2022年6月4日土曜日

6月4日

青空でした。
日差しは眩しかったけど風が時々吹いて歩きやすかったです。
青空を見上げるとジャカランダの花が咲き出していました。

朝のニュースを見ていた父が自分も頑張らないといけないと元気をもらっていました。

堀江謙一さん83歳 世界最高齢で単独無寄港の太平洋横断達成」(関西NHK)
1989年6月4日未明に
天安門事件 武力鎮圧」(NHKアーカイブス 1989年)

中国では、事件の記憶を消し去ろうとしている。

天安門事件30周年、中国の一大「忘却」事業〟(BBC 2019年6月4日)

香港大、天安門事件の追悼像を撤去 「墓石の破壊」と制作者は批判〟(BBC 2021年12月23日)

中国 天安門事件報道でNHK放送が一時中断 当局監視か」(NHK)
6月の異称は「水無月(みなづき)
高校時代は6月1日に衣替えでそれまで暑いのを我慢して詰襟の制服を着ていました。

 「水無月」の原義

 旧暦六月は、今の暦では7月から8月にあたり、梅雨があがってもっとも暑い時期で、晴天の日が続く。
降雨が少なくなり、『万葉集』にも「六月(みなつき)の地(つち)さへ割(さ)けて照る日にも……」(巻十)と詠まれていることから、六月の異称の「水無月(みなづき)」とは、水無しの月の意味だとする説がある。
しかし、この月の年中行事や祭りを見ていくと、月初めと月末、さらに月半ばにも水に関する、あるいは水辺での行事や祭儀があって、「みなづき」は「水の月」の意味であるといえる。
(『日本の歳時伝承』小川直之 角川ソフィア文庫 2018年)
 六月一日は、近畿地方から北陸・中国地方では「氷の朔日(ついたち)」といって、一度凍らせてから乾燥させた正月の凍み餅(しみもち)を食べたり、その名の通り、氷室(ひむろ)に保存しておいた氷を食べたりした。
この日のことを中部地方では「衣脱(きぬぬ)ぎ朔日」、関東から東北地方では「むけの朔日」といった。
「むけの朔日」の名を伝えているところでは、この日には人間が脱皮をし、その皮が桑の木につり下がっているので、桑畑に行ってはいけないなどの禁忌もあった。
 保存しておいた凍み餅は、歯固めとして食べるのであり、氷や凍み餅、さらに衣脱ぎや脱皮の言い伝えからは、一年の半分が終わる水無月は、時が改まり、人間が再生する月と考えていたのがうかがえる。
六月一日には、雪が降ったという、とても信じられない言い伝えをもつ所があるが、これも氷の朔日と同様、年初めの清らかな雪を求める情趣を表現している。
 六月半ばになると各地で水神祭りが行われ、また、夏祭りの代表である祇園(ぎおん)祭や天王祭では、神輿(みこし)を海辺や川辺に担ぎ、水の中に練り込んだり、水を掛け合ったりして、神輿にまつり籠(こ)めた神の力を更新する祭儀が盛んに行われている。
京都の祇園祭といえば、7月になってからの山(やま)や鉾(ほこ)の巡行が有名だが、明治5年(1872)12月の改暦以前は、これは6月の祭りで、八坂神社の神輿を鴨川(かもがわ)の水で洗う「神輿洗い」も6月の行事だった。
「水の月」としての最後の行事が六月晦日(みそか)の「夏越(なごし)」で、このときには身の穢(けが)れを移した人形(ひとがた)を川に流したり、自身が海や川に入って水浴して身を清めたりする行事を伝えるところが各地にある。
 六月の一ヶ月間は、このように時が改まり、人間や神が再生する精進潔斎(しょうじんけっさい)の月で、その精進潔斎は水で行う。
まさに「水の月」としての意味をもっていた。
(『日本の歳時伝承』小川直之 角川ソフィア文庫 2018年)

県北部で2日ひょうの被害相次ぐ」(埼玉NHK 6月3日)のニュースにビックリしたのだけど、
六月一日には、雪が降ったという、とても信じられない言い伝え」も事実なのかもしれないなぁ…
 先日ジョージ6世の宣戦布告のスピーチを少し紹介しましたが、

第12章「オーストリア人のペンキ屋を殺せ」

前略…(1939年9月3日)
国王は大英帝国中で何百万人ものひとびとが聞く自分のスピーチに、どれだけ多くがかかっているかを痛感していた。
 五十秒程度で赤い照明がついた。
国王がマイクの近くに歩み寄ると、ローグは国王のほうを見やり、ほほえんだ。
内庭の時計が六時を打つと、国王は口角を心持ち上げ、感情をこめてスピーチを始めた。
(『英国王のスピーチ』マーク・ローグ著、ピーター・コンラディ著、安達まみ訳、岩波書店 2012年)
  われわれは歴史上、もっとも運命的な、厳粛なこのときに、わたくしは、本国と海外のわが諸国民のすべての家庭にわが言葉を伝えたい。
わたくしがあなたがたの家一軒一軒の敷居をまたぎ、面と向かって話しかけるのに等しく、あなたがたひとりひとりに向けて、深い感慨をこめてこれを語る。
  われわれの多くは、生涯で二度目の戦いのさなかにある。
われわれは、いまやわが敵となったひとびととの見解の相違に平和的な解決をもたらそうと、幾度となく試みた。
だが、それは徒労に終わった。
われわれは意にそまぬ対決を強いられている。
われわれは、わが味方とともに、ある主義の挑戦を受けて立たざるを得ない。
その主義が優勢になれば、世界のいかなる文明的な秩序にも破滅をもたらすからだ。
  この主義は、利己的な権力を追い求めるあまり、条約や正式の誓約を無視することさえ国家に許容する。
他国の独立に対して、力の行使、あるいは力の脅威を是とする主義なのだ。
かような主義からひとたび変装を剝ぎ取れば、まぎれもなく、力こそ正義なりという、まことに原始的な主張に成り下がる。
そして、この主義が全世界にはびこれば、わが国の自由を、イギリス連邦の自由を、脅かすことになろう。
それだけではない。
ゆゆしくも、世界中の諸国民が恐怖の虜になり、国家間の安定した平和と、正義と自由の保証の希は潰えるのである。
  これこそがわれわれの直面する究極の問題である。
われわれが大切に思うすべてのためなればこそ、世界の秩序と平和のためなればこそ、この挑戦を受けて立たぬことなど、とうていありえない。
  この気高い目的のために、わたくしは本国のわが国民と海外のわが諸国民に呼びかける。
彼らはわが大義を己のものとするであろう。
この試練のときに、彼らが落ちつき、揺るぎなく、心を一にすることを望む。
難しい務めとなろう。
今後、われわれを待ち受けのは、暗黒の日々となろう。
また、もはや戦いが繰り広げられるのは、戦場に限られないであろう。
それでもなお、われわれは己が正しいとみなす正義を成し、敬虔な気持ちでわれわれの大義を神にゆだねるのみだ。
われわれひとりひとりが、決然として大義に忠誠を保ち、それが求めるいかなる献身も犠牲も覚悟すれば、神に助けられ、われわれは勝つ。
  神がわれわれを祝福し、われわれをお守りくださるように。
…後略…
(『英国王のスピーチ』マーク・ローグ著、ピーター・コンラディ著、安達まみ訳、岩波書店 2012年)

お昼のNHKニュースを見ていると
プーチン大統領)私たちは常にアフリカ側にいる、植民地主義とのたたかいで常に支援してきた
このようなことを平気で言えるから、
ロシア国内で政府に反対する人たちを検挙したり、
毒殺することが平気でできるのだと思う。
“アフリカ食糧事情悪化“ セネガル大統領ロシア訪問し伝える」(NHK)