2022年1月28日金曜日

霞んでいました

いつも見えているあべのハルカスがぼんやりと霞んでいました。
1月も終わり近くで、2月は寒さの本番なんだけど霞は春の季語。

Eテレ0655の「リクエストにおこたえFd(フライデー)」で流れた曲は
「朝が来た!」(うた:真心ブラザーズ)のフルバージョン♪
昨夜のEテレ2355では「冬毛の歌」♪
オオカマキリの卵鞘(らんしょう)のようです。
春が待ち遠しいだろうなp(^^)q

【100句すべて掲載】コロナ禍の「サラリーマン川柳」〟(NHK)
辛いことも川柳にすると笑えるのがいい(*´▽`*)
その中から

ウイルスも 上司の指示も 変異する
第三部 ウイルスとは何か
 第八章 ウイルスとは何か――「ウイルスは生物か無生物か」

……

   ✤

 しかし注意しなければならいことは、前に詳しく述べたように自分自身の代謝機能をもたないウイルスの増殖がいつも生きた細胞の中で行われるということです。
 試験管の中で核蛋白質として取り出されたウイルスはいわば休眠状態のウイルスです。
一種の失権状態です。
それが生きた細胞の中に侵入して復権しないかぎり、増殖をはじめることがない、増殖こそウイルスをしてウイルスたらしめる属性だとするならば、見方によっては、細胞外のウイルスはウイルスであってもウイルスでない、とさえ言えましょう。
(『生物と無生物の間――ウイルスの話』川喜田愛郎 岩波新書 1956年)
 そうみてくると、「ウイルスは生物か無生物か」という問いは実質的にはほとんどその意味を失うと言ってよいのです。
強いてとならば、それは、処をうると、言いかえれば適合する細胞に吸いこまれたときには、自主性をもった生物として振舞いうるきわめて高度に組織された物質、とも言えましょうか。
もとよりこれは、問いも問いなら答も答という程度のはなはだ不正確な表現です。
 こうしたわけで、ウイルスの活動がいつも生きた細胞をその場とするからには、ウイルス学は、ウイルスが何であるかにしても、それは「生物学」の立派な分科とならざるをえないわけです。
 ウイルスを生物学の問題とみてここにはなはだ注目すべきことは、そのような、生きた細胞の要素としても振舞うことのできる粒子――それが単なる寄生体でなくして、細胞に完全に融けこんだ構成因子であることは前に学んだ通りです――が、しばしば流行病の病原ともなるほど自由に細胞に出入りすることができるというまことに意外な事実と、その増殖の速度が他の自己増殖因子とは桁違いに大きいという二つの点です。
その二つはウイルスを生物学上まことにユニイクな実体としています。
そこにウイルスをめぐる諸問題の核心があるとも言えましょう。

……中略……
   ✤

 そうみてくると、ウイルスは地表における生命の最初の形態を示すものではあるまいか、という考えが自然に生まれてきそうです。
有機物が生物に進化する道程にウイルスがその位置を見出すのではあるまいか、という容疑が一応もっともらしくもみえます。
 それはしかし、遺憾ながら事実をよく見ての話だとは言えないようです。
 それは、繰り返して述べるまでもなく、ウイルスが生物として振舞うのは一々特定の細胞の中に限られる、言いかえれば、ウイルスはそれぞれ特定の細胞の代謝を藉りなければ増殖しえない、という事実があるからです。
 そのことは、ウイルスの起源が、細胞というずっと進んだ生命形態の発生より前ではありえないことを示唆します。
ウイルスの現象は生物の歴史の上では現代史、と言って悪ければ少なくとも近代史に属する出来事の一つと考えるのが妥当のようです。
…後略…
(『生物と無生物の間――ウイルスの話』川喜田愛郎 岩波新書 1956年)
今朝の父の一枚です(^^)v

昨日、叔母(父の妹)から三回目のワクチン接種を受けたと電話がありました。
その時に、父は、三回目を受けたからといって安心したら駄目だと。
できるだけ外出しないようにと注意していました。
その父が、夜、整理箱が欲しいのでホームセンターに行きたいと言い出した。
大阪の感染者数と、住んでいる市では、
これまでの感染者は100人当たり3~4人にもなっていると伝えました。

コロナ禍でも自分だけは大丈夫? 非常事態における心と行動のメカニズムを解明する」(筑波大学 外山美樹)