2022年6月2日木曜日

刺すような陽ざし

今朝も日差しが強く、長袖を着ていても刺さるようでした。

蔓がどうして伸びているのだろうと見ると
クモの巣につながっていました。
糸をあやつる クモの秘密」(ミクロワールド)

午後から買い物に出かけ、店の測定器で体温を測ると37.7度(*_*)
隣の機器で測定すると36.5度(家を出るときに測った時は36.1度でした)。
帰りに37.7度になった機器で測ると36.5度になっていました。
今朝の5時台のNHKニュース おはよう日本(39:41/59:00頃)に
ロシア音楽“今伝える”苦悩」として
池田慈さんがコンサートを開催することへの苦悩が紹介されていました。

いまロシアの音楽と向き合う」(松山NHK 5月26日)

日露音楽文化サークル『ベリョーザ』 "Берёза」(Facebook)

プーチンによってロシアに厳しい目が向けられるのは当然ですが
音楽や文学などロシアの文化まで否定されるべきではない。
エリザベス英女王、即位70周年の「プラチナ・ジュビリー」始まる……〟(BBC)

アナザーストーリ「エリザベス女王 希望のスピーチ」(初回放送日: 2020年7月14日)
吃音症を克服してジョージ6世の宣戦布告のスピーチ

私はこの試煉に国民が落ち着き
揺るぎなく団結することを望む
いかなる献身も覚悟すれば
神に助けられ、我々は勝利するだろう


14歳のエリザベス王女も国民に向けてスピーチをされていました。

みなさんこんばんは
今、多くの子どもたちが家を離れ両親と別れて暮らしています。
きっとみなさんは故郷のことをいつも思い出しているでしょう。
みなさんは私たちを忘れにでしょうし
私たちもみなさんを忘れません
子どもたちを代表して心から愛を贈ります。
平和が訪れるとき覚えていてください
明日の世界をより良く より幸せにするのは
私たち子どもたちなのです。
私のそばに妹がいます
二人からおやすみなさいを言いますね
さあ、マーガレット

(マーガレット)おやすみなさい
おやすみなさい みなさん頑張って


このスピーチはヒットラーの侵攻に対してイギリスの国民を奮い立たせました。
そして、今、ウクライナの人々へのスピーチにもなると思います。
ウクライナはプーチンに屈しないと。
 「子どもたちの笑顔の写真展~撮影したのは元戦場カメラマン」(NHK)

去年、写真集が出ていました。

写真でつづる森のお家と仲間たちの成長 笑顔をありがとう ……」(國森康弘 2021年 サンライズ出版)

ウクライナでは障碍児者のみなさんは、ロシア軍の攻撃に晒されています。
ハートネットTV「戦禍のウクライナ・ろう者たちのいま
ゲストにサヘル・ローズさんが話をされていました。
 「春風馬堤曲」つづき

 こうした同じ「心の家郷」を、芭蕉は空間の所在に求め、雲水(うんすい)の如く生涯を漂泊の旅に暮した。
しかるにその同じ家郷を、ひとえに時間の所在に求めて、追懐のノスタルジアに耽(ふけ)った蕪村は、いつも冬の炬燵(こたつ)にもぐり込んで、炭団(たどん)法師と共に丸くなって暮していた。
芭蕉は「漂泊の詩人」であったが、蕪村は「炉辺の詩人」であり、殆(ほと)んど生涯を家に籠(こも)って、炬燵に転寝をして暮していた。
(『郷愁の詩人 与謝蕪村』萩原朔太郎 岩波文庫 1988年)
時に野外や近郊を歩くときでも、彼はなお目前の自然の中に、転寝の夢に見る夢を感じて

  古寺(ふるでら)やほうろく捨(すて)る芹(せり)の中

 と、冬日だまりに散らばう廃跡の侘しさを詠(よ)むのであった。
「侘び」とは蕪村の詩境において、寂しく霜枯(しもが)れた心の底に、楽しく暖かい炉辺の家郷――母の懐袍(ふところ)――を恋いするこの詩情であった。
それ故にまた蕪村は、冬の蕭条(しょうじょう)たる木枯(こがらし)の中で、孤独に寄り合う村落を見て

  木枯や何に世渡る家五軒

 と、霜枯れた風致(ふうち)の中に、同じ人生の暖かさ懐かしさを、沁々(しみじみ)いとしんで詠むのであった。
この同じ自然観が、芭蕉にあっては大いに異なり、

  鷹(たか)ひとつ見つけて嬉(うれ)しいらこ岬(ざき)  芭蕉

 と言うような、全く魂の凍死をおもわすような、荒寥(こうりょう)たる漂泊旅愁のリリックとなって歌われている。
反対に蕪村は、どんな蕭条とした自然を見ても、そこに或る魂の家郷を感じ、オルゴールの鳴る人生の懐かしさと、火の燃える炉辺の暖かさとを感じている。
この意味において蕪村の詩は、たしかに「人情的」とも言えるのである。
  蕪村の性愛生活については、一(ひとつ)も史に伝(つたわ)ったところがない。
しかしおそらく彼の場合は、恋愛においてもその詩と同じく、愛人の姿に母の追懐をイメージして、支那の古い音楽が聞こえて来る、「琴心挑美人(きんしんもてびじんにいどむ)」の郷愁から

  妹(いも)が垣根三味線草(さみせんぐさ)の花咲きぬ

 の淡く悲しい恋をリリカルしたにちがいない。
春風馬堤曲に歌われた藪入(やぶい)りの少女は、こうした蕪村の詩情において、蒲公英(たんぽぽ)の咲く野景と共に、永く残ったイメージの恋人であったろう。
彼の詩の結句に引いた太祇(たいぎ)の句。

  藪入りの寝るやひとり親の側(そば)  太祇

 には、蕪村自身のうら侘しい主観を通して、少女に対する無限の愛撫(あいぶ)と切燐(せつりん)の情が語られている。
 蕪村は自(みずか)ら号して「夜半亭(やはんてい)蕪村」と言い、その詩句を「夜半楽(やはんらく)」と称した。
まことに彼の抒情詩のリリシズムは、古き楽器の夜半に奏するセレネードで、侘しいオルゴールの音色に似ている。
彼は芭蕉よりもなお悲しく、夜半に独り起きてさめざめと歔欷(きょき)するような詩人であった。

  白梅(しらうめ)に明くる夜ばかりとなりにけり

 を辞世として、縹緲(ひょうびょう)よるべなき郷愁の悲哀の中に、その生涯の詩を終った蕪村。
人生の家郷を慈母の懐袍(ふところ)に求めた蕪村は、今もなお我らの心に永く生きて、その侘しい夜半楽の旋律を聴かせてくれる。
抒情詩人の中での、まことの懐かしい叙情詩人の蕪村であった。
 附記――蕪村と芭蕉の相違は、両者の書体が最もよく表象している。
芭蕉の書体が雄健で闊達(かったつ)であるに反して、蕪村の文字は飄逸(ひょういつ)で寒そうにかじかんでいる。
それは「炬燵(こたつ)の詩人」であり、「炉辺(ろへん)の詩人」であったところの、俳人蕪村の風貌を表象している。
(『郷愁の詩人 与謝蕪村』萩原朔太郎 岩波文庫 1988年)
 今朝の父の一枚です(^^)v

(はと)

〇ハトが鳴くと天気が良い(山形・福島・新潟・岐阜・愛知・奈良)、雨中にハトが鳴けば雪が降りやむ(新潟)、ハトが鳴くと雨が降る(山形・宮城・栃木・新潟・岐阜)、ハトが一回鳴けば明日雨、二回鳴けば二日後に雨(山形)、のように、ハトの鳴き声による占候にも晴雨の対立が見られる。
そのうえ鳴く時間や鳴き声、場所などで細かな占候法もある。
(『日本俗信辞典 動物編』鈴木棠三 角川ソフィア文庫 2021年)