2022年1月12日水曜日

雪がちらついたけど…

出かける時に雪がチラチラしていたけどすぐにやみました。
午後からの方が寒さがまして雪が降っている。
一方、

北海道や東北で風強まり猛吹雪も 交通影響などに警戒を」(NHK)
大阪は、一気に感染拡大した…

大阪府 新型コロナ 新たな感染確認 約1700人の見通し」(NHK)

世界では、
欧州・中央アジア 6~8週間で人口の半数超が感染おそれ WHO」(NHK)
今朝の朝ドラ【連続テレビ小説】カムカムエヴリバディ(50)「1962-1963」で
トミーの「僕と共鳴せえへんか」に「何 それ オダサク?」のベリーのかえし。

夫婦善哉』(織田作之助)より

…前略…

 柳吉は二十歳の蝶子のことを「おばはん」と呼ぶようになった。
「おばはん小遣い足らんぜ」そして三円ぐらい手に握ると、昼間を将棋などして時間をつぶし、夜は二ツ井戸(ふたついど)の「お兄ちゃん」という安カフェへ出掛けて、女給の手をさわり、「僕と共鳴せえへんか」そんな調子だったから、お辰はあれでは蝶子が可哀想やと種吉に言い言いしたが、種吉は「坊(ぼ)ん坊(ぼ)んやから当たり前のこっちゃ」別に柳吉を非難もしなかった。
どころか、「女房や子供捨てて二階ずまいせんならん言うのも、言や言うもんの、蝶子が悪いさかいや」とかえって同情した。
そんな父親を蝶子は柳吉のために嬉しく、苦労の仕甲斐(しがい)あると思った。
「私のお父(とつ)つぁん、良(え)えところあるやろ」と思ってくれたのかくれないのか、「うん」と柳吉は気のない返事で、何を考えているのか分らぬ顔をしていた。
…後略…
(『夫婦善哉 正続 他十二篇』織田作之助 岩波文庫 2013年)
新美の巨人たち〝谷口ジロー「歩くひと」×寺島しのぶ〟を見て
読みたい(見たい)と思ってネットで注文したけど品切れでした。
でも、重版されたとの通知を受けて再度注文しました。
谷口ジローさんの本は、「『坊っちゃん』の時代」シリーズを読んだきりだった。
今、『歩くひと』は、ソール・ライターの写真集と一緒の本箱に鎮座しています(*^^*)

描くひと 谷口ジロー展」(世田谷文学館 ~2月27日)

別冊読本」を転記します( ..)φ
なお〝谷口ジロー氏による「近況報告」〟は、本をご覧ください。
別冊読本 谷口ジローが『歩くひと』を描いた日々

『歩くひと』は「週刊モーニング」(講談社)の増刊として月刊ペースで刊行されていた、「パーティー増刊」に、1990年から1991年にかけて連載された。
 連載時には、作中の縦柱に谷口ジロー氏による「近況報告」が毎回掲載されており、今回、それらを特別に収録いたします。
当時の谷口氏の身の回りの出来事や心情が、短いながらもやさしい筆致で描き出されており、各話と読み比べると、実際の出来事と物語との繋がりも見えてきます。
『歩くひと』を読まれた後、この別冊を友に、改めて各話をお読みいただくと、新しい発見があるかもしれません。
 また、後半には『歩くひと』最初の単行本(1993年1月)に掲載の「作者の言葉」と、当時の担当編集者の方からの寄稿も収録いたします。
併せてお楽しみください。
(『歩くひと 完全版』谷口ジロー 小学館 2020年)
 別冊読本 作者のことば

「歩くひと」はゆかいな人です。
のんびりと楽しみながら歩きます。
時間なんかまるで気にしません。
身も心も軽やかです。
だからいろんなものが目に入る。
なんの変哲もない日常の景色のなかでさえ、おもしろいものを見つけて楽しんでしまう。
ときどき佇んでぼんやりしたり、木に触ってみたり、登ったり、石コロを拾ったりします。
やっぱり「歩くひと」はとてもへんです。
 それでもきっと「歩くひと」は私たちが遠くへ忘れ去ったなつかしいものを思い出させてくれることでしょう。
 さあ、今すぐにせわしなく走りまわってきた時間をちょっと止めて、少しだけ歩いてみませんか。

 ゆっくりとね。
別冊読本
 担当編集が振り返る
 『歩くひと』が歩きはじめたころ


 はじめに『歩くひと』というタイトルがあった。
 頭にあったのは、フランク・ペリー監督のアメリカ映画『泳ぐひと』だ。
バート・ランカスター演ずるこの映画の主人公は次々とプールを泳いでいくのだが、同じように、人間の基本的な行為である歩くことに強い執着を持った男が他人の庭でも軒先でもかまわず歩いていったらどうなのだろうと考えた。
でもそれだと家宅侵入にしかならない。
 もうひとつ、4足歩行から2足歩行に至る、例の人間の進化のイラストもイメージにあった。
過去、現在、未来と、時と場所を超えて歩き続ける一人の男はどうだろうかと思った。
 谷口さんは、これらをやわらかく受けとめ、『歩くひと』を描いた。
 漫画はキャラクターであるとしばしば安易に言われることだが、捏(こ)ね上げたような主人公が生きるわけはない。
少しふくよかな、でも胸に何やら秘めたような彼が靴を履いて玄関から出た時に『歩くひと』は生まれた。
 先輩編集者に連れられて私は谷口さんに初めて会った。
その次からは一人で会いにいき最初に手にした原稿が『地球氷解事紀』(「モーニング」掲載)の第1話だった。
 当時私は「モーニング パーティー増刊」のチーフをまかされていた。
この増刊は16ページ以内のショート漫画の集合体で毎号30本前後の作品を収録していた。
雑誌を成立させるには何人もの漫画家に執筆依頼をしなければならない。
谷口さんにも短篇をお願いし描いてもらったのが『原獣事典』であり、タイトルとアイディアの一部はアルゼンチンの作家、J.L.ボルヘスの『幻獣辞典』から頂戴している。
『歩くひと』はその次の「パーティー増刊」の掲載作品となる。
 私は「モーニング」草創期の編集者の一人であるが、漫画でない部署から異動してきたので漫画家の知己はなく、日常的に漫画を読んでもいなかった。
漫画編集部に来て困惑したのだが、ほどなく、漫画のことは漫画家に教わればいいと気がついた。
なかでも、漫画編集者としてスタートした時期に谷口さんからは多くを教わった。
36年間以上どうにか編集をやってこられたうちの何割かは谷口さんに依っているだろう。
『歩くひと』は佳品のそろった短編集だが、なかでもいいのは最終話の第17話『海を見に来て』だと思う。
この原稿を受け取ったとき、また違うレベルの次の作品に行ける予感がした。
だが私はその予感をうまく言葉にまとめることができなかった。
こういう漫画が描けるじゃないですかと一言で言い表すことができなかった。
 言えなかったことはなんだろうか?
それはたぶん、見ることは記憶の共有だということだと思う。
ある海辺の景色を見る人は多くの他の見る人とつながっている。
時代や場所を違えても、見るという行為は時間を一瞬止めて記憶に入れることだ。
絵画はもちろん、すぐれた詩や音楽はそれを実現していると思うのだが漫画はやっていないのではないかと思い、そこに行ける気がした。
記憶を掘り起こす犬を友として。
 やはり今でもうまく言葉にすることはできない。
こんなことでは漫画は誕生しない。
   Y.T生(講談社OB.「モーニング」担当編集者)
(『歩くひと 完全版』谷口ジロー 小学館 2020年)