2022年6月20日月曜日

我慢の季節

今朝も蒸し暑い…
出会った方と「我慢の季節ですね」と挨拶していました。
沖縄は梅雨が明けたけど、大阪はこれから梅雨の本番…

沖縄地方が梅雨明け 広範囲で真夏日に 熱中症に十分注意を」(NHK)
  紙燭(しそく)して廊下通るや五月雨(さつきあめ)

 降り続く梅雨季節。
空気は陰湿にカビ臭く、室内は昼でも薄暗くたそがれている。
そのため紙燭を持って、昼間廊下を通ったというのである。
日本の夏に特有な、梅雨時(つゆどき)の暗い天気と、畳の上にカビが生えるような、じめじめとした湿気と、そうした季節に、そうした薄暗い家の中で、陰影深く生活している人間の心境とが、句の表象する言葉の外周に書きこまれている。
僕らの日本人は、こうした句から直ちに日本の家を聯想(れんそう)し、中廊下(なかろうか)の薄暗い冷たさや、梅雨に湿った紙の障子や、便所の青くさい臭(にお)いや、一体に梅雨時のカビ臭(くさ)く、内部の暗く陰影にみちた家をイメージすることから、必然にまたそうした家の中の生活を聯想し、自然と人生の聯結する或るポイントに、特殊な意味深い詩趣を感ずるのである。
(『郷愁の詩人 与謝蕪村』萩原朔太郎 岩波文庫 1988年)
しかし夏の湿気がなく、家屋の構造がちがってる外国人にとって、こうした俳句は全然無意味以上であり、何のために、どうしてどこに「詩」があるのか、それさえ理解できないであろう。
日本の茶道(さどう)の基本趣味や、芭蕉俳句のいわゆる風流やが、すべて苔(こけ)さびやの風情を愛し、湿気によって生ずる特殊な雅趣を、生活の中にまで浸潤させて芸術しているのは、人のよく知る通りであるけれども、一般に日本人の文学や情操で、多少とも湿気の影響を受けてないものは殆(ほと)んどない。
(すべての日本的な物は梅雨臭<つゆくさ>いのである)特に就中(なかんずく)、自然と人生を一元的に見て、季節を詩の主題とする俳句の如き文学では、この影響が著しい。
日本の気候の特殊な感触を考えないで、俳句の趣味を理解することは不可能である。
かの湿気が全くなく、常に明るく乾燥した空気の中で、石と金属とで出来た家に住んでいる西洋人らに、日本の俳句が理解されないのは当然であり、気象学的にも決定された宿命である。
 五月雨(さみだれ)や御豆(みず)の小家(こいえ)の寝覚(ねざ)めがち

 「五月雨や大河(たいが)を前に家二軒」という句は、蕪村の名句として一般に定評されているけれども、この句はそれと類想して、もっとちがった情趣が深い。
この句から感ずるものは、各自に小さな家に住んで、それぞれの生活を悩んだり楽しんだりしているところの、人間生活への或るいじらしい愛と、何かの或る物床(ものゆか)しい、淡い縹緲(ひょうびょう)とした叙情味である。
(『郷愁の詩人 与謝蕪村』萩原朔太郎 岩波文庫 1988年)
 サツキの意味
 
 3世紀後半に成立した『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の裴松之(はいしょうし)の注によれば、『魏略』という文献には、倭国(わこく)ではまだ正式な暦がなく「春耕秋収」によって年紀とするとある。
「春に耕して秋に収める」というのは、言うまでもなく稲作のことで、これを基準として一年としていたのである。
「春」をハルというのは、芽が「張る」あるいは土を「墾(は)る」で、「秋」をアキというのは食料が「飽き」るほどあるからという語源説があるが、これは「春耕秋収」によって年紀としていたことが一つの根拠になっている。
「春」「秋」などの漢字と呼ぶ文字は、日本列島へは外国語としてもたらされたのであり、これにハル、アキの読みを与えたのは列島の風土に基づいている。
(『日本の歳時伝承』小川直之 角川ソフィア文庫 2018年)
 漢字を使う現代の日本人は、どうしてもその文字から意味を考えてしまいがちだが、そもそも漢字は外来の文字で、これ以前から使われていた言葉に文字を当てはめた。
いわゆる大和(やまと)言葉を漢字に翻訳したのである。
漢字の読みというのはそういうもので、一般的に旧暦五月をいうサツキには、「五月」「早月」や「皐月」が当てはめられている。
 しかし、サツキといえばこれだけでなく、北陸地方から東北地方では田植えを意味している。
さらに秋田県では田植えの昼の弁当をサツキ飯、福井県では田植えのときに歌った田植え唄(うた)をサツキ節(ぶし)、長野県では田植え前の水田の代掻(しろか)きをするために借りる馬をサツキ馬、静岡県では田植えをする女性がつけた襷(たすき)をサツキダスキ、徳島県では田植えに着る新しい着物をサツキゴと呼んだところがある。
こうした複合語を含めると、サツキが田植えの意味だったところはもっと広かったようである。
 五月雨と早乙女

 サツキが田植えのことを言ったのは、旧暦五月が田植え月だったからである。
昭和30年代になってコシヒカリなどの品種が広まると、こうした品種を作る地域では田植えの時期が早くなり、新暦5月の連休頃に行われるようになったが、通常は6月中旬から7月初旬が田植えの盛時だった。
この時期が旧暦五月であり、ちょうと梅雨時である。
五月雨(さみだれ)というのはこの雨のことで、サツキ雨とも言われた。
芭蕉の『おくのほそ道』にある<五月雨をあつめて早し最上川(もがみがわ)>はあまりにも有名だが、サミダレは『古今和歌集』にも詠われている。
 そして、この田植えを行う女性をサオトメと呼ぶ所は各地にある。
ショトメ、スートメなど地方ごとに訛(なま)りはあるが、日本の一般的な稲作では、田植えは女性のサオトメの仕事とされていた。
動力田植機が普及する以前の手植えの時代には、秋田県仙北地方では、ショトメが新調の田植え着に帯を締め、さらに新しい前掛けと手甲(てっこう)を身につけて苗を植えた。
広島県などに伝えられている「花田植え」「大田植え」では、今も飾り鞍(くら)などで飾られた牛が代掻きをし、エブリという道具で田を均(なら)し、新しい衣服を身に着けて笠(かさ)を被(かぶ)った女性たちが田植唄を歌いながら田植えをしている。
サオトメは、若い者は柄(がら)の大きい派手目の衣服に明るい色の襷を掛け、既婚のやや年をとった女性は柄の小さな地味目の衣服に暗い色の襷を掛けるなど、遠目でも年柄がわかった。
田植えは仕事といっても、華やかな時だった。
  もう気付かれた方もあろうが、サツキ、サミダレ、サオトメと並べてくると、そこには一つの共通点がある。
それはいずれも「サ」の付く言葉であり、サツキは「サ」の月、サミダレは「サ」の水垂れ、サオトメは「サ」の乙女となり、「サ」が何らかの意味をもった接頭辞となっている。
田に植える稲苗をいうサナエも「サ」苗である。
田植え時期に花を咲かせる木をサクラと呼ぶのも、「サ」座(くら)が原義だという。
(『日本の歳時伝承』小川直之 角川ソフィア文庫 2018年)
巻第三 夏歌 153
  寛平御時后宮(くわんぴやうのおほむときのきさいのみやの)歌合の歌  紀 友則

五月雨(さみだれ)にもの思ひをれば時鳥(ほととぎす)夜深く鳴きていづち行くらむ

うっとしい五月雨が降り続くころ、もの思いに耽っていると、時鳥が夜更けの空を鳴きながら通り過ぎて行くが、いったいどこに行くのだろうか。
(『古今和歌集』小町谷照彦訳注 旺文社文庫 1982年)
今朝の父の一枚です(^^)v
サルビアが花をいっぱい咲かせています。

昨日、石川県で地震が発生し、今日も余震が続いています。
石川県 能登地方で震度5強の地震 津波の心配なし」(NHK)

熊本地震

…前略…
 病院には十日しかいなかった。
緊急性のある患者さんが次々と運ばれてくるし、わたしのいたホームが再開したからである。
たった十日で再開に漕ぎつけた職員さんたちの奮闘ぶりには、頭の下がる思いだ。
ご自分は避難所暮らしや車中泊を続けながら、仕事に出て来られたのだ。
 闇の濃い真夜中の病院で、忙しく立ち働く人びとの表情はみなひき締まり、目が底深く光ってみえる。
益城町(ましきまち)という地名が耳につく。
震源地らしい。
短い入院期間で記憶も定かでないが、知り合いの地元の女性新聞記者が、見舞って下さった。
彼女の実家は益城町で老いた両親のことを心配しながら、様子もあまり見に行けずに、ふるさとの町の惨状を伝え続けているらしい。
両眼が真赤になっていた。
…後略…
(2016年6月28日掲載)
(『魂の秘境から』石牟礼道子 朝日文庫 2022年)