のおもしろ私生活(旧版)』 ピッキオ編著 主婦と生活社 1997年)