2022年1月2日日曜日

霜の朝

公園に着くと霜で真っ白になっていました。
大阪は穏やかな天気なのですが

北海道~北陸 きょう午後から大気不安定 なだれや落雪に注意」(NHK)
チ・ミョングァンさん死去 韓国軍事政権による弾圧を告発」(NHK)

岩波書店のTwitterに

宗教哲学者の池明観さんがお亡くなりになりました。
北朝鮮に生まれ、ソウル大大学院で宗教哲学を専攻。
1960年代に軍事政権を批判し、弾圧を逃れて来日。
雑誌『世界』にT・K生の名で「
韓国からの通信」を発信しつづけました。
小社では他にも
池明観自伝 境界線を超える旅等の著作があります。

当時の韓国は、現在の中国、ロシア、ミィヤンマーなどと変わらない。
徒然草』第19段 

 訳

 季節の移り変わりとともに現れる一つ一つのことが、あわれを実感させてくれる。
「もののあわれは、秋にこそ強く感じられる」と誰でも言い、それも尤(もっと)もではあるが、今一際(ひときわ)心が浮き立つのは、春の情景であろう。
鶯などの鳥の鳴き声も、ことのほかに春めいて、のどかな春の日差しに、垣根の草も萌え出る頃から、次第に春も深まり、あたり一面に霞が立ち、桜の花もようやく少しずつ咲き始めるようになると、折悪(おりあ)しく雨風の日が続き、あっという間にあわただしく、せっかくの桜が散ってしまう。
青葉の季節になるまで、すべてにつけ、心を悩ますことばかりである。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
初夏に咲く花橘の香は、「五月(さつき)待つ花橘の香(か)をかげば昔の人の袖の香ぞする」と歌にも詠(よ)まれて古来有名であるが、やはり何と言っても梅の香には、昔のことが心に立ち返ってきて、恋しく思い出される。
また、山吹の清涼感や、藤の花のふっさりとした様子など、すべて、春の季節は、思い捨てがたい情感があふれている。
「四月八日の釈迦生誕の日に行う灌仏会(かんぶつえ)、それに続いて賀茂祭(かもまつり<葵祭>)となり、若葉が梢に涼しげに茂ってゆく夏の季節は、とりわけ世のあわれも、人の恋しさも増さるものだなあ」と、あるお方がおっしゃったのは、まことにその通りである。
五月になると、菖蒲を屋根に葺(ふ)く端午の節句や、水田に植える早苗を採る頃となる。
水鶏(くいな)がホトホトと戸口を叩(たた)くように鳴くことなども、折しも五月闇(さつきやみ)の季節のせいなのか、何とも心細く感じてしまうのだ。
六月の頃、粗末な家に、夕顔の花が白く咲いているのが見えて、蚊除(かよ)けの蚊遣火(かやりび)を焚(た)いているのも、あわれな情感を誘う。
一年のちょうど半年が経(た)った夏の終わり、六月末日に行われる六月祓(みなづきばらえ)もまた、風情(ふぜい)がある。
 暦の上で秋になって間(ま)もなくの七夕祭は、たいそう優美な行事である。
次第に夜寒(よさむ)になる頃、雁が北方から鳴き渡ってくる頃、萩の下葉が紅葉(もみじ)する頃、早稲田を刈り干すなど、次々にいろいろなことが多いのは、秋ならではのことである。
また、台風一過の朝の様子も、風情がある。
こう書いてくると、みな『源氏物語』や『枕草子』などにすでに書き古されていることになってしまうが、同じことはもう今さら言うまい、というわけでもないだろう。
言いたいことを言わないのは腹が張ったような不快感が残るから、私は筆に任せてつまらない無駄書きをしているのである、
それに、書く傍(そば)から破り捨てるべきものであるのだから、他人が見るべきものでもない。
 それはそうと、さて、冬枯れの情景は、決して秋に勝るとも劣らないだろう。
(みぎわ)に生えている草に、鮮やかな紅葉が流れ去らずに散り止(と)まり、霜がたいそう白く降りた朝、遣水(やりみず)から、この寒さのせいで水蒸気が立ち昇っている光景は、素晴らしい。
年もすっかり暮れ果てた歳末になって、誰でもが忙しそうにしている頃は、本当にあわれ深い。
季節はずれの白々しい興ざめなものとして、わざわざ見上げる人もない冬の月が、寒そうに皎々(こうこう)と澄み切っている十二月二十日過ぎの空は、何と言っても心細いものである。
宮中では、御仏名(おぶつみょう)や、伊勢大神宮や各地の御陵(ごりょう)に「荷前(のさき)の使い」が立つなど、あわれに尊いことである。
その他にもいろいろな儀式が多く、新春の準備に取り重ねて催し行われる様子は、素晴らしい。
大晦日(おおみそか)の深夜、宮中行事が、追儺(ついな)から四方拝(しほうはい)に引き続いて行われるのも見ていて心が引かれるものである。
また、外では、大晦日の夜に、ひどく暗いので松明(たいまつ)を灯(とも)して、夜中過ぎまで、人が、家の門を叩いて走り歩き、何事であろうか、大声で罵りながらまるで空中を走るが如き大騒ぎしていたのに、暁方になるとさすがに静かになるのも、いよいよ今年も終わるのだと、心細くなる。
(な)き人がやって来る夜というので、大晦日に魂祭(たままつり)を行うのは、この頃はすでに都では廃(すた)れてしまったが、東国ではまだ行われていたのを見たのは、あわれ深かった。
 こうして、次第に明けて行く空の様子は、つい昨日と変わるものでもないのだが、なぜかすっかり事新しく改まったようで、珍しく感じられる。
大路(おおじ)の様子が門松をずっと向こうまで立て渡して、華やかでうれしそうに見えるのは、新年を迎えたからこそであり、そのことが身に沁みる。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
今朝の父の一枚です(^^)v
メジロがツバキの蜜を舐めています。
この虫たちが訪ねてこない寒い時期に咲くのは

●花と動物
(前略)
 鳥によって花粉が運ばれる花を持つ植物は、鳥がつついても落ちないように丈夫な花冠を持っており、また、蜜や花粉が多量にあるものが多いです。
鳥が飛ぶためにはエネルギーが必要なので、鳥に魅力を感じてもらうために、餌になる蜜を多量に用意していると考えられます。
 このように鳥媒(ちょうばい)をおこなう花を「鳥媒花(ちょうばいか)」といいます。
ちなみに、メジロやヒヨドリがよく訪れる花の色は、赤系が多いようです。
(後略)
(『観察する目が変わる 植物学入門』矢野興一 ベレ出版 2012年)