「雪の影響とみられる転倒相次ぐ 都内で396人がけがで病院に搬送」(NHK)
旧暦の1月7日は2月7日なので露地ではまだまだですが…
10級だそうです(^_-)
【第134段】「大雪に備える “転倒事故”を防ぐ 注意点は?」(NHK 12月16日)
大阪でも以前は、雪が積もったことがあったと顔見知りの方と話していました。
今日は「七草」。旧暦の1月7日は2月7日なので露地ではまだまだですが…
10級だそうです(^_-)
七日(なぬか)の若菜(わかな)を、人(ひと)の、六日(むゆか)に、持(も)て騒(さわ)ぎ、取(と)り散(ち)らしなどするに、見(み)も知(し)らぬ草(くさ)を、子(こ)どもの持(も)て来(き)たるを、(清少納言)「何(なに)とか、此(これ)をば言(い)ふ」と言(い)へど、頓(とみ)にも言(い)はず、(子ども)「いさ」など、此彼(これかれ)、見合(みあ)はせて、(子ども)「耳無草(みみなぐさ)となむ、言(い)ふ」と言(い)ふ者(もの)有(あ)れば、(清少)「宜(むべ)なりけり、聞(き)かぬ顔(がほ)なるは」など笑(わら)ふに、又(また)、をかし気(げ)なる菊(きく)の、生(お)ひたるを、持(も)て来(き)たれば、
(清少)「摘(つ)めど猶(なほ)耳無草(みみなぐさ)こそつれなけれ数多(あまた)しあれば菊(きく)も交(ま)じれり」
と、言(い)はまほしけれど、聞(き)き入(い)るべくも有(あ)らず。
(『枕草子 下』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年) 訳
一月七日に食べる若菜を、その前日の六日に、大騒ぎして取りそろえ、草ごとに分けたりしていたところ、子どもたちが見知らぬ草を持って来たので、「この草は、何と言うの」とわたしが聞くと、恥ずかしいのか、知らないのか、すぐには返事もせずに、「さあ」などと、子ども同士で顔を見合わせている。
その中で、「これは、耳無草(みみなぐさ)と言うの」などと答えた子どもがいたので、「なるほどねえ。それで、わたしが聞いても、聞こえない顔をしていたのね」と言って笑う。
そうすると、また菊の若葉が珍しく生(は)えてきたのを摘んで持って来るので、わたしは、懸詞(かけことば)を用いて、こんな歌を詠んでみた。 摘(つ)めど猶(なほ)耳無草(みみなぐさ)こそつれなけれ数多(あまた)しあれば菊も交(ま)じれり
せっかく摘んできても、聞く耳を持たないという名前の耳無草では、甲斐(かい)も無い。
子どもたちの耳を抓(つね)っても、わたしの話を聞こうともしないのであれば是非もない。
それでも、彼らがたくさん摘んだ若草の中には「菊」も交っていたから、少しはわたしの話を「聞く」子もいたのでしょう。……
こういう意味の歌なのだが、幼い子どもたちには、「摘めど」と「抓(つ)めど」、「菊」と「聞く」の懸詞など、理解を超えているのだろうから、わたしの歌心(うたごころ)などとてもわからないので、言っても無駄ね。 評
一月七日の七草の行事は、宮廷行事であるが、子どもたちが自分たちで摘んだ草を、見せているという興味深い段である。
しかも、珍しい名前の草や、新春なのに、菊の若葉さえ交っている。
それこそ、いわれを「聞く」必要がありそうである。
なお、宮廷人たちの間では、清少納言は歌を詠むのをとても嫌がっているのだが、ここでは、ごく自然に滑稽な歌を詠んでいる。
それも、面白い。
(『枕草子 下』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年) (「住宅顕信解説」つづき)
昭和61年11月になってから顕信の病状が急に悪化し、あまり長く話が聞けないようになった。
私は一時的に悪化しているが、またそのうちに回復するのだろうと思っていた。
このころは私もかなり句作にも熱中していたので、顕信が私の句に対してどんな反応をするか楽しみにしていたのである。
見まいに行く前に病室に電話をかけると、家族の人に「今日は調子が悪いので」と何度か断られた。
(『住宅顕信 句集 未完成』春陽堂書店 2003年) 12月24日。
連絡せずに病室を訪ねてみた。
一段と病状が悪化していたので驚いた。
痛み止めを何本打っても効かないと言いながらもしばらく話をしてくれた。
もう死が間近に迫っていることを静かに語った。
覚悟をきめているようだった。 句集の準備をしていると云って黒い紐で綴じた原稿を見せてくれた。
既に字が書けない状態だったため、顕信自身が自選した句を、献身的に付き添っていた女性が筆記したものだった。
野村朱鱗洞の『禮讃』と同じ黒の布表紙で、『試作帳』も含めて一冊とし、一頁一句、表題は『未完成』としたいと言った。
原稿を渡されて、どうですか訊かれたが、胸がつまって何も答えることができなかった。 翌年の1月19日には、ベッドにくぎ付けで、足に点滴が縫い込まれており、それでも手にはしっかり『未完成』の原稿を握りしめていた。
家族が言うには、うわ言でしきりに句友に話しかけていたという。 最後に見舞ったのが2月5日。
このとき唇が乾き、もう素人である私でも最後だなと直感した。
私であることがわかったらしく何か言おうとしたが声にはならなかった。
このときも手にはしっかりと『未完成』の原稿が握りしめられていた。 2月7日死去。
最後まで俳句に対する執念は凄まじいものだった。
白血病であったことは死後初めて知った。
激しい病気である。
顕信自身には知らせていなかったらしいが、かなり早い段階でその病であることを自覚していたように思う。
迫り来る死に敢然と立ち向かい、静かに句作を続けた顕信。
立派な最期だった。 この最後の三回の対面は深く印象に残った。
句友では唯一私だけが顕信の夭折に立ち会ったような形となった。
なんとか顕信が命を削って作った作品を多くの人に読んでもらいたいと切に思った。
不思議な縁によって、住宅顕信句集『未完成』は、その一周忌の昭和63年2月7日に『尾崎放哉全集』の版元彌生書房から出版された。
その直後から若手気鋭俳人達の間で話題となり、顕信は俳壇では知られることになった。 その後、高等学校の国語教科書で取り上げられたりしていたが、昨年精神科医の香山リカ氏の働きかけにより中央公論新社より三冊の顕信関連の書籍が発刊された。
『住宅顕信読本 若さとはこんなに淋しい春なのか』、俳句絵本『ずぶぬれて犬ころ』(松林誠版画)、香山リカ著『いつかまた会える 顕信 人生を駆け抜けた詩人』の三冊である。
このことにより、顕信は俳句関係者ばかりでなく広く読者を得ることになった。 本書は『未完成』の文庫版である。
顕信が自選して、句の配列まで決めた『未完成』がここに入手しやすい形で甦った。
香山リカ氏が「不治の病に冒されていた顕信と、今の若者たちとの間には、一見、なんの共通点も見出すことはできない。しかし、病に倒れる前も、いや病床においても、顕信は精一杯〝ふつうの若者〟としての生を生きていた。顕信の句は、実は現代的で都会的。こう言い切るのは大胆すぎるかもしれないが、私は半ば本気でそう思っている」(『俳壇』平成14年8月号)と言っているが、本書はまさに「顕信の句は、実は現代的で都会的」ということを実しているのではないだろうか。
若い写真家達と顕信俳句のコラボレーション。
従来の「句集」のイメージを変えたと言っても過言ではない。
本書によって自由律俳句に初めて接する若者も含めて、多くの人が顕信の俳句と出会うことを願っている。
(岡山大学 環境理工学部教授 池端秀一)
(『住宅顕信 句集 未完成』春陽堂書店 2003年)今朝の父の一枚です(^^)v
顔見知りの方がカワセミがいることを教えてくれたそうです(*^^)v
沖縄で感染爆発が起きていることに、米軍基地のずさんさと県民無視に憤慨していました。
昨日、天声人語から日米地位協定について転記しましたが
江戸幕府がアメリカと結んだ「日米修好通商条約」と変わりない不平等な協定ですよね!
「沖縄県 新型コロナ 新たに1414人感染確認 過去最多を更新」(NHK)
午後から心臓リハビリ。
待ち時間などに読んでいたのは山田詠美さんの『吉祥寺ドリーミン』
昨日の「折々のことば」で鷲田清一さんが紹介して下さった。
まだ読んでいる途中ですが、いつもは退屈な待ち時間が短く感じました(*^^*)
女性セブンの大人気連載「日々甘露苦露」から、傑作エッセイ100編を厳選だそうです。
理学療法士のNさんと話していたのは、
インフルエンザのワクチンの効果が期待できるのは接種後2週間から約5ケ月までと考えられているので
新型コロナワクチンも6ヶ月を過ぎれば感染するリスクが増えるということ。
ブレイクスルー感染をしているからといってワクチンが効果ないと言えないなどと話しをしていました。
主治医の先生に先日、緊急事態宣言などが出たらリハビリを中断しますとお伝えしました。
Nさんにも中断するかもしれないと伝えました。
今の大阪の状況を見ていると…
「大阪 新型コロナ 新たに676人感染 500人超は2日連続」(関西NHK)