2022年6月9日木曜日

雲がない…

真っ青な空が広がっていて雲がほとんどなく眩しかったです。

昨日、
神戸の小学校 リレー中の12人が熱中症か 6人を病院に搬送」(兵庫NHK 6月8日)

熱中症の原因として気温だけでなく
コロナ禍で運動量が減り、汗腺の機能が低下していることや
マスクの着用によって喉の渇きを感じにくくなっていることなどがあるようです。
服部益治教授(兵庫医科大学)の話を参考にしたいです。
一方、
「水筒の中身は水」学校ルールに警鐘……〟(朝日新聞 5月30日)
お尻が黒いからヒメスズメバチかな?
ヒメ」と名がついていますが、オオスズメバチに次ぐ大きさですよ!
巣作りの材料に木をかじっているみたいです。

スズメバチの巣作り」(小学3年)
一条天皇が定子のもとへ通う姿を見ると、
『源氏物語』の桐壺の帝が更衣のもとへ通う姿と重なるのですが…

 中宮定子

 一条天皇の後宮には、すでに故関白道隆(みちたか)の長女で伊周(これちか)の妹である定子(ていし)が入って中宮になっていた。
この中宮定子が懐妊して退出し、さらに伊周の一件が起こって、みずから髪を切ってしまったことは、前に述べたとおりである。
(『日本の歴史5 王朝の貴族』土田直鎮 中公文庫 2004年改版)
 この定子にはさらに不幸が見舞い、伊周が流されて一月ののち、6月8日の真夜中、中宮御所であった二条邸は火災を起こして焼失した。
さきに源高明(たかあきら)が安和(あんな)の変に左遷されたときもその西宮邸は一週間ののちに全焼したが、こんども伊周配流(はいる)ののち、一ヵ月でこの火災が起こったのである。
この二条邸は中宮御所でもあり、西隣は東三条邸であったから、公卿もつぎつぎとお見舞いにかけつけたが、中宮は火をのがれて叔父の高階明順(たかしなあきのぶ)邸に避難し、ついで中納言平惟仲(これなか)の邸に入った。
そして12月16日、一条天皇のはじめての子として、皇女脩子(しゅうし)が生まれた。
 定子の懐妊はじつに十二ヵ月といわれたにもかかわらず、安産であったが、もし伊周の失脚が遅れ、またこのとき生まれたのが皇女でなく皇子であったとしたら、事態はどうなっていたか、容易に決しがたいものがある。
道長はこの点でも天運にめぐまれていた。
 その間に、伊周失脚の二ヵ月後、7月には大納言藤原公季(きんすえ)の娘の義子(ぎし)が、さらに四ヵ月たって11月には右大臣顕光(あきみつ)の娘元子(げんし)が入内(にゅうだい)し、それぞれ女御(にょうご)となっていた。
道長は完全に立ち遅れたのである。
しかしこれはなんとも致しかたのないことで、なにしろ道長自身が若いだけに長女彰子はまだ9歳、これではどうにもならない。
気長に彰子の成長を待つほかないのである。
その間にも気になることはいろいろ起こってくる。
その一つは中宮定子の動きであった。
 伊周の一件で髪を切った定子は、もはや引退の覚悟であったろうが、一条天皇の定子に対する愛情はいたって深く、脩子の誕生の際にもかずかずの心づかいがあったうえに、そののちもしきりに入内のすすめがあった。
定子の外祖父高階成忠(なりただ)もこれをすすめ、ついに定子は翌997年(長徳3)6月、脩子をつれて参内したが、さすがにはばかりがあって、内裏のすぐ東側の識曹司(しきのそうじ)に入った。
 なにぶん、いちど出家したものがまた召し出されるということについては、当然非難があったが、定子の側では、いや、じつは出家はしていられないのだ、などとそらぞらしいべんかいもしていたようである。
 天皇はそんなことはかまわず、識曹司では遠すぎるからと、近くに別殿を支度させて定子をそこに迎え、天皇のほうから通うという熱心さであったという。
 定子の本拠はずっと識曹司にあることになっていたらしく、定子が識曹司から内裏にしばしば入っても、なにか普通には公卿たちもはっきり出入りが知らされないしくみになっていたようで、叙位のご挨拶に識曹司に参上したが、空っぽだったのですぐ帰ってしまったというような記事も当時の記録に見えている。
 さらに顕光の娘の女御元子が懐妊退出するということも起こる。
顕光にしてみれば、もしや第一皇子の誕生かと、気もそぞろにこれを堀河邸に迎えて祈禱をつくした。
しかしもうひとりの女御、義子のほうにしてみればこれはじつに口惜しいことだったろう。
元子が内裏を退出するとき、順路として義子のいる弘徽殿(こきでん)の西側の廊下を通るので、義子付きの女房たちは、簾ごしに寄り集まって元子一行の退出を見物した。
ところが、女房が押し合っているものだから簾がふくらむ、それを見て、元子のお供しているませた小娘が、
 「おや、ここではらんでいるのは簾だけね」
と痛烈なすてぜりふを残して行ってしまい、義子付きの女房たちは、歯がみをしてくやしがったという一幕もあったが、この元子たちの得意もついに実ることなく、けっきょく流産、それもまったく水のようなものが流れて万事終わったという異常さであって、顕光も元子も、面目を失したのであった。
(『日本の歴史5 王朝の貴族』土田直鎮 中公文庫 2004年改版)
今朝の父の一枚です(^^)v

紫陽花(あじさい)
〇アジサイの花を軒下に吊り下げると肺病がうつらない(福井県大飯郡)。
土用の丑の日に入口に吊すと、疫病除けになり、その家は栄える(秋田県平鹿郡)。
便所や玄関以外の入口に吊すと流行病の魔除けとなる(東京都武蔵野市)。
丑の日に橋を渡らずにアジサイを盗んで来て吊しておくと病気が入らない(福井県南条郡)、花を土用の丑の日に便所に入れると疫病にかからない(千葉県東葛飾郡)という。
ハチの巣を吊して魔除けとしたり、商売繁昌を願う俗信と共通するものがある。
球状でハチの巣に似、その上花の色が変化することなどから特別視されたものか。
ただし色が変るからといって病室にこの花を飾ることを嫌う土地(長野県)もある。
(『日本俗信辞典 植物編』鈴木棠三 角川ソフィア文庫 令和2年)