2022年6月22日水曜日

梅雨の雨

公園に向かっているときは、しとしと雨でしたが
着いてからは、ザーザー降ってきました。
雨の降り方が激しかったのかな?
カタツムリが隙間に隠れていて雨宿りをしているみたいでした…
雨がやむと日差しが暑かったです。

能登地方では、
石川 珠洲 地震相次ぎ地盤緩んでいるおそれ 住民に声かけ」(NHK)
古い本ですが、気になることがあると、よく本を開きます。
再版は無理かな?

梅雨

…前略…

 梅雨の降り方には二つのタイプがある。
いつやむともわからぬ「シトシト型」と、ドカッと大降りしたかと思うとカッと照りつける「ザーザー型」である。
陰性梅雨、陽性梅雨と表現されることもある。
一般的にいうとシトシト型は地域的には東日本、北日本に多く、時間的には梅雨期の前半に多い。
ザーザー型地域的には西日本でよく降り、時間的には梅雨期の後半に多い。
北日本、東日本でも梅雨期の後半にはザーザー降りの集中豪雨が降る。
ザーザ降りは、インドや東南アジアのモンスーン(雨季)の雨と同じ降り方である。
北海道では、気候表で見るかぎり、梅雨はあまり明瞭ではない。
が、年によっては「えぞ梅雨」が実に明瞭に現れることがある。
梅雨の降り方は、年によってずいぶん違う。
東京の6月の雨量は平均181ミリだが、多い年は649ミリ(昭和13年)、少ない年は34ミリ(昭和8年)である。
梅雨入り、梅雨明けも年によって、ずいぶん違うことは、いうまでもない。  (倉嶋厚)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
聞きたかったなぁ…
清水寺 100本のトランペット 平和など願い演奏」(京都 NHK)

昨日の記事で澤田瞳子さんが『枕草子』より引用していました。
三巻本からの引用だと思います。
三巻本と段は違いますが、関連しているなと思う段を、春曙抄本と能因本より転記します( ..)φ
 【第二0五段

 いみじう暑(あつ)き頃(ころ)、夕涼(ゆふすず)みと言(い)ふ程(ほど)の、物(もの)の様(さま)など、おぼめかしきに、男車(をとこぐるま)の前駆追(さきお)ふは、言ふべき事にも有(あ)らず、直(ただ)の人も、後(しり)の簾(すだれ)、上(あ)げて、二人(ふたり)も、一人(ひとり)も乗りて、走らせて行(い)くこそ、いと涼(すず)し気(げ)なれ。
(ま)して、琵琶(びは)、弾(ひ)き鳴らし、笛の音(ね)、聞こゆるは、過(す)ぎて往(い)ぬるも口惜(くちを)しく、然様(さやう)なる程(ほど)に、牛の鞦(しりがい)の香(か)の、怪(あや)しう、嗅(か)ぎ知らぬ様(さま)なれど、打(う)ち嗅(か)がれたるが、をかしきこそ、物狂(ものぐる)ほしけれ。
いと暗(くら)う、闇(やみ)なるに、先(さき)に燈(とも)したる松明(まつ)の煙(けぶり)の香(か)の、車(くるま)に掛(か)かれるも、いと、をかし。
(『枕草子 下』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年)
 訳 たいそう暑い頃、夕涼みをしようかという黄昏時(たそがれどき)は、ものの姿がはっきりと見分けられなくなる。
その時間帯に、男性が乗った牛車が先払いして通り過ぎてゆくのは、言うまでもなく心地良いことであろう。
普通の身分の人であっても、風を通すために牛車の後ろの簾を上げて、定員四人の所を、二人、あるいは一人で、ゆったりと座って、牛車を走らせて行くのも、とても涼しげである。
まして、牛車の中で琵琶を弾き鳴らしたり、笛を吹いたりする、その音色が聞こえるとなれば、それはもう、その牛車が通り過ぎてゆくも惜しまれるほど素晴らしいことである。
また、その牛の尻に掛けてある「鞦(しりがい)」という革紐(かわひも)の匂いが、こちらが嗅ぎ馴れていないせいか、ふと鼻を掠めると、ちょっと不思議にどきどきするような感じがする。
また、自分が牛車に乗っていて、たいそう暗くなると、視覚よりも嗅覚が敏感になるからであろうか、牛車の先に燈(とも)してある松明(たいまつ)の煙の香りが、車の中まで漂ってくるのが、とても、よい感じがするのだ。
 評 前段に引き続き、夏の情景。
ただし、この段は町中での牛車の様子を、嗅覚に関わる記述を中心に描く。
前段末尾の山里の蓬の香りと繋がると共に、次の段の、菖蒲の残り香へと自然な繋がりとなって、文章が、次々と紡ぎ出される。
(『枕草子 下』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年)
三巻本系統諸本逸文
 五 いみじう暑き昼中に


 いみじう暑(あつ)き昼(ひる)中に、いかなるわざをせむと、扇(あふぎ)の風もぬるし、氷水(ひみづ)に手をひたし、もてさわぐほどに、こちたう赤(あか)き薄様(うすやう)を、唐撫子(からなでしこ)のいみじう咲(さ)きたるに結(むす)びつけて、とり入れたるこそ、書(か)きつらむほどの暑さ、心ざしのほど浅(あさ)からずおしはかられて、かつ使(つか)ひつるだにあかずおぼゆる扇(あふぎ)うち置(お)かれぬれ

氷水 氷に涼を求めることは『源氏物語』蜻蛉巻などにみえる。
唐撫子 石竹。紅の濃い色の花が咲く。
かつ使…扇 氷に手をひたしながらも、一方では使っていてさえ物足りなかった扇も。
うち置かれぬれ 自然に思わず手から離してしまう。
(『枕草子[能因本]』松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)
 五 いみじう暑き昼中に

 たいへん暑い昼のさなかに、一体どういうことをしたら涼しくなるのかと、扇を使ってみても風はなまぬるいし、氷水に手をひたしたりさわったりして騒いでいるところに、ひどく真っ赤な薄様(うすよう)の手紙を、唐撫子(からなでしこ)のこれも真っ赤に咲いたのに結びつけてあるのを受け取ったのは、その人がこれを書いていたであろう間の暑さや、こちらへの好意の程度が、並々でないように推察されて、一方で使っていてさえ物足りなく感じられる扇も、思わずそばに置いてしまうのだ。
(『枕草子[能因本]』松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)
三巻本から…

第百十三段

 冬は、いみじう寒き。 
 夏は、世に知らず暑き。
(『新潮日本古典集成 枕草子 上』萩谷朴校柱 新潮社 昭和52年)
冬は、うんと寒いのが〔いい〕。
夏は、たまらなく暑いのが〔いい〕。
〔第113段〕冬と夏
対蹠(たいせき)的な特色を極端に発揮するのを良しとする。

四季の中で、温和な春と秋を喜び、底冷えのする京の冬の寒さ、炒りつけられるような京の夏の暑さを嫌うのが、日本人の常識であり、『古今集』以来、勅撰集の和歌部立(ぶだて)にも、その好悪(こうお)感は、数量的に端的に現れているが、清少納言の好みは、きわめてユニークである。
第一段にも、「冬は、つとめて……いと寒きに」とあった。
(『新潮日本古典集成 枕草子 上』萩谷朴校柱 新潮社 昭和52年)
今朝の父の一枚です(^^)/

 かわいらしいもの
  ――うつくしきも
 (第151段)

 かわいらしいもの。
 瓜(うり)にかいた子どもの顔。
 飼っているすずめの子が、ちゅっちゅっと口で鳴いてみせると、とびだしてくる。
 二つか三つばかりの幼い子がはいだしてきて、通り道に、とても小さなごみのあるのを目ざとく見つけ、ぷっくりしたかわいらしい指でつまみあげ、そばにいるおとなの鼻先に見せるしぐさ。
 おかっぱに切りそろえた髪が目にかかるのを、かきあげもしないで、頭をかしげてものを見る童女のしぐさ。
 公卿(くぎょう)の子弟で元服前(げんぷくまえ)の幼い少年が、きれいな装束をつけて殿上(てんじょう)の間にでいりしてる姿。
かわいらしい子どもを、ちょっとだいて遊ばせているうちにねいってしまうあいらしさ。
 お雛さまの道具類。
 蓮(はす)の小さなういた葉を池からすくいあげたもの。
 葵(あおい)の葉の小さなの。
 なにもかも、小さなものは、みなあいらしく美しい。
 白くふっくり肥えた幼児が藍(あい)と紅(べに)でそめた藤色のうすものの長いのを着て、長い袖があぶなくないように、たすきをゆわれてはいだしてきた姿。
丈は短くても袖ばかり長い着物を着てよちよち歩く幼児。
 八つ九つ十ばかりの少年が幼い高い声で本を読んでいるようす。
 鶏のひながまだ白っぽく、毛も生えそろわず、足ばかり長く見えるのが、ぴよぴよ鳴きながら人についてまわる姿。
また親どりにつれられて走るようについてまわる姿。
 雁(かり)の子。
 仏さまの骨をいれる瑠璃(るり)の壺(つぼ)
(『現代語訳 枕草子』大庭みな子 岩波現代文庫 2014年)