2020年6月1日月曜日

水無月(6月)スタート

蒸し暑い朝でした。
今日から学校が再開されているようです。
各地の小中学校で授業再開 コロナ感染防止で分散登校や検温」(NHK)

前にも書いたけど、分散登校しなくてもいいように1学級の定数を少なくする方が
9月入学よりも社会に与える影響が少ないと思います。
6月1日
 青踏社(せいとうしゃ)の発起人会がひらかれた。 1911(明治44)年

 この日、東京の本郷駒込(ほんごうこまごめ)のある邸(やしき)に5人の若い女性が集まった。
平塚明子(はるこ<らいてう>)とその友人たちで、女流文学を志す人々であった。
「女性が目覚めて、かくされた才能を十分に発揮したい」という願いをこめた文学サークルの初(はつ)の集まりであった。
5人のよびかけで、与謝野晶子(よさのあきこ)・野上弥生子(のがみやえこ)・長沼(のちの高村)智恵子(ちえこ)をはじめ、女流文学者たちの多くが参加した。
9月1日には機関誌『青踏』が発刊、「元始女性は太陽であった」にはじまるらいてうの宣言や「山の動く日来る……すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる」という晶子の詩がのせられ女性たちの心をひろくゆさぶった。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
「あらゆる性暴力の根絶を目指す決議」否決の波紋 区議による二次加害ツイートが発端/豊島区議会〟(Yahoo!ジャパンニュース)
3月中旬のことなんだ…

SNS上でも女性が発信すると誹謗・中傷の被害を受けることが多い。
現在の日本でもこのような状況なのに、青踏社の女性たちはどんな嵐に立ち向かっていたのか。

平塚らいてう」(中学・高校 動画)
サイエンスZERO「新型コロナ論文解析SP」のなかで
ストレスやPTSDなど精神面に注目した論文が出てきていることが紹介されていました。
(見逃し配信:6月8日 午前0:00 まで

極限状態に人が追いつめられた時の状況について書かれた本として
ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』があります。
人はあのような非人道的な行為を行うことができたのかを分析した個所を
1947年刊行本に準拠した旧版から転記したいと思いますφ(..)
九 深き淵より
 
 収容所に入れられた時の収容ショック及びそれからの本来の収容所生活の心理学について述べた後に、われわれは囚人の心理的反応の第三期、すなわち収容所から解放された時の心理学について述べるわけであるが、その前に一つの特殊な問題を取扱って見たい。
それは心理学者一般とそれらを自ら体験した人に繰り返し関心をひかれる問題なのである。
すなわちそれは収容所の看視兵の心理である。
血も肉もある人間が他の人間に、多数の報告の示す如き残酷なことをするのがどうして可能であろうか?
かかる報告を聞き、かかることもあり得ることを知った人は如何にそれが心理学的に可能であり得るかを訊ねるのである。
この問題に余り詳細に立ち入ることは避ける。
われわれはただ次のことを指摘しなければならない。
第一に一つの収容所の看視兵の中には厳密な臨床的な意味での強度のサディストがいたということであり、第二には鋭い看視隊を編成する必要があった場合にサディストが求められたということである。
たとえば囚人の群の中からカポーを選ぶ目的で行われるが如き、幇助者と刑吏の下僕を選び出すネガティーヴな選択に、さらにサディストを選ぶ選択がつけ加わったのである。

カポー 訳者注、囚人を取締るため囚人の中より選ばれた者。
(『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル著 霜山徳爾訳 みすず書房 1985年)
 われわれが労働場で烈しい寒さの中で、着衣による防寒も殆んど実際には役立たず、穴の中にたっている際、順番に――各二時間毎に――数分間だけ野天に置かれた円形ストーブ(小枝や木片をたくのに使うことが許されていた)にあたってよいと許可された時、もとよりわれわれはすべての間には喜びが漲った。
しかしいつもその時にわれわれからこの喜びを奪うことに享楽を感じる労働監督などがいたものだった。
彼が勝手にすべてを禁じ、ストーブを素晴しく燃えている木片ごと雪の中へ突き倒す時の彼の顔付からサディスト的な満足を読みとることは決して困難ではなかった。
また誰かが親衛隊員に気に入らないと、親衛隊員は彼の下にいる一人の男にこの哀れな人間を引き渡すのであった。
なぜならばこの男は何ら憚る所なくサディスト的な虐待をすることに高度に専門化していることが知られていたからである。

 第三に注意しなければならないことは収容所の看視兵の大部分は彼等が多年、いわば薬の用量が次第に増加して行くように、収容所におけるサディスト的なあらゆる行為を次々とみてきたので、すっかり無感覚になってしまっていたということである。
この道徳的に麻痺し、心情の硬化した人間の大部分は少なくとも自分ではサディズムを拒否する人々であった。
しかしそれで一切であった。
なぜなら彼等は他人のなすサディズムに対してはもちろんなにもしなかったのである。
 さらにまた第四に次のことが注意されねばならない。
すなわち収容所の当局者の中には……いわば道徳的な意味で……サボタージュをする者(ナチスに対して)もいないわけではなかったということである。
たとえば私が最後にいた収容所(そこから私は解放された)の司令を例にとってみると、彼は親衛隊員であったが、解放後判明したところによれば(それについてはそれまで収容所の医師しかそれを知らなかったが)彼は自分のポケットから少なからざる金を出し、そっと町の薬局から囚人のための薬を買入れさせていたのであった。
一方、この収容所の囚人代表は(従って彼自身囚人であるが)収容所の親衛隊員を全部合わせたよりももっと厳しかった。
彼は時と所を問わず囚人を殴った。
だが前述の司令は私の知っている限りでは一度でも「彼の」囚人に対して手をあげたことはなかった。
 このことからわれわれは一つのことを悟るのである。
すなわちある人間が収容所の看視兵に属しているからといって、また反対に囚人だからといって、その人間に関しては何も言われないということである。
人間の善意を人はあらゆる人間においても発見し得るのである。
従って人間の善意は全部からみれば罪の重いグループにも見出されるのである。
その境界は入りまじっているのであり、従って一方が天使で他方は悪魔であると説明するようなことはできないのである。
それどころか看視兵として囚人に対して人間的であろうとして何らかの人格的道徳的な行為もあったのであり、他方では、彼自身の苦しみの仲間に不正を働くある囚人への忌まわしい悪意もあったのである。
かような悪い性格の人間は収容所の他の囚人を甚だ苦しめたことは明らかである。
他方看視兵が示したごく僅かな人間性に対して、囚人が深い感動をもって応(こた)えることもあったのである。
たとえば私はある日一人の労働監督がそっとパンの小片を私にくれたことを思い出すのである……私は彼がそのパンを彼の朝食の配給から倹約してとっておいてくれたことを知っていた……そして私は当時文字どおり涙が出るほど感動させたものは物質的なものとしてこの一片のパンではなく、彼が私に与えた人間的なあるものであり、それに伴う人間的な言葉、人間的なまなざしであったのを思い出すのである。
 これらすべてのことから、われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。
すなわち品位のある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。
そして二つの「種族」は一般的に拡がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。
専ら前者だけ、あるいは専ら後者だけからなるグループというのは存しないのである。
この意味で如何なるグループも「純血」ではない……だから看視兵の中に若干の善意の人間もいたのである。
 強制収容所の生活は疑いもなく人間の奥底に一つの深淵をひらかしめたのであった。
この深みにおいてもなお人間的なものを、すなわちあるがままの人間的なもの、善と悪との合金としての人間的なもの、をみることができたのは少しも不思議ではない。
あらゆる人間存在を通じ善と悪とを分つ亀裂は人間の最も深い所まで達し、収容所が示すこの深淵の中にも見ることができたのである。
(後略)
(『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル著 霜山徳爾訳 みすず書房 1985年)
ショウジョウトンボに出会いました。
赤色は魔除けの色とも考えられています。
猩々(しょうじょう)まつりが各地にあるようです。

愛知)架空の動物「猩々」が練り歩く名古屋南部の祭り〟(朝日新聞 2018年11月7日)
尻をたたかれると、その子は1年間病気にならないと言われています

伏見稲荷大社が海外からの観光客の人気スポットになっている理由の一つに朱の鳥居が揚げられています。
今朝の父の一枚です(^^)v
最近、アカンサス(の下はニワナナカマド)を写しています。
前にアカンサスに葛の蔓が絡まっていたのでとろうとしたら棘にさされた
アカンサスには気持ちが通じなかったみたい(^-^;
5月26日の記事

公園に行く前に伯母を訪ねました。
明日から入院・手術なんだけどお見舞いはできない。
伯母のことが心配で、今朝の父はいつもより早く、4時半頃に起き出していました。