2022年1月11日火曜日

鏡開き

雨が降っていると暖かいですねと挨拶をしていました。
最初は、傘を閉じて歩けるほどでしたが、次第に雨が強くなってきたので早めに帰りました。
かがみ・びらき【鏡開き】
(「開き」は「割り」の忌み詞)
①正月11日ごろ鏡餅を下げて雑煮・汁粉にして食べる行事。
近世、武家で、正月に男は具足餅を、女は鏡台に供えた餅を正月20日(のち11日)に割って食べたのに始まる。
鏡割り。<[季]新年>
②祝い事に酒樽のふたを開くこと。鏡抜き。
(『広辞苑 第六版』岩波書店 2008年)

千代田之御表 御鏡開ノ図」(東京都立図書館 Facebook)
餅に関連して素敵な番組

プロフェッショナル 仕事の流儀「餅ばあちゃんの物語~菓子職人・桑田ミサオ~」(2020年6月2日放送)
で紹介されていた桑田ミサオさん(94歳)の素敵な笑顔にふたたび会えました。

ETV特集「餅ばあちゃんが教えてくれたこと」(見逃し配信:1月15日まで

どうやって生きていったらいいかな?
そういうことに対していい参考書でもあれば。
ハハハハッ…。

分からないということは幸せなことよ。
そういう気持ちで人生送ってればきっと いいことがあるわよ。


そしてグレーテルのかまど「長崎 五島列島のかんころ餅」(見逃し配信:1月17日まで
隠れキリシタンの命を支えた食べ物が「かんころ」。
過酷な環境で生まれたかんころを使って作る かんころ餅。
かんころも かんころ餅作りも 重労働のため、
高齢化が進む五島列島では近年 担い手不足が深刻でした。
他府県から移住してきた竹内紗苗さんと 岡本幸代さんが開いたお店
五島列島の小さな菓子工房 花野果(はなやか)
鏡開(かがみびら)

 正月の期間中、神に供えていた鏡餅をおろして雑煮や汁粉にして食べることで、多くは11日に行われる。
鏡餅を雑煮などに入れるとき、刃物で切ることは不吉だとして叩き割る所は各地にみられる。
愛知県蒲郡(がまごおり)地方ではオソナエワリと呼び、熊本県では鏡餅を切った形が墓石に似ていることから石塔たおしという。
鹿児島県ではユエモンサゲ(祝い物さげ)と呼んでいる。
神奈川県山北町ではソナエワリといって、お供えを入れた小豆餅を神に供え、嫁はお供え餅や新しく搗(つ)いた丸餅を二つ持って里帰りをした。
二つの餅の一つは実家で細かく割って近所に配り、残りの一つは持ち帰る。
長野県ではフクデコワシやオカザリコワシ、山口県ではイワイナラシという。
イワイというのは中国地方で鏡餅のことをいい。鏡餅を砕くことをめでたくいいかえた言葉である。
  (佐藤)
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
 (1)餅と雑煮
餅の特別の力

餅は正月の鏡餅や雑煮として用いられるほか、節供や神事、その他の祝いごとなど広く用いられている。
このようにハレの日に多く使われる餅には、何か神霊が宿っているというような信仰的力が認められている。
たとえば峠(とうげ)の茶屋で売っている力餅(ちからもち)が、これを食べる人に力を与えると考えられていたり、出産のときの餅や誕生祝の餅を力餅といって、それが人の生命に力を与えるものと考えられている。
(『図説 民俗探訪事典』大島暁雄他編著 山川出版社 1983年)
鏡餅(かがみもち)
 御鏡(おかがみ)・餅鏡(もちかがみ)・具足餅(ぐそくもち)・鏡据(かがみす)

 東京近辺では蓬莱の三宝に飾る二個一重ねの餅と、年神や祖霊に供える餅だけを言っているが、元来正月用の丸餅の称であり、一般に中高に作る。
関西では少なくとも祝いの雑煮だけは丸餅にするが、丸餅を食べることで生命力の更新を計ろうとしたので、その形が大切であり、心臓をかたどってものではないかとも言われる。
伊勢海老(いせえび)、橙、串柿、昆布、裏白(うらじろ)などを鏡餅に添えて飾るのは、幸木(さいわいぎ)と同じく、正月の食物を豊富に飾り立てる意味である。
武家では床の間に具足を飾り、その前に紅白の鏡餅を置いた。
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)

(〝「幸木」「臼飾り」登場 天草独特の正月飾り〟朝日新聞 2018年12月24日)
『永久四年百首』(次郎百首)に春部、「元日」の題下に、「けふよりは我をもちゐの増かゞみ嬉しき影をうつしてぞ見る」(源俊頼<としより>)。
「鏡餅」という名は、鏡の形の丸い餅だから名づけたのでなく、鏡に写すように人々の「影」、すなわち「魂」の外に現れたすがたを見たからで、そこに人々の「命」の指標をも考えたのであろう。
それでこそ、鏡餅がその人の千代をことほぐことになった。
 源仲正の歌に、「千代までも影をならべてあひみむといはふ鏡の用ゐざらめや」(『夫木抄(ふぼくしょう)』巻32雑部14「鏡」)とある。
 また『源氏物語』「初音」の巻に、源氏36歳の正月に、紫の上のもとを源氏が訪ねると、女房たちがここかしこに群れて、「歯固(はがた)めの祝ひして、餅鏡(もちひかがみ)をさへ取りよせて、千歳(ちとせ)の影にしるき、年のうちの祝ひごとどもして、そぼれあへるに」云々とある。
ここで詠まれる歌も、「薄氷とけぬる池の鏡には世にたぐひなき影ぞならべる」光源氏、「曇りなき池の鏡によろづ世をすむべき影ぞしるく見えける」紫の上など、「餅鏡(もちひかがみ)」(古くは倒語して言った)の祝にちなんだ、いのちをことほぐ歌である。
 連俳では、『花火草』『初学抄』『毛吹草』『増山の井』以下に「鏡餅」として出る。
…後略…
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)