2023年2月17日金曜日

寒さが和らぎ

久しぶりの青空のような気がする
日ざしが暖かく、寒さが和らいだなと思いました。
カワヅサクラの蕾を見ると赤い花びらがチョコンと顔を出していました。
大学生の時に『新訂新訓万葉集』(佐々木信綱編 岩波文庫)を
何度か読んだのだけど理解できなかった。
加藤周一氏の本を読んでからもっと読みたい、知りたいと思うようになりました。

第1章 『万葉集』の時代
  『万葉集』について


…前略…

 中臣朝臣宅守(やかもり)と贈答の歌63首をつくった狭野弟上娘子(さぬのおとかみのをとめ)は、流罪で去った男に寄せて叫ぶ。

  君が行く道のながてを繰(く)り畳(たた)ね焼きほろばさむ天(あめ)の火もがも (巻15、3724)

また、
  天地の極(そこひ)のうらに吾(あ)が如く君に恋ふらむ人は実(さね)あらじ (巻15、3750)

 多くは花鳥風月に思いを托する。
しかし奈良朝の貴族の女は、その激しい情熱を、そのまま直接に表現することを知っていたのである。  
(『日本文学史序説(上)』加藤周一 ちくま学芸文庫 1999年)
 奈良朝貴族社会の恋の歌は、このように、「古代歌謡」のそれと異なり、また後に見るように同時代の地方の大衆の歌ともちがって、一方では平安朝の宮廷で徹底するであろうところの恋心と自然の風物との照応に敏感であり、他方では微妙は心理的屈折を尽くしながら、恋情の激しさを直接に歌い上げていた。
これは単に感覚的・肉体的な世界ではなくて、微妙な心の世界である。
しかし「もの思ふ」心の状態ではなくて、「君を恋ふ」心の明白に特定の対象に向けられた行動的で情熱的な世界である。
そういう恋の政界で、あれほど大陸文化の輸入に熱心であった支配層も、彼らの自身の胸の底にある土着の、あえて世界観といわぬとすれば、少なくとも感情生活のあらゆる襞(ひだ)を語ったのである。
仏国土は遠かったが、恋のなかには「生きがい」があった。
…後略…
(『日本文学史序説(上)』加藤周一 ちくま学芸文庫 1999年)
とは言っても私の学力では万葉集を理解できない…
そんな私を助けてくれたのが、中西進氏の文庫本の『万葉集 全訳注 原文付』(電子版のみ)です。
その中から注を一部、抜粋します( ..)φ

・中臣朝臣宅守(やかもり) 目録に事情を記す。天平11年(739)ごろ越前に配流。
宅守は東人(あずまひと)の七男、仲麿の乱に連坐除名。
この事件当時より神祇官か。
・狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ) 目録の蔵部は斎宮職十二司の一、蔵部司か、後宮の蔵司か。女嬬は下級の女官。
勅断された恋は神祇官と斎宮寮の女官とのものによるか。
(『万葉集(三)』中西進 講談社文庫 1981年)
貴司君の短歌が登場するたびに俵万智さんのTwitterを訪問するのを楽しみにしていました(*´▽`*)

俵万智さんのTwitterに

赤楚衛二さんが…七夕の短歌を…まさに貴司の心だって…Twitterやってて、よかった
水を向けてくださった大吉さん、ありがとうございます!! 
今朝はテレビ西日本の仕事で飛行機乗ってました。

局内でポスターに、ひれ伏しました。

 #舞いあがれ #あさイチ #匠の蔵

その歌が

貴司くん(とリュー北條)に捧ぐ…

千億の星の一つになりたくて心が空を舞いあがる夜

一瞬の君の微笑み永遠にするため僕は歌い続ける
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
     俵万智(たわらまち)サラダ記念日』(昭62,河出書房新社)

 俵万智の第一歌集『サラダ記念日』は、広範な宣伝の効果も相まって、最終的に260万部を超える、歌集としては異例のベストセラーとなった。
通常、個人歌集は多くが1000部程度の出版である。
きわめてマイナーのものであり、数少ない著名歌人の歌集がせいぜい数千部売れるというのが普通である。
俵万智の歌集は、そのような歌集出版の常識を覆すとともに、普段短歌に接したことのない若い層にも膨大な読者を獲得し、短歌人口のすそ野を広げるとともに、一冊の歌集が、一種の社会現象として一般社会に受け容れられたのであった。
(『現代秀歌』永田和宏 岩波新書 2014年)
 俵万智の歌では、まずそのかろやかな口語表現に大きな特色があった。
会話体を大胆に取り入れ、定型でありつつ窮屈さを感じさせない文体である。
むしろ定型であるからこそ、口語調がいきいきと定型という枠のなかで弾んでいるといった軽やかさである。
 掲出歌も、誰にも一読すぐわかる内容であり、なんら解説を必要としないものであろう。
話しかければ応える人がいる、その当たりまえのようでいて、じつは生活にとってなにより切実な、相槌を打つということの大切さが、「寒いね」という一語を仲立ちにして、実に自然に浮かび上ってくる。
ここには人と人とがともに居るとはどういうことか、相槌を打ってくれる人が居るということが、どれほど個々の生活に温かな潤いをもたらしてくれるものかという大切な認識がさりげなく詠われている。
  思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ

  愛人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う

  大きければいよいよ豊かな気分東急ハンズの買物袋
 俵万智の『サラダ記念日』は、ひとりの若い女性の第一歌集という枠を越えて、短歌史に大きな意味をもつものとなった。
ここにあげた二首目や三首目のように、うまく時代と風俗を取り入れ、軽くしなやかな若者の生活を描くことで、同時代の多くの若者の共感を得た。
それは短歌の大衆化と言ってもいいが、なにより短歌というジャンルが、年寄りの文芸、暗く閉鎖的なジャンルという認識を一気に打ち破り、誰もが気軽に作り得る詩型式であることを、広く認めさせることになった。
戦後短歌は、長いあいだ、第二芸術論の呪縛から逃れえなかったと言える。
この詩型式の背負っていた負の遺産を、いともたやすく打ち破ってしまったのが、そのような歴史からまったく自由な場にあったひとりの女性の歌集だったのである。
(『現代秀歌』永田和宏 岩波新書 2014年)
 私が、ハンセン病について知るきっかけになった本から

 三十七度

 らい患者の中には
 皮膚の機能がまひして真夏でも汗をかかない
 体温の調整ができないから
 目に見えないむしぶろにさいなまれる
 夏の終わりには体力はげっそりおとろえ
 さらに余病を併発して世を去る人もある
 わたしたちは一年じゅう体温三十七度を維持して
 この大きい恵みを忘れている
(『聖恵シリーズNo.7 母』河野進 聖恵授産所 1975年)
  プロミン

 さっき配達された新聞をひろげて
 こどもは診察室へ走って来る
 「お母ちゃん癩病がプロミンという
 注射で治るんだって」
 うれしそうな不思議そうな声に
 そばにいた私も思わず記事に引きこまれる
 主イエスの約束の奇蹟が起こったではないか
 中学一年の長男が
 私が療養所へ慰問に行くのに
 ついて行ったからよく分かっているのだ
 世界幾百万の不幸な病の人々に
 恵みの太陽が昇ったこの日を
 私どもは決して忘れないようにしよう
   ―1950・8・10―
(『聖恵シリーズNo.7 母』河野進 聖恵授産所 1975年)
今朝の父の一枚です(^^)/
メジロの舌が写っています!

 メジロの舌は二枚舌

…前略…

 みなさんは鳥の舌を見たことがあるでしょうか。
鳥には歯がないので、舌は口の中で食べ物を扱うための唯一の道具です。
鳥のくちばしの形はとても多様ですが、舌は食べ物に合わせて、それ以上に多様な形に進化しています。
メジロやヒヨドリの舌の先は、まるでブラシのようにフサフサに枝分かれしています。
花蜜を効率よくなめるため、表面積を増やしているのです。
同じく蜜を好むハチドリではストローのような管状になっていて、毛細管現象で吸い上げます。
(『トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつ』川上和人 マツダユカ他 西東社 2018年)
午後から心臓リハビリでした。
待っている時間に読んでいたのが『佐藤佐太郎歌集
品切れになっているので図書館で借りました。
読むきっかけになったのが

佐藤りえさんのTwitter(2月13日)に

机に向かう貴司くんの手元に佐藤佐太郎「黄月」がある。
佐太郎は端的な描写が美しい歌を数多く残したけれど、この遺歌集は感情表現露わな、怒りの歌も含まれた特異な一冊。
編集者から「怒りを表現せよ」と言われたことに悩んで参照したのでしょうね(設定細か!)

#舞いあがれ