2022年1月4日火曜日

雲に隠れると

太陽が雲に隠れると風が冷たく感じました。
朝、地震速報が流れました。

小笠原の地震 気象庁 “落石の危険も 今後の地震や雨に注意”」(NHK)
年末~新年(右)と今朝(左)の「たなくじ」ともに
今年、幸せのピークが2回くる」でした。
2回とも同じくじだったのは初めて!(*_*)!
ピークがこなくてもいいから
平々凡々で穏やかな1年であったらいいなぁ!
御所の水平社博物館 リニューアルで展示の幅を拡大へ」(NHK奈良 1月3日)
コロナ禍で差別問題への取り組みがますます必要になっています。
一方、大阪の「リバティおおさか 大阪人権博物館」が前の橋下市長によって閉鎖・退去を命ぜられました。
大阪市が無償提供していたので退去させられたとなっていますが
2020年5月31日の記事で転記した『続かくれスポット大阪』に

 栄小学校のこうした計画的で合理的な運営、さらに長期的な財源の確保策は、
江戸時代から皮革業を営んできた富裕層と、地域の実力者たちが主導し維持され続けた。
彼らこそが、明治維新後いち早く差別の克服を学校教育に求め、
そのうえで「私費」を投じて学校を建設し維持していこうという情熱をもっていたわけである。


こういうことは関西の民放は昼の番組では放送しないのだろうなぁ!
(「住宅顕信解説 池端秀一」つづき)

 徳島市の藤本一幸氏。
当時の『層雲』で期待されていた人である。
自由律俳句誌『海市』を発行し、句作ばかりでなく、荻原井泉水研究をはじめ、歴史の古い『層雲』の埋もれている俳人を世に出そうと努力するなど、その情熱は並々ならぬものがあった。
顕信は『海市』にも参加しており、十歳年長の一幸氏を尊敬し、いつも電話や手紙で俳句の議論をしていた。
(『住宅顕信 句集 未完成』春陽堂書店 2003年)
 十月半ば、一幸氏が病室を見舞った時、私も同席したのだが、顕信が一幸氏に対しては非常に緊張し、一言一言選びながら話していたのが印象的だった。
同時にライバル心も持っていたような気がする。
もう少し顕信が長く生きていれば、おそらくそのめざす俳句の方向性の違いから衝突する時が来たと思う。
顕信が『海市』に送った句は、一幸氏の手により、添削されたものも多い。例えば、

  抱き上げてやれない子の高さに坐る(顕信元句『未完成』収録)

という句は、一幸氏の手によって

  抱き上げたい坐れば同じ高さの父ぞ(『海市』掲載句)

と変えられている。
その方がより句の価値が高まる、と一幸氏は考えたのである。
このことを知らせてきた一幸氏の書簡を手に、病室で顕信が珍しく激怒したことを鮮明に記憶している。
しかし、いつも一幸氏の意見と合わなかったわけではない。
  初夏を大きくバッタがとんだ

という句は初形は「春を大きくバッタがとんだ」だった。
顕信は一幸氏の意見を取り入れて「初夏」に変えたのである。
このように、顕信は多くの句友達に、自分の俳句を送り、その批評を頼んでいる。
多くの人は、誠実に対応し、さまざまな意見を返してくる。
時によっては、それらの意見を取り入れ、自らの句を変えたりもしたが、最終的には自分自身でその句の最終的な形を決めた。
そうしてまとめたのがこの句集『未完成』なのである。
 神奈川県秦野市の井上敬雄(よしお)氏。
昭和61年3月30日付の顕信から敬雄氏へ宛てた手紙に、次の一節がある。
 「作った句でなく、山頭火、放哉のような句を(生まれてくる句を)書きたいですね。
  句の技法をこねるより心境的なものをたかめてゆく、そうありたいです」
 敬雄氏も全く同感だった。
当時の『層雲』の主流を占めていた句風とは合わず、心通わす句友のいなかった敬雄氏にとって、十歳年下の顕信は初めて出来た信頼できる句友だった。
週に何枚も、はがきに実に味わい深い絵を描き一句添えて、病床の顕信に送っている。
その数は七十枚を越える。
はがきは顕信の自宅に届くので、夜両親が帰宅して、はがきが来ていたらタクシーで病室まで運んだ。
それほど顕信は楽しみにしていた。
敬雄氏からの葉書を幾枚もテーブルに並べて説明してくれたときの顕信の嬉しそうな顔を忘れることが出来ない。
素朴な原田泰治の絵の世界を思わすような、敬雄氏の俳句。
  そっと咲く花のように坐る  井上敬雄

 顕信の好きだった句を挙げてみた。
敬雄氏の存在がどれほど顕信を癒したか計り知れない。
先日岡山の吉備路文学館で開催された「夭折の俳人 住宅顕信展」を訪れた敬雄氏は、自分が顕信に出した七十枚のはがきをみて「こんなことを書いていたんですね。忘れちゃいましたよ」と、懐かしがっていた。
(『住宅顕信 句集 未完成』春陽堂書店 2003年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^^)v
アトリに出会っていました。
今は、アキニレなどの実が上の方にあるので写そうとして見上げていると首が痛くなるとボヤいていました。

アトリ〔花鶏〕
 スズメ目アトリ科。
全長16センチ、体重24グラム位。
濃紺と白色と茶色の組み合わせの美しい小鳥。
ユーラシア大陸北部の森林地帯に広く繁殖し、南へ渡って越冬する。
日本では冬鳥。
離島も含め全国で記録があり、数も少なくない。
山地や低山地、山麓(さんろく)の林、農耕地などで群れで見られることが多い。
数千、数万の大群も時に見られるが、それは西日本の農耕地であることが多い。
冬期は木の実や草の実や草の種子を主に食べている。
飛び方は波状で、魚尾のような尾羽がよく目立つ。
(『野鳥の歳時記5 冬の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)