2022年1月14日金曜日

冷たい風

今朝も指先が痛くなるほどの寒さで、雪もチラチラ降っていました。
大阪は、あまり降らないようですが

近畿 14日昼すぎにかけ大雪のおそれ 交通影響などに注意」(京都NHK)

北海道から北陸にかけ積雪増える見込み 交通影響など警戒を」(NHK)
池の所で顔見知りの方が「アライグマの足跡かもしれないな」と教えてくれた。
濡れた足跡がついているけど犬や猫は、池に入ってまで餌をとらないと思う。

特定外来生物の解説 アライグマ」(日本の外来種対策)
ペットとして人気種となり流通したが、飼育が難しいことから遺棄されるケースも多い。

無責任な飼い主によって棄てられたのだと思いますが、
感染症の多くは動物を介して感染・発症しています。
コロナウイルスとは」(国立感染症研究所)
脊髄損傷の治療にiPS由来の細胞を移植 世界初 慶応大など発表」(NHK)

慢性期の患者への応用も含めて研究が進むといいですね!
太田記念美術館のTwitterに

八百屋お七は、恋人に会うために放火、あるいは火の見櫓の半鐘をならしたなど、
恋のために大罪を得たとされる少女。
芳年は本作で、炎を見つめるお七をどこか陶酔したような表情で描き出しました。

太田記念美術館「江戸の恋」にて1/30まで展示。
解 説
 二 メッカのマホメット


 マホメットはメッカの邑(まち)に生れた。
しかし生誕については正確なことは殆ど何一つわからない。
生れた年すらわからない。
死んだ時のことは、何年、何月、何日の何時頃、どんな動作をして、どんな言葉を吐いて逝ったかというようなことまで一々細かに伝えられているのに。
要するにマホメットという人物は、死ぬ時はその一挙手一投足まで衆人の注目の的となるほどの大物であったのに反して、生まれた時は誰一人注意する者もないほど無名の、哀れな人だったのである。
尤も血筋だけはれっきとした名門クライシュ族だったけれど。
 歿年から逆算して、彼の生年は大体西暦570年頃ということになっている。
生れて父を知らず、6歳にして母も死亡し、年老いた祖父にひきとられて育ったが、これまた三、四年で死に、次に叔父のアブー・ターリブにひきとられた。
『コーラン』に繰り返し繰り返し「孤児」の主題が出て来ることは偶然ではない。
(『コーラン(下)』井筒俊彦訳 岩波文庫 1958年 1964年改版)
 「もともと孤児(みなしご)の汝を見つけ出して、やさしく庇って下さったお方ではないか。道に迷っている汝を見つけて、手を引いて下さったお方、赤貧の汝を見つけて、金持ちにして下さったお方ではなないか」と(下巻、第93章6節-8節)。
 孤児にはできるだけやさしくしてやれ、乞食には食物を恵んでやれ、それが『コーラン』の教えの最も重要な一項目である。
「よいか、孤児は決して苛めてはならぬぞ。物乞いに決して邪慳にしてはならぬぞ」(下巻、第93章9節-10節)。
 やがてマホメットはハディージャという未亡人の経営する交易商社に雇われる。
前述の通り国際的な商業の中心地であったメッカでは、進歩的な気魄のある人間なら女でも立派に商社が経営できたのである。
しかもハディージャはクライシュ族きっての大金持ち。
いわば堂々たる女社長である。
この社長に見込まれたマホメットはとうとう彼女に結婚を申しこまれる。
時に彼はおよそ25歳、彼女は40歳前後。
上に引いた『コーラン』の文句にあったように「赤貧」から「大金持ち」に一躍飛び上がってしまったのである。
 思いがけぬ幸福に恵まれたマホメットに約15年の平穏無事な日々が流れた。
彼は幸福な、裕福な、しかし平凡な商人だった。
 ところが、ようやく40歳になる頃から彼の内面には不思議な変化が見え始めるのである。
どういうわけか彼の心に孤独と瞑想への欲求が時々発作のように起って彼を不安にする。
そんな時、彼はメッカ近郊のヒラー山の洞穴に独りこもって、禁欲生活に入る。
どうしてこんなことになったのか、内心の事情は知るに由もないが、少なくとも外面的には、この禁欲瞑想の生活はシリアキリスト教の修道主義を見ならったものであろうと近年の学者は解釈している。
 商用で彼はよくシリアを訪れた。
当時シリアのキリスト教教会では修道主義といことが非常に盛んで、修道士ばかりでなく一般の信者も、一年中のある期間だけ山にこもって瞑想生活したものである。
喧騒と淫乱の偶像崇拝の都から来たマホメットの目にはこの風習が、珍しくもまた美しく映ったのであろう。
『コーラン』の中でも、「我らはナザレ人」と自称する人々は信仰ぶかい人々である、それは彼らの中には司祭とか修道士とかいう者が沢山いて、みだりに罰当りな気持を起すことがないからだ、と記されているし(上巻、194頁)、またそう言えば、初期の啓示で特に天地終末の恐ろしい光景を描いた部分はシリア教会の聖者の説教文にそっくりのところが非常に多い。
 いずれにせよ、マホメットの最初の召命体験――神の預言者として選ばれる体験――が、このような瞑想的な、厳粛な雰囲気のうちに行われたことだけは間違いない事実である。
 ある年のラマザン月のある夜、例によってヒラー山の洞穴にこもっている彼に突如として超自然的なものの圧力がのしかかって来た。
後日彼はそれを天使ガブリエルの降臨と解した。
天使は息が窒(つま)っていまにも死ぬかと思うほど彼の喉元(のどもと)をひっ掴んで、いきなり「誦め」と命じた。
「私は読み書きができぬ無学のもの。私に何が誦めましょう」と言うと、天使はそれにこたえて次の一節を唱えたという。
それが現行『コーラン』の第96章、「凝血」である。
  誦め、「創造主(つくりぬし)なる主(しゅ)の御名において。いとも小さい凝血から人間をば創りなし給う」云々。
 ふと顔を上げた彼の目に、遠く天涯のあたり、ありありと何者か巨人のような姿がうつった(下巻、81章参照)。
驚きと怖れで真青になった彼は家に逃げ帰り、妻のところへ駈けこみ、その膝に縋りついてがたがた顫えた。自分はてっきり悪霊にとり憑かれたに相違ないと彼は思っていた。
 悪霊の仕業であろうと恐れおののいている気の弱い夫をはげまし、力づけて、ついにアラビアの預言者に仕立て上げたのは冷静で大胆なハディージャであった。
彼女はこれが神の霊感であることを信じて疑わなかった。
彼女がマホメットについで最初の信者になった。
それ以後、苦難にみちたメッカでの十年間、ハディージャとその近親だけが彼の支えであった。
 こうして、とにもかくにもマホメットは新しい宗教を興した。
最初のころは彼を狂人扱いにしていい嗤いものぐらいにあしらっていたメッカの人たちも、次第に彼の周囲に人々が集り、その集団が無視しがたい勢力となりはじめるに及んで、真剣に考えざるを得なくなって来た。
『コーラン』の本文を読めばすぐにわかるように、マホメットの説く新宗教は、アラビア人が一番大切にしている先祖伝来の神々の崇拝に真正面から反対して、聖書系統の唯一神の崇拝を唱える。
そればかりか『コーラン』の社会政策は、貧乏人にはすこぶる都合がいいが、金持ちにはひどく具合の悪いものである。
今の言葉で言うと、明らかに社会主義的である。
もしこの宗団に支配権を握られたら、クライシュ族は完全に破滅。
しかも現世ばかりか来世でも、「束の間のこの世の楽しみうつつをぬかした」罰として地獄の劫火は免れないと言う。
そこでクライシュ族あげての猛烈な反攻が開始された。
 こうなるとマホメットの側は弱い。
いま述べた社会主義的政策にひかれて人々は集って来るには来たが、当然その大部分は最下層民、金もなければ地位もない貧乏人ばかり。
クライシュ族のお偉方にちょっと圧力をかけられれば、せっかくの信仰も忽ちぐらつき出そうというもの。
かてて加えて、一番のたのみの綱だった妻ハディージャと叔父のアブー・ターリブにも死なれてしまった。
さきにも一言したことだが、その頃のアラビアの社会は「同じ血をわけた」部族が中心であり基礎である。
部族から切り離され、ひとり放り出された人間ほど世に惨めなものはない。
マホメットは正にそういう状態に陥ったのであった。
 普通のアラビア人なら、もうここで万事窮す、である。
しかしマホメットはもうそうの頃、後年彼の特徴となるあの無類の政治性をいつのまにか立派に身につけていた。
破滅の寸前、彼は血路をひらくことに成功した。
それがいわゆるメディナへの「遷行(ヒジュラ)」である。
(『コーラン(下)』井筒俊彦訳 岩波文庫 1958年 1964年改版)

つづく…
今朝の父の一枚です(^^)v
コゲラに出会っていました。
ちょこちょこ動くので写すのに苦労したと言っていましたp(^^)q

今日は、午後から心臓リハビリの予定でしたが、大阪は感染者が一気に増えているので中止しました。
5日に主治医の診察のときや7日の心臓リハビリの時に感染者が急増した時は中止しましょうと相談していました。

『コーラン』の解説を転記しながら思ったのは、マホメットに限らず、仏陀やキリストには女性蔑視の考えはなかったこと。
それが、始祖から時が経つにつれて女性蔑視の教えが広まり、始祖の教えが歪められてしまっている。