2020年6月2日火曜日

晴れたけど…

夜中に雨が降ったようです…
朝のニュースの中で気象予報士さんが
東京の湿度が100%だと話していたのにはビックリした。
大阪は80%と東京より低いけど蒸し暑かったです(-_-;)

昨日から学校が分散登校という形で始まったので、
今まで中学生たちが鬼ごっこ?をしていた場所も静かになった。
しばらく来ないうちにアメリカキササゲの花が咲いていました。
咲いてからだいぶ経つのか花がいっぱい落ちていました。
クマバチに似ているけど真っ黒…
調べると外来種のタイワンタケクマバチみたい。
ちょっと厄介なハチのようです…
国立環境研究所侵入生物データベースを見ると、
大阪は赤く塗られていないのに…

FB社員「CEOを誇りに思えず」、トランプ発言巡る方針に反発

フェイスブック社員が業務拒否、トランプ氏発言容認のCEOに抗議」(REUTERS 6月2日)
エンジニア7人で構成するチームは1日、
(大統領の)暴力をあおる投稿に対処しないフェイスブックの最近の決定は、地域社会の安全を維持するためのほかの選択肢を軽視するものだ。
フェイスブック幹部に行動するよう求める」とツイッターに共同で投稿した。
一水会のTwitter

トランプ大統領が呼び掛けていた6月下旬の米国開催G7サミットが9月に延期。
当然だ。
これを促した要因は、ドイツのメルケル首相がキッパリと訪米を断った事にある。
以前本ツイッターでも指摘したが、安倍首相の姿勢とは大違いだ。
「何でも話せる関係」との触れ込みと唯々諾々との従属とは全く別だぞ。


安倍首相がG7で批判逃れ 帰国後に隔離生活で“雲隠れ”画策」(日刊ゲンダイ 5月30日)
kagshun/EMANON@精神科医さんのTwitterに

宮城県沿岸部で精神科をしていると、不眠や治りにくい鬱の背景に被災体験が隠れていることが少なくないことに気付かされる。
自分からは語らないんだよね。
改めて当時の様子を尋ねると、「実は」と堰を切ったように生々しく語り出す。
9年という時間が少しだけ傷を癒している。
でも忘れてないよ。


夜と霧【新版】』「第三段階 収容所から解放されて 放免」には
解放された後の苦悩が描かれています。
第三段階 収容所から解放されて 
  放免


 収容所生活最後の日々の極度の精神的緊張からの道、この神経戦から心の平和へともどる道は、けっして平坦ではなかった。
強制収容所から解放された被収容者はもう精神的なケアを必要としないと考えたら誤りだ。
まず考慮すべきは、つぎの点だ。
長いこと空恐ろしいほどの精神的な抑圧のもとにあった人間、つまりは強制収容所に入れられていた人間は、当然のことながら、解放されたあとも、いやむしろまさに突然抑圧から解放されたために、ある種の精神的な危険に脅かされるのだ。
この(精神衛生の観点から見た)危険とは、いわば精神的な潜水病にほかならない。
潜函(せんかん)労働者が(異常に高い気圧の)潜函から急に出ると健康を害するように、精神的な圧迫から急に解放された人間も、場合によっては精神の健康を損ねるのだ。
(『夜と霧【新版】』ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳 みすず書房 2002年)
 とくに、未成熟な人間が、この心理学的な段階で、あいかわらず権力や暴力といった枠組にとらわれた心的態度を見せることがしばしば観察された。
そういう人びとは、今や解放された者として、今度は自分が力と自由を意のままに、とことんためらいもなく行使していいのだと履(は)き違えるのだ。
こうした幼稚な人間にとっては、旧来の枠組の符号が変わっただけであって、マイナスがプラスになっただけ、つまり、権力、暴力、恣意、不正の客体だった彼らが、それらの主体になっただけなのだ。
この人たちは、あいかわらず経験に縛られていた。
 このような事態は、些細なことをつうじて明らかになった。
たとえば、ある仲間とわたしは、ついこのあいだ解放された収容所に向けて、田舎道を歩いていた。
わたしたちの前に、芽を出したばかりの麦畑が広がっていた。
わたしは思わず畑をよけた。
ところが、仲間はわたしの腕をつかむと、いっしょに畑を突っ切って行ったのだ。
わたしは口ごもりながら、若芽を踏むのはよくないのでは、というようなことを言った。
すると、仲間はかっとなった。
その目には怒りが燃えていた。
仲間はわたしをどなりつけた。
 「なんだって? おれたちがこうむった損害はどうってことないのか? おれは女房と子どもをガス室で殺されたんだぞ。そのほかのことには目をつぶってもだ。なのに、ほんのちょっと麦を踏むのをいけないだなんて……」
 不正を働く権利のある者などいない、たとえ不正を働かれた者であっても例外ではないのだというあたりまえの常識に、こうした人間を立ちもどらせるには時間がかかる。
そして、こういう人間を常識へとふたたび目覚めさせるために、なんとかしなければならない。
このような取り違えは、どこかの農家が数千粒の麦をふいにするよりももっと始末の悪い結果を招きかねないからだ。
今もまざまざと思い出すのは、収容所でいっしょだったある仲間だ。
彼はシャツの袖をまくり上げ、むき出しの右腕をわたしの顔につきつけて、こうどなりつけたのだ。
 「うちに帰った日にこの手が血で染まらなかったら、切り落とされたっていい!」
 強調しておきたいのは、こんな暴言を吐いた男はけっしてたちの悪い人間ではなく、収容所でも、またその後も、いちばんいい仲間だったということだ。
 精神的な抑圧から急に解放された人間を脅(おびや)かすこの心の変形とならんで、人格を損ない、傷つけ、ゆがめるおそれのある深刻な体験があとふたつある。
自由を得てもとの暮らしにもどった人間の不満と失意だ。
不満の原因は、収容所を解放された者が、もとの生活圏で世間と接触して引き起こされる、さまざまなことである。
つまり、ふるさとに帰ってきて気づくのは、そこかしこで会う人たちが、せいぜい肩をすくめるか、おざなりの言葉をかけてくるかだ、ということだ。
すると、彼の不満はふくれ上がり、いったいなんのために自分はあのすべてを耐え忍んだのだ、という懐疑に悩まされることになる。
どこに行っても、「なんにも知らなかったもんで……」とか、「こっちも大変だったんですよ」とかの決まり文句を聞かされると、自分に向ってそんなことしか言えないのか、と考えこんでしまうのだ……。
 失意という深刻な体験には、また別の事情がからんでいる。
これは世間の人々がうわべだけで心ないことにぎょっとして、そんな連中とはもう会わずにすませ、声も聞かずにすませるためにどこかにひっこんでしまいたいと思うこととは関係ない。
失意という体験では、自分がゆだねられていると感じる運命が問題なのだ。
すなわち、自分は考えられるかぎりの苦悩のどん底にたっしたと、何年ものあいだ信じていた人間が、いまや苦悩は底無しで、ここがもっとも深いといことはないのだと、そしてもっともっと深く、もっともっと落ちていくことがありうるのだ、と見定めてしまうのだ……。
 先に述べたように、強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、だれかが自分を待っていると、つねに思い出せることが重要だった。
ところがどうだ。
人によっては、自分を待つ者はもうひとりもいないことを思い知らなければならなかったのだ……。
 収容所で唯一の心の支えにしていた愛する人がもういない人間は哀れだ。
夢にみて憧(あこが)れの涙をさんざん流したあの瞬間が今や現実になったのに、思い描いていたのはとは違っていた、まるで違った人間は哀れだ。
町の中心部から路面電車に乗り、何年も心のなかでのみ見つめていたあの家に向かい、呼び鈴のボタンを押す。
数え切れないほどの夢のなかで願いつづけた、まさにそのとおりだ……しかし、ドアを開けてくれるはずの人は開けてくれない。
その人は、もう二度とドアを開けない……。
 収容所にいたすべての人びとは、わたしたちが苦しんだことを帳消しにするような幸せはこの世にはないことを知っていたし、またそんなことをこもごも言いあったものだ。
わたしたちは、幸せなど意に介さなかった。
わたしたちを支え、わたしたちの苦悩と犠牲と死に意味をあたえることができるのは、幸せではなかった。
にもかかわらず、不幸せへの心構えはほとんどできていなかった。
少なからぬ数の解放された人々が、新たに手に入れた自由のなかで運命から手渡された失意は、のりこえることがきわめて困難な体験であって、精神医学の見地からも、これを克服するのは容易なことではない。
そう言っても、精神医をめげさせることはできない。
その反対に、奮い立たせる。
ここには使命感を呼び覚ますものがある。
 そしていつか、解放された人びとが強制収容所のすべての体験を振り返り、奇妙な感覚に襲われる日がやってくる。
収容所の日々が要請したあれらのすべてのことに、どうして耐え忍ぶことができたのか、われながらさっぱりわからないのだ。
そして、人生には、すべてがすばらしい夢のように思われる一日(もちろん自由な一日だ)があるように、収容所で体験したすべてがただの悪夢以上のなにかだと思える日も、いつかは訪れるのだろう。
ふるさとにもどった人びとのすべての経験は、あれほど苦悩したあとでは、もはやこの世には神よりほかに恐れるものはないという、高い代償であがなった感慨によって完成するのだ。
(『夜と霧【新版】』ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳 みすず書房 2002年)
今朝の父の一枚です(^^)v
この頃、タイサンボクの花をよく撮影しています。
撮影したプリントを母と一緒にタイサンボクを見ている写真の隣りに飾っています。

2日火曜日は晴れて暑くなりそう 梅雨入りは来週に」(えりの気象日記 6月1日)