2022年6月16日木曜日

梅雨だから…

曇り空でしたが、雲を突き抜けて日差しが届くと蒸し暑さが…
梅雨の時期は、蒸し暑いのはしかたがないのだけど…
栄養状態が悪いために体力が落ちて、さらに不衛生な状態だと

北朝鮮「腸に関する伝染病」発生 金総書記が隔離など対策指示〟(NHK)
家庭用の常備薬」で治るんでしょうか?
 昨夜の2355、トビ―の呟き

「つゆ」ってさ、「梅雨」って書くじゃない。
なんで梅?
梅干しと関係?
うめぼし…

…つばが出てきた。
梅雨(ばいう)

初夏と盛夏のあいだの6月上旬ごろから7月下旬ごろにかけて、日本列島および周辺に現れる雨季。
または、その季節に降る雨。
梅雨(つゆ)
沖縄本島の梅雨は日本本土より約一ヵ月前に現れ、「小満芒種(すーまんぼーすー)」などと呼ばれてきた。
この現象は中国でも同じころ揚子江の流域に現れる。
梅雨ということばは中国で古くから用いられており、その語源は、梅の実の熟する季節の雨、または黴(かび)のはえる季節の雨の意味の黴雨(ばいう)といわれている。
中国の気象学者によれば、揚子江沿いの上海、南京、蕪湖、九江、漢口(武漢)の5地点の平均の梅雨期間は6月15日から7月10日までで、東京の平均の梅雨期間(6月9日~7月20日)とほぼ同じころである。
(『雨のことば辞典』倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)
梅雨ということばは日本には平安時代に伝わったが、そのころ日本では「五月雨(さみだれ、さつきあめ)」と呼ぶのが主流であった。
室町時代の本に「梅の雨」という語が見え、江戸時代には「梅雨」が使われるようになった。
一方、「つゆ」の語源には、「露」の連想だとか、黴のためものが「ツイユ(潰<つい>ゆ=そこなわれる)」などの諸説がある。
暦の入梅は、日付で季節を知ることが不便だった陰暦に梅雨入りのころの太陽の季節点を刻んだもので、太陽の黄経80度になる日(太陽暦6月11日ごろ)に記してある。
また、入梅を「つゆ」と読む用例もある。
なお北海道には梅雨現象はないと考えられているが、年により本州方面の梅雨が明けたあとなどに長雨がつづくことがあり、「えぞ梅雨」と呼ばれている。

  樹も草もしづかに梅雨ははじまりぬ  日野草城(ひのそうじょう)

(『雨のことば辞典』倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)
◆ 入梅

 現在では暦の上での入梅は、6月11日ごろで、梅雨といえばどうしても6月のものという感じをうける。
入梅の起源は、昔の医学の話などによく出てくる『本草綱目(ほんぞうこうもく)』にある。
 この本にある「五月節(芒種)に入って第一の壬(みずのえ)の日を入梅とする」というのが元になっている。
『本草綱目』とは、中国の明の時代の1596年ごろ刊行された、薬物の書物で、李時珍が古今の文献より集大成した全五十二巻からなる書物で、わが国でも、これを日本人むきにした『本草綱目啓蒙』(小野蘭山)などがあらわされ、日本人の薬物知識に大きな影響を与えた。
(『暦のはなし十二ヵ月[新装版]』内田正男 雄山閣 平成16年)
 ところでこの第一の壬(みずのえ)はいいのであるが、壬の日が五月節芒種の日であったら、どうするかが異説のあったところであるが、元文5年(1740)からは一致したその日を入梅とすることに確定した。
 入梅は具注暦(ぐちゅうれき)には記載されていなかったもので、延宝6年(1678)の大経師暦(だいきょうじごよみ)にも載ったり載らなかったりであったが、貞享3年(1686)からは確実にどの暦にも記載されるようになった。
 中国と日本では気候が違う。
かりに同じとしたところで、入梅にどれほどの意味があるわけでもない。
現在ではさらに無用のものであるが、太陽が黄道の上で80度の位置にきた時を入梅とする、という定義で入梅の日を決めて、計算発表するのも「暦の上では今日が入梅」とマスコミが取り上げるために便利をはかっているのであろうか?
 やはり、気象庁が気圧配置を判断しての梅雨入(つゆい)りの発表の方が実際的である。
それとて、果たしてどれほどの意味があるのか疑問である。
それもやはりマスコミにせかれての梅雨入り宣言であろうが。
 太陽が黄道上で75度の位置にあるときとして定義されている五月節芒種は、今の日付でいえば毎年6月6日ごろである。
太陽は軌道上を約1日1度の割で動くから、芒種から5度さきの入梅は11日ごろと決まっているが、昔の方法ならば入梅は芒種から十日間、すなわち芒種を6日とすれば6月6日から15日までのどこかということになる。
 長崎の文化人として著名な西川如見(じょけん<1648~1724>)は、

  梅雨の考へ、さまざま説多しといへども、合応すること少なし。暦には五月の節に入れて第一の壬をもって入梅の日とす。数十年已来試み考ふるに、符合すること稀なり。

 であるから、暦に頼りすぎて麦の刈り時を誤らないよう、農家の人への注意を、その著『百姓嚢(ひゃくしょうぶくろ)』のなかで記している。
昔から暦の入梅の日の当てにならないことは、経験的に知られていても当然であろう。
 暦に掲載されず、あまり取り上げられることもないが、出梅もある。
これは六月節小暑のあとの壬の日である。
(『暦のはなし十二ヵ月[新装版]』内田正男 雄山閣 平成16年)
今朝の父の一枚です(^^)v
梅雨の季節に限らず、天気が悪いと父も私も…

 さみだれのうつほばしらや老が耳 句帳(落日庵 句集 遺稿)

[訳]五月雨が降り続く空洞の柱よ、老いの耳の耳鳴りも同じくうつろ。
[季]「さみだれ」夏。
[語]うつほばしら――中が空洞の柱。
[解]五月雨が降り続けるうっとうしさと耳鳴りがやまない老耳の不快さを笑いに転じた。老の耳の現象そのものが俳諧。
[参]『句帳』に合点。野坡(やば)「老が耳ほととぎすにてなかりしや」(野坡吟草)。
(『蕪村句集 現代語訳付き』玉城 司訳注 角川ソフィア文庫 2011年)

σ(*^^*)、食欲がない時に食べるのが…