2020年5月31日日曜日

5月も終わりなんだけど…

今日で5月も終わり、明日から6月で衣替(ころもが)えなんだけど
コロナは居座り続けそうですね…
大阪の「感染確認」は少なくなっていて今日は1名。
かといって安心できないのは5月31日の実施件数は205人分。
山中伸弥さんが「感染者の数は“氷山の一角かもしれない”」と仰っているけど、本当にそうだと思います。
更衣(ころもがえ)
 季節によって衣服を改めること。
現在では一般に6月1日と10月1日が更衣の日とされている。
古く平安時代の貴族社会で旧暦四月一日と十月一日が更衣の日とされていたが、これは宮中の世界に限られていた。
その後、近世に木綿が普及して衣料が多様化したのに伴い、武家社会では真夏には帷子(かたびら)、春と秋には袷(あわせ)、冬には綿入れなどが四季に応じて着用され、都市部では端午の節供(5月5日)と重陽の節供(9月9日)を更衣の日とする風習も広まっていった。
明治期になり、庶民の間にも学校や職場で制服を着る習慣が定着し、現行の更衣が一般的に行われるようになった。
なお、神事として更衣祭を行う神社も少なくないが、これは4月と10月および11月の新嘗祭(にいなめさい<霜月祭り>)の時期にみられ、神の更新を示す行事として行われている。 (萩原)
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
衣替えの季節となってもマスクは必要なんだな…
今村顕史さんのTwitter

高温多湿の屋外では、まわりに人がいない状況ならば、息苦しくならないようにマスクをはずしてもかまいません。
また、マスク着用による加湿効果で、のどの乾きも例年より感じにくいかもしれません。
脱水にならないように、こまめな水分補給は忘れないようにしてください。
岩波書店のTwitter

今日はアメリカの詩人ホイットマンの誕生日(1819年)。
脚韻や韻律といった形式を無視し、人間の生命、肉体や性を臆することなく讃美しました。
漱石が紹介して以来、日本でも親しまれています。

対訳 ホイットマン詩集は33篇を収録。
  老 齢に

大海に注ぎながら、雄大にひろがり、伸びきっていく河口を、
  わたしはあなたに見る。

  To Old Age

I see in you the estuary that enlarges and spreads
  itself grandly as it pours in the great sea.

(『対訳 ホイットマン詩集 アメリカ詩人選(2)』木島始編 岩波文庫 1997年)
注を見ると「この詩はホイットマン41歳の1860年版にすでに収められている」とのこと。
5月31日 
  塘沽(タンクー)停戦協定が結ばれた。 1933(昭和8)年

 「満州国(まんしゅうこく)」建国に成功をおさめた日本の関東軍は、この年5月初旬、「万里の長城」線を越えて華北(かほく)に侵入した。
当時中国は、国民党勢力と中国共産党勢力とが内戦の状態にあった。
共産主義勢力の一掃に全力をそそいでいた国民政府の蒋介石(しょうかいせき)は関東軍との対決を避け、日本に有利な条件で停戦協定を結ぶことにこの日同意した。
関東軍は中立地帯を華北侵略の拠点とし、武力で威嚇(いかく)しながら河北(かほく)・チャハル両省から国民党勢力を追放し、日本の傀儡(かいらい)政府を樹立した。
 1935年8月1日、中国共産党は内戦を中止し、団結して日本の侵略と戦うことを呼びかけた。
 その後に、日本政府は、関東軍が独断で進めた華北支配を正式に認めた。
こうして日本は中国への全面戦争へとつき進んだ。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
大阪人権博物館5月31日で閉館」(関西NHK)
このニュースの中で大阪市が
無償で貸していた土地の明け渡しなどを求める訴えを起こしました
とあるので元大阪市長H氏の支持者の方は当然だと思われるでしょうが、
この「大阪人権博物館のあゆみ」、「栄小学校の沿革」を知ると別の考えが起きると思います。
元市長H氏は、人権博物館を否定する考えには「寝た子を起こすな」という発想があるように思います。
このような場が無くなれば、人は差別を知ることがなく、ひいては差別がなくなると思っているのかも知れません。
差別について、正しい知識がないと寝た子が起きた時に誤った知識が周りから植えつけられて差別する側になってしまうことが多いものです。
元市長H氏の考えは、正直、甘いと思いますし、
弁護士の資格を持っていながら人権にかかわる事案を取り扱ったことがないのだと思います。
現在、SNSで差別的な誹謗中傷の言動が目につきます。
さまざまな差別を学ぶ機会を奪うことは、いっそう深刻な事態を招くと思っています。
続かくれスポット大阪』より「公教育と私教育」を転記したいと思います。
公教育と私教育
 近代初頭から学校教育に熱心であった西浜部落では、公・私ともに多くの学校があった。
まず公教育の歴史をひもといてみると、次のようになる。
(『続かくれスポット大阪』吉村智博 解放出版社 2015年)
 「学制」発布前夜の明治4(1871)年9月、全国に先駆けて学校教育に取り組みはじめていた大阪府に対して、のちに西浜町と称する渡辺村は、小学校建設の嘆願書を提出した。
皮革業で得た利益の八0分の一を積立金として創立の原資にあてることなど計画的な経営方針であったこともあり、学校設立の認可はすぐに下りた。
これによって、小学校は徳浄寺(山号・龍華<りゅうげ>山、真宗本願寺派)を仮教場に明治5(1872)年7月2日創立される(開校当初の校名は「西大組第二十二区小学校」)。
もともと、渡辺村には近世に嘯虎(しょうこ)堂と呼ばれた寺子屋があり、男女合わせて280人の生徒が学んでいたという。
寺子屋などは当時一般的に、大阪府の教育政策によって小学校へと受け継がれていくとこになるので、この寺子屋は栄(さかえ)小学校の前身である可能性が高い。

   *
 寺院を仮教場に出発した栄小学校は、その後、一期校舎の完成とともに移転するが、学校経営が実にユニークである。
なんと、万人が排泄する「大小便」を肥料にして、売却した利益を学校の運営費に充当するという計画を立てたのである。
排泄物の売却なら誰も文句は言わないだろうという算段である。
つまり、学校運営費を徴収することがむずかしい場合を想定して、こうした方法を採用したわけである。
「大小便」を汲(く)み取る業者を入札方式で決定して、最高値で落札した人に業務委託する仕組みを作り上げた。
なんという辣腕(らつわん)ぶりだろうか。
それだけではない。
教育面でも、小学校を尋常小学校(4年課程)と高等小学校(4年課程)、さらに簡易小学校(3年課程)に分轄して、多くの子どもが学べるようにする一方、上級への進学者のために高等科(1890年)も設置する。
まさに、栄小学校は、大阪の部落のなかで群を抜く存在であった。
 栄小学校のこうした計画的で合理的な運営、さらに長期的な財源の確保策は、江戸時代から皮革業を営んできた富裕層と、地域の実力者たちが主導し維持され続けた。
彼らこそが、明治維新後いち早く差別の克服を学校教育に求め、そのうえで「私費」を投じて学校を建設し維持していこうという情熱をもっていたわけである。
同校の校舎は、その後第2期(木造・1908~27年)、第3期(鉄筋コンクリート造・1928~74年)、第4期(同・1975~2013年)と移転し、現在は第5期(同・2014年~)になっている。

(以下略)
(『続かくれスポット大阪』吉村智博 解放出版社 2015年)
5月26日の朝日新聞夕刊に大阪人権博物館閉館の経緯を記事にしてます。
「ネガティブ、偏向」と補助削減 展示に口出しする維新
から幾つか抜粋しますφ(..)
 博物館は1985年、大阪府や大阪市、部落解放同盟府連合会などが出資する財団が、被差別部落への差別や偏見の解消に向けて開いた。
被差別部落出身の教師の苦悩を描いた島崎藤村の小説「破戒」の初版などが並ぶ。
 展示は部落差別問題だけでなく、在日コリアンやハンセン病、公害、性的少数者など12分野に広がり、世界でも珍しい人権問題の総合博物館だ。
朝鮮の人々が日本の植民地支配に抵抗する三・一独立運動のビラや水俣病を世界に伝えた米国人写真家の故ユージン・スミスのオリジナルプリントもある。
所蔵資料は約3万点、総来場者は約170万人にのぼる。
 博物館をめぐる状況が大きく変わったのは、橋下氏が大阪府知事に就任した2008年だ。
橋下氏は「展示内容が分かりにくい。公金を投入する意味を感じない」「差別、人権などネガティブな部分が多い」と見直しを求めた。
府と市は13年、年間計1億~2億円程度だった運営補助金を全廃した。
 博物館が立つのは人権運動の象徴の地といえる。
被差別部落出身の有志が土地や資金を出し合って1928年に整備した旧大阪市立栄(さかえ)小学校の跡地だ。
博物館の建物は小学校を模してある。
25~40年には全国水平社の本部の近くにあった。
長年地元で人権団体の代表を務めた浅居明彦さん(63)は「博物館がこの場所にあることに意味があった。移転はめっちゃ悔しい」と話す。
口出さない、が原則
 橋下氏が率いた大阪維新の会は大阪人権博物館だけでなく、多くの文化施設に対する補助金などの削減を進めてきた。
日本(当時大阪)センチュリー交響楽団への府の2008年度の補助金は4億円だったが、11年度に全廃。
同年度に約5千万円だった文楽協会に対する補助金も「特定団体の運営費は出さない」として15年度に打ち切った。
 展示内容の見直しに迫ることもあった。
大阪国際平和センター(ピースおおさか)=大阪市中央区=について、維新の府議らは11年、「偏向した展示物が多すぎる」と主張。
橋下氏も「展示内容が不適切となれば、当然廃館も考えなければならない」との考えを示した。
同センターは15年のリニューアルで、旧日本軍の加害に関する従来の展示をすべて撤去した。
 大阪以外でも文化芸術活動をめぐっては昨年、慰安婦を表現した少女像などが出展された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」への文化庁による補助金不交付問題があった。
博物館に関する法制度に詳しい桃山学院大学の井上敏・准教授は「言論や表現の自由を守るためには、政治や行政は文化には金は出すが口は出さないという『アームズ・レングス』の原則が徹底されるべきだが、今の日本ではこうした意識が十分に確立されていない」と指摘する。
国の政策を見ていても文化を守ろうという姿勢が見られません。
一方
芸術支援は最優先事項。ドイツ・メルケル首相が語った「コロナと文化」〟(美術手帖 5月16日)

 親愛なる芸術家の皆さん、あなた方にとっていまがとても、とても困難な時期であることを承知しています。
私たちの誰もが寂しい思いをし、どれほど多くの市民たちが再びライブであなた方の芸術を体験できることを待ちわびているかを承知しています。
そのときまで、私たちはできるかぎり、あなた方を連邦政府の救援プログラムを通して支援するように努めます。
また、どれほどあなた方が私たちにとって大切であるかをお伝えすることも支援となりますように。


「アームズ・レングス」については以下を参照してください。
文科省の役人はどんな思いでこのことを紹介したのかなと考えてしまう。
第3節 諸外国の文化行政 1.英国の文化行政」(文部科学省)
現在の文化行政も芸術と行政が一定の距離を保ち,援助を受けながら,しかも表現の自由と独立性を維持する,という法則に基づいて行われています。
今朝の父の一枚です(^^)v
雨が降っていたので「散歩をやめとく?」と聞いたら
雨の日は人が少ないと言ったので出かけました。
園内の中央噴水は当面停止なのですが
こちらは池の噴水?です(*´▽`*)

帰宅後、従妹がやってきて叔母が両膝の手術をするために入院することを伝えにきました。
数年前から膝の手術を勧められていたのですが、新型コロナのことがあり延び延びになっていました。
入院しても家族でも見舞いに行くことができません。

0 件のコメント: