2022年6月1日水曜日

6月になりました

6月のスタートは青空でした。
それでも薄い雲がかかっていたので
まんまるい(かさ)が見えました。
線状降水帯予測きょうから開始 危機感高めるため活用を 気象庁」(NHK)
過去の事例からみると、情報が出ない中で線状降水帯が発生するいわゆる“見逃し”は3回に2回程度あり、
“的中率”も全国で2回に1回程度、地方単位では4回に1回程度にとどまるとしています。


空振りや見逃しなどが多いと思いますが、
データを蓄積していくことで精度をたかめることができると思います。
ザポリージャ原発に爆発物「核の大惨事のおそれ」公社危機感〟(NHK)
ロシアは、思考力が低下しているのでしょうか?
侵略が遅々として進まないことへのプーチン大統領の怒りの方が
原発の危険性よりも怖いのではないかと思ってしまう。

泊原発の運転認めない判決 北電にいっそうの説明責任」(北海道NHK)
今までにも書いてきましたが、日本の原発は、無防備だと思いますよ。

津波以上に怖いのは、ロシア以上にブレーキが効かない国がミサイルを発射している。
敵地攻撃能力だの反撃能力だのとおっしゃる方がいますが、
そのまえに、原発がミサイル攻撃を受けない手だてがあるのでしょうか?
春風馬堤曲(しゅんぷうばていのきょく)」つづき

  藪入りの寝るや小豆(あずき)の煮える中(うち)

という句を作り、さらに春風馬堤曲を作る蕪村は、他人の藪入りを歌うのでなく、いつも彼自身の「心の藪入り」を歌っているのだ。
だが彼の藪入りは、単なる親孝行の藪入りではない。
彼の亡き母に対する愛は、加賀千代女(かがのちよじょ)の如き人情的、常識的道徳的の愛ではなくって、メタフィジックの象徴界に縹緲(ひょうびょう)している、魂の哀切な追懐であり、プラトンのいわゆる「霊魂の思慕」とも言うべきものであった。
(『郷愁の詩人 与謝蕪村』萩原朔太郎 岩波文庫 1988年)
 英語にスイートホームという言葉がある。
郊外の安文化住宅で、新婚の若夫婦がいちゃつくという意味ではない。
(つた)かずら這(は)う古く懐かしい家の中で、薪(まき)の燃えるストーヴの火を囲みながら、老幼男女の一家族が、祖先の画像を映す洋燈(ランプ)の下で、むつまじく語り合うことを言うのである。
詩人蕪村の心が求め、孤独の人生に渇(かわ)きあこがれて歌ったものは、実にこのスイートホームの家郷であり、「炉辺(ろへん)の団欒(だんらん)」のイメージだった。
  葱(ねぎ)買つて枯木の中を帰りけり

 と歌う蕪村は、常に寒々とした人生の孤独(アインザーム)を眺めていた。
そうした彼の寂しい心は、炉(いろり)に火の燃える人の世の侘しさ、古さ、なつかしさ、暖かさ、楽しさを、慈母の懐袍(ふところ)のように恋い慕った。
何よりも彼の心は、そうした「家郷(ハイマート)」が欲しかったのだ。
それ故にまた

  柚(ゆ)の花やゆかしき母屋(もや)の乾隅(いぬいずみ)

 と、古き先代の人が住んでる、昔々の懐かしい家の匂(にお)いを歌うのだった。
その同じ心は

  白梅(しらうめ)や誰(た)が昔より垣の外(そと)

 という句にも現れ

  小鳥来る音うれしさよ板庇(いたびさし)

  愁ひつつ丘に登れば花茨(いばら)

 などロセッチ風な英国抒情詩にも現われている。
オールド・ロング・サインを歌い、炉辺の団欒を思い、その郷愁を白い雲にイメージする英吉利(イギリス)文学のリリシズムは、偶然にも蕪村の俳句において物侘(ものわび)しく詩情された。
  河豚汁(ふぐじる)の宿赤々と灯(とも)しけり

 と、冬の街路に炉辺(ろへん)の燈灯(ともしび)を恋うる蕪村は、裏街を流れる下水を見て

  易水(えきすい)に根深(ねぶか)流るる寒さかな

と、沁々(しみじみ)として人生のうら寒いノスタルジアを思うのだった。
そうした彼の郷愁は、遂に無限の時間を越えて

  凧(いかのぼり)きのふの空の有りどころ

 と、悲しみ極まり歌い尽(つく)さねばならなかった。
まことに蕪村の俳句においては、すべてが魂の家郷を恋い、火の燃える炉辺を恋い、古き昔の子守歌と、母の懐袍(ふところ)を忍び泣くところの哀歌であった。
それは柚(ゆ)の花の侘(わび)しく咲いている、昔々の家に鳴るオルゴールの音色のように、人生の孤独に凍(こご)え寂しむ詩人の心が、哀切深く求め訪ねた家郷であり、そしてしかも、侘しいオルゴールの音色にのみ、転寝(うたたね)の夢に見る家郷であった。
(『郷愁の詩人 与謝蕪村』萩原朔太郎 岩波文庫 1988年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^^)v
父に聞くと、ヒヨドリと思っていたので一枚だけ写したそうです。
帰宅後、画像を見て「もったいないことした」と悔しがっていました。

(たか)

〇「タカ飛び日高」とは、天気の良い日はタカが高く飛んで鳴く、の意。
タカが飛ぶと天気になる(宮城)、天気が良くなる時はタカが「天気エエ、天気エエ」と鳴く(岐阜)。
雨上がりの時タカがピーピー鳴くと天気が続く(愛媛)といい、山形でも「朝タカ夕トビ」(朝タカが飛ぶのと夕方にトビが飛ぶのは晴れの前兆の意)というが、逆に岐阜ではヘビタカが鳴くと雨、奈良では、タカが空を低く飛ぶと雨、和歌山ではタカが平野を徐翔すると翌日は雨といい、和歌山ではその理由をタカが高山の頂上付近で獲物をあさるのは晴天の日に限り、霧風の時はいち早く山下に移ってしまう、と説明する。
さらに、タカが鳴くと風が吹く(宮城)、寒露(太陽暦では10月8日ごろ)のタカの渡り高ければその冬は寒くないが、低ければ寒が強い(沖縄)、などの占候がある。
(『日本俗信辞典 動物編』鈴木棠三 角川ソフィア文庫 2021年)