2022年1月3日月曜日

穏やかな三日

青空が広がっていました。
昨日は、霜が降りていたけど、今朝は、日差しがポカポカしていました。

北日本と東日本の日本海側 雪が降り続く見込み 交通影響に注意」(NHK)
うまくピントを合わせることができなかったのだけど
枯葉に緑色の虫。
成虫で越冬するのでカゲロウの仲間(カオマダラクサカゲロウスズキクサカゲロウ?)かな?
このように虫たちは、枯葉などに隠れて越冬しているのだけど
シジュウカラなどの鳥たちは、うまく見つけ出している。
Eテレ歳時記食堂 「おいしい俳句 召し上がれ~新年」(見逃し配信:1月9日まで

紹介されていた三句

餅焼いて食ふや男を交へずに  桂信子

おなべはあたたかい我が家の箸でいただく  住宅顕信

くず湯吹く姓を違へて四姉妹  結城あき
宇多喜代子さんが住宅顕信(すみたくけんしん)を紹介してくださった。
番組では、池端秀一さんや息子さんが登場されていて住宅顕信について語っていました。
手元にある本が『ずぶぬれて犬ころ』(版画:松林誠 中央公論新社 2002年)と
住宅顕信句集未完成』(春陽堂)です。
いずれも絶版か品切れになっているようです。
(住宅顕信句集『未完成』は、顕信が亡くなった<1987年2月7日>、翌年、1988年2月7日に彌生書房より出版されています)

池端秀一さんが「住宅顕信解説」を書いておられるので転記します( ..)φ
 住宅顕信解説 池端秀一

 住宅顕信との出会いは、昭和61年8月。
当時、自由律俳句誌『層雲』を購読しはじめたばかりの私に彼から電話がかかってきたのがはじまりだった。
『層雲』とは荻原井泉水によって明治44年に創刊された、尾崎放哉や種田山頭火も所属していた老舗の自由律俳句雑誌である。
(『住宅顕信 句集 未完成』春陽堂書店 2003年)
 顕信は澄んだ声で、浄土真宗の僧侶であることを告げ、「岡山市民病院に入院しているので是非遊びに来てください」。
夏休み中だったこともあり翌日早速病室を訪ねた。
坊主頭で鋭い眼をしており、常時点滴をぶら下げていた。
 「すぐに死ぬような病気ではないが、一生治ることはなく、もう働くことは出来ない。それで家族皆の協力を得て俳句に全力を注いでいる」というようなことを言った。
顕信の病室は特別室で、ソファもあり、私から見て、それほど重症にも見えなかったので、長時間話し込んだ。
市役所で清掃業務に従事していたことや、結婚したが離婚して、生まれたばかりの子を引き取ったことなどを知った。
自由律俳句についてはあまり知識はなかったので、顕信の話は新鮮で魅力的だった。
 それから二週間に一度くらいの割合で病室の足を運んだ。
ふつう仲の良い友達ならば、毎日の様に会うのだろうが、私達の関係はそのようなものではなく、自由律俳句の初心者である私が、顕信の教えを請うと言った形だった。
俳句の個人授業のようなものだ。
顕信が推薦してくれた本や句集を二週間くらい読み込んで、ある程度自分なりの意見が言えるようになってから、病室を見舞った。
 当時私は三十五歳。顕信は二十五歳。
十歳も年齢が違えば、話が噛み合わないと思うこともあるはずなのだが、句評といい人物評といい顕信の言うことは、的外れだと思うことはほとんどなかった。
年長の私に対して丁寧な態度だったが、俳句の評にかんしては、手厳しく、ちょっと手ぬるいことを言おうものなら、即座に鋭く切り込んできた。
聡明な男だと思った。
 『層雲』に入門してまだ二年程度の句歴だったのだが、並外れた集中のため上達も速かったのだろうし、既に俳人としての風格を備えていた。
自由律俳句全般に関して本格的に勉強していたが、特に尾崎放哉を徹底的に読み込んでおり、『尾崎放哉全集』(彌生書房)は一冊はボロボロにしてしまい、二冊目を使っていた。
 その二冊目も、今見てみると書き込みがすごい。
顕信なりに詳細に放哉の句を分析している。
ボロボロになったほうは棺に入れて焼かれてしまったのだが、二冊目の放哉全集は今も残っていて、さまざまのライターの所を転々としている。
勿論放哉ばかりでなく、山頭火も海藤抱壺、井泉水、中塚一碧楼等もしっかり読んでいた。
誰彼の句を例としてあげるときは、いつも暗誦していた。
 ここで顕信の俳句生活を支えた個性豊かな句友について少し述べておきたい。
顕信がこれらの人々について嬉しそうに話すのを聞くのが毎回楽しみだった。
彼等に支えられた恵まれた環境だったからこそ顕信は俳句に没頭できたのであった。
勿論、顕信の両親や市民病院の看護婦をしていた妹、長男春樹の存在はいうまでもないことではあるが。
 まず当時層雲社事務室を担当していた池田実吉氏。
顕信が師と仰いでいた方で、大正9年生まれ、京都で婦人服の仕立てを職業としていた。
非常に面倒見のよい方で、病室にも何度も見舞い、顕信を励ましている。
顕信が俳句を書いて送るといつも丁寧な意見を添えて返送され、その評に顕信は信頼をおいていた。
そのはがきや手紙の数がすごい。
顕信が死後すぐに病に倒れられ、今はもう故人となられた。
池田氏が生きておられば、今日の顕信の評価を見て喜んでくださっていたことと思う。
(『住宅顕信 句集 未完成』春陽堂書店 2003年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^^)v

キジバトが暖かい日差しにウトウトしているような(*´▽`*)
ベンチに座って珈琲タイムをしていたときに父が
こんなに天気がいい三が日は、ひさしぶりだなぁ!
新年、いいスタートをきれたと喜んでいました。

あけっぱなした窓が青空だ

見上げればこんなに広い空がある
(『ずぶぬれて犬ころ』住宅顕信、版画 松林誠 中央公論新社 2002年)