2022年6月25日土曜日

朝から…

最初に出会った方が、東屋の温度計を見てビックリしたと話されたので見に行くと
8時前で30度を超えていました(-_-;)

東京都心で35度超 各地で危険な暑さ 熱中症に厳重な警戒を」(NHK)

近畿地方 猛烈な暑さになる見込み 熱中症に警戒を」(関西NHK)
パソコンを起動してGoogleを開くと…
小川公代さんのtwitterにも

ロシア軍によるウクライナ侵攻で一般市民、そして子どもたちに犠牲者が出ていますが、
今日のGoogleは、第二次世界大戦時にナチスドイツの占領下で息を潜めて生きた少女アンネ・フランクの物語を伝えています。
「暗い鳥かごから出ようと必死で体当たりし続ける、翼をもがれた小鳥のような気分です。」
米連邦最高裁 “中絶は女性の権利”だとした49年前の判断覆す」(NHK)

坂本史衣さんのTwitterに

中絶の選択肢が消滅する/した州では、
遠方に移動して処置を受けるための有給が取れない(失職や困窮の恐れから)、
幼い子供がいて身動きが取れない、
旅費等々の費用の工面ができない弱者が、
望まない出産に追い込まれたり、
質が保証されない闇中絶による健康被害を受ける可能性が高まる。

レイプも近親相姦も例外なしというのは相当なものだが、
そもそもどういう理由であっても、当事者が選択する権利を認めない社会は恐ろしい。
日本の配偶者原則同意も同じく。
 母が私に望んだ重要なことは、ふたつ。
ひとつは、自立すること。
もうひとつは、母の言葉を借りれば「レディーになること」。
母の言うレディーとは、白い手袋をはめることではありません。
エネルギーを奪うだけで役に立たない感情に流されない女性のことです。
怒りや嫉妬や後悔といった感情は、己(おのれ)を高めるのではなく、袋小路(ふくろこうじ)に追い込むだけです。
「レディーになる」とは、怒りに任せて言い返したりせず、何度か深呼吸してから、理解していない人々を教え導くように応える女性になる、という意味です。
(『信念は社会を変えた! ルース・ベイダー・ギンズバーグ』ジェフ・ブラックウェル&ルース・ホブデイ編 橋本恵訳 あすなろ書房 2020年)
 義理の母にも、私の結婚式の日に、最高のアドバイスをもらいました。
式は義理の母の家で挙げたのですが、式の直前、義母が「幸せな結婚の秘訣を教えてあげる」と言ったのです。
「ぜひ、知りたいです。何ですか?」と尋ねたところ、義母は「時々、耳が遠いふりをするといいわよ」と言いました。
つまり、もし意地悪や無神経な言葉を投げかけられたら、聞こえないふりをして聞き流せばいいのです。
このアドバイスは、あらゆる職場できっちりと活かしてきました。
最高裁判所という現在の職場で、今も活かしています。
もし意地悪や無神経なことを言われたら、無視すること。
めげたりしては、だめですよ。
 義父からもらった、すばらしいアドバイスの影響もありますね。
コーネル大学を卒業後、ハーバード大学ロースクールに入学するまでは、2年間、空きました。
1954年から56年にかけて、夫が兵役に就き、引っ越したのです。
この2年の間に妊娠し、子育てが始まると、ロースクールと両立できるだろうかと悩みました。
すると、義父が私にこう言いました。
「ルース、ロースクールに前向きになれなくても、そのせいで見くびられることはない。きちんとした理由があるからね。でも、本気で弁護士になりたいのなら、自己憐憫(じこれんびん)にひたるのはやめて、自分を奮い立たせれば、きっと道は見つかるよ」
 このアドバイスは、人生のあらゆる転機で思い出してきました。
「これは、本当にやりたいことなの?」と自分に問いかけて、もし答えがイエスなら、実現するための方法を見つけます。
(『信念は社会を変えた! ルース・ベイダー・ギンズバーグ』ジェフ・ブラックウェル&ルース・ホブデイ編 橋本恵訳 あすなろ書房 2020年)
明日のEテレ日曜美術館「ジュアン・ミロ 日本を夢見て
1970年の大阪万博のガスパビリオンで展示されていたミロの「無垢の笑い」

当時76歳だったミロは4か月で この大作を完成させました。
この絵に込めた思いをミロは 語っています。

「現在の社会は あまりにも悲劇的だ。
これから逃れるためにも純粋な笑いがあってしかるべきだ」。
この時 スペインは依然としてフランコ政権。
ミロのふるさと カタルーニャでは政権に逆らい 処刑される者もいました。
そんな中 ミロは 「純粋な笑い」を世界に向けて描いてみせたのです。


中之島の国立国際美術館で出会うことができます。
 「夏――納涼・甘味噺(ばなし)」つづき

 策伝の没後間もなく、京都に露の五郎兵衛、大坂に米沢彦八、江戸に鹿野武左衛門と申し合わせたかのように三都に落語家が出現する。
中でももっとも活躍時期が早い露の五郎兵衛は、もと日蓮宗の僧。
北野天満宮などで滑稽(こっけい)な説教を行ない人気を集めた。
誓願寺住職という本業のあった策伝とは違い、露の五郎兵衛はこの「辻ばなし」で生計を立てていたため、かれは落語家第一号とされている。
一方、大坂では米沢彦八が出現、江戸では鹿野武左衛門が屋内で噺をする「座敷仕型(ざしきしかた)ばなし」を始めたことから、江戸・上方ともに落語が庶民の娯楽として広まり、今に続くのである。
(『京都はんなり暮し』澤田瞳子 徳間文庫 2015年)
「ほな、ここまで来たんやし、文之助の作った落語の元ネタでも見て行こか」
 と、文之助茶屋を出て西へ。
東大路通を渡って坂を少し下ると、珍皇寺という寺のある六道の辻。
ここに一軒のお茶屋さんがある。
売られているのは<幽霊子育飴(こそだてあめ)>。
ベッコウ色の昔懐かしい麦芽糖の飴で大袋五百円、小袋三百円。
製造元は別のお店だが、このお茶屋さんと、なぜか東大路角の電気屋さんで買うことができる。
 昔、この辺りで夜な夜な飴を買いに来る女がいた。
調べると、実は身重のまま死んだ女が死後出産し、幽霊となって赤子に与える飴を買いに来ていたのだ。
このことからその飴は、「幽霊子育飴」と呼ばれるようになったというが、この話を落語に仕立てたのが桂文之助。
 ――毎夜飴を求める女、飴屋の主が彼女を尾(つ)けていくと、高台寺の墓地に姿を消す。
近くの墓を掘ってみると、そこには一人の赤子。
ああ、子を宿したまま死んだ母親が、子供大事と幽霊になって飴を買いに来ていたのか。
それもそのはず、ここは高台寺(子を大事)。
 夏の怪談噺としては恐ろしさが足りないが、京名物を巧みに織り込んだ古典的作品である。
 面白がった彼女は盆に帰省するときの土産にするのだと、子育飴を大量に買い込んだ。
「さっき、文之助茶屋でもそう言うて、わらび餅買(こ)うたやん。そんなに持てる?」
「大丈夫、新幹線の指定取れてるから。けど、今から下宿まで変えるのは大変かも」
「まさか、持って帰るの手伝ってって言わへんやろうね」
「あれ? なんでわかるの?」
「だって、うちかて身ぃ大事やもん」
 子ぉ大事とかけてみました。
おあとがよろしいようで――。 
(『京都はんなり暮し』澤田瞳子 徳間文庫 2015年)