2020年6月18日木曜日

梅雨空がもどり

予報通り雨がポツポツ降っていました。
それでもあまり傘をささずに歩けました。 

18日は梅雨空戻る 19日にかけて大雨のおそれ」(えりの気象日記 6月17日)
土・日は避けているバラ園

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6月18日
 沖縄本島南端で女子生徒が集団自害した。 1945(昭和20)年

 沖縄本島の最南端摩文仁(まぶに)の丘(おか)にたつ〝ひめゆりの塔〟には、太平洋戦争に散った女子生徒たちをしのんで今も訪れる人がたえない。
米軍の沖縄上陸を目前にした3月末、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒に、従軍看護婦として陸軍病院勤務の命令が下った。
 16歳から20歳の若い女子生徒たちは砲弾の雨の下で負傷者の看護や戦死者の埋葬(まいそう)などに昼夜をわかたない奮闘をつづけた。
しかし日本軍は島の最南端にまで追いつめられて全滅した。
 この日かの女たちの多くも、黒潮のよせる断崖(だんがい)の洞穴(どうけつ)の中で手榴弾(しゅりゅうだん)でみずからの命をたった。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
沖縄戦では男子中学生も戦場にかりだされました。

沖縄戦「一中学徒隊」の足跡学ぶ〟(沖縄 NHK)

戦場の少年兵たち~沖縄・鉄血勤皇隊~」(NHK戦争証言アーカイブス)
1980年に開催された
特別展〝あれから35年「ひめゆりの乙女たち」鉄の暴風・沖縄戦の全容
の入場券です。
その時の図録から女生徒の証言を転記しますφ(..)
ひめゆり学徒隊の最大に悲劇となった――第三外科壕の最後
生き残った生徒の証言 師範本科一年 守下ルリ子(改姓宮原)

 6月18日、ついに学徒隊に解散せよという軍命令がくだった。
これからは各自行動せよという。
玄米三合に、海軍カンパン二袋ずつが配られた。
その晩は、壕内で最後の分散会が催された。
玉代勢(たまよせ)先生がダンスをご披露、上間道子が浪花節を歌い、みんなで『海ゆかば』『別れの曲』『校歌』……と歌いつづけた。
(あれから35年「ひめゆりの乙女たち」展 主催:朝日新聞/沖縄タイムス社 1980年)
 明けて19日、いよいよ壕脱出を決意して、その機をうかがっていると、突然敵兵の声が聞えてきた。
衛生兵が機関銃をすえて身構えた。
壕内は極度に緊張し、息をひそめた。
 そのとき、壕の入口で、
「コノゴウニジュウミンハイマセンカ。ムダナテイコウハヤメテ、デテキナサイ。デテコナイトバクダンヲナゲコミマス」
と呼びかける。
 誰も動こうとしない。
この間、わずか二、三分だったが、長い時間のように感じられた。
無気味な静けさがつづく。
 ドカンというものすごい爆音と同時に、もうもうとまっ白い煙が立ちこめて、一寸先も見えない。
「ガスだ!」
という声が聞えた。つづいて
「ガスだ! ガスだ!」
「水はどこ! 水は!」
と叫ぶ声。そのうちに息がだんだんつまって苦しくてたまらない。あちこちから、
「おかあさんーん!」
「おとうさーん!」
と呼ぶ声。友を呼ぶ声。
「先生! 苦しいよう! 殺して! 殺して!」
という絶叫。ほんとうに生き地獄だ。
 こんなところで死んでたまるものか、生きるのだ! 生きるのだ!
絶対に死なないと自分にいいきかせているうちに、いつの間にか意識を失ってしまった…。
 飢えと渇きにもがき苦しみ、水! 水!と おりかさなっている友だちの屍(しかばね)をおしのけて、やっと頭をあげた。
 玉代勢先生がかけ寄って来られた。
「守下、生きていたのか。よかった」
と肩をたたいてよろこんでくださる。
「みんな死んだ。今日で三日めだ」
という。
そういわれても、悲しくもなく涙も出ない。
神経はすっかりまひしている。
生きた人間の感情はもうない。
もぬけのからの人間になってしまった。

(玉代勢先生も戦死されています)
(あれから35年「ひめゆりの乙女たち」展 主催:朝日新聞/沖縄タイムス社 1980年)
沖縄・ひめゆり学徒の記憶 「別れの曲(うた)」(神奈川新聞@カナロコ YouTube)
作詞:太田博少尉 作曲:東風平恵位

「別れの曲(うた・相思樹の歌)」(太田博の生涯などについて)

ひめゆりの塔で平和祈り、歌い継ぐ「相思樹の歌」〟(女性自身 2017年)

図録には多くの証言などが載っています。
後日、他の証言や寄稿文を転記したいと思います。
図録の中に「病院壕 (敗戦直後 徳之島で撮影)」という画像が載っています。
父に聞くと、徳之島では戦闘はなく、特攻機が故障などで不時着などしていたので、負傷した特攻兵かもしれないなぁと話していました。