蔓がどうして伸びているのだろうと見ると
クモの巣につながっていました。
「糸をあやつる クモの秘密」(ミクロワールド)
午後から買い物に出かけ、店の測定器で体温を測ると37.7度(*_*)
隣の機器で測定すると36.5度(家を出るときに測った時は36.1度でした)。
帰りに37.7度になった機器で測ると36.5度になっていました。今朝の5時台のNHKニュース おはよう日本(39:41/59:00頃)に
「ロシア音楽“今伝える”苦悩」として
池田慈さんがコンサートを開催することへの苦悩が紹介されていました。
「いまロシアの音楽と向き合う」(松山NHK 5月26日)
「日露音楽文化サークル『ベリョーザ』 "Берёза」(Facebook)
プーチンによってロシアに厳しい目が向けられるのは当然ですが
音楽や文学などロシアの文化まで否定されるべきではない。〝エリザベス英女王、即位70周年の「プラチナ・ジュビリー」始まる……〟(BBC)
アナザーストーリ「エリザベス女王 希望のスピーチ」(初回放送日: 2020年7月14日)
吃音症を克服してジョージ6世の宣戦布告のスピーチ
私はこの試煉に国民が落ち着き
揺るぎなく団結することを望む
いかなる献身も覚悟すれば
神に助けられ、我々は勝利するだろう
14歳のエリザベス王女も国民に向けてスピーチをされていました。
みなさんこんばんは
今、多くの子どもたちが家を離れ両親と別れて暮らしています。
きっとみなさんは故郷のことをいつも思い出しているでしょう。
みなさんは私たちを忘れにでしょうし
私たちもみなさんを忘れません
子どもたちを代表して心から愛を贈ります。
平和が訪れるとき覚えていてください
明日の世界をより良く より幸せにするのは
私たち子どもたちなのです。
私のそばに妹がいます
二人からおやすみなさいを言いますね
さあ、マーガレット
(マーガレット)おやすみなさい
おやすみなさい みなさん頑張って
このスピーチはヒットラーの侵攻に対してイギリスの国民を奮い立たせました。
そして、今、ウクライナの人々へのスピーチにもなると思います。
ウクライナはプーチンに屈しないと。
「子どもたちの笑顔の写真展~撮影したのは元戦場カメラマン」(NHK)吃音症を克服してジョージ6世の宣戦布告のスピーチ
私はこの試煉に国民が落ち着き
揺るぎなく団結することを望む
いかなる献身も覚悟すれば
神に助けられ、我々は勝利するだろう
14歳のエリザベス王女も国民に向けてスピーチをされていました。
みなさんこんばんは
今、多くの子どもたちが家を離れ両親と別れて暮らしています。
きっとみなさんは故郷のことをいつも思い出しているでしょう。
みなさんは私たちを忘れにでしょうし
私たちもみなさんを忘れません
子どもたちを代表して心から愛を贈ります。
平和が訪れるとき覚えていてください
明日の世界をより良く より幸せにするのは
私たち子どもたちなのです。
私のそばに妹がいます
二人からおやすみなさいを言いますね
さあ、マーガレット
(マーガレット)おやすみなさい
おやすみなさい みなさん頑張って
このスピーチはヒットラーの侵攻に対してイギリスの国民を奮い立たせました。
そして、今、ウクライナの人々へのスピーチにもなると思います。
ウクライナはプーチンに屈しないと。
去年、写真集が出ていました。
「写真でつづる森のお家と仲間たちの成長 笑顔をありがとう ……」(國森康弘 2021年 サンライズ出版)
ウクライナでは障碍児者のみなさんは、ロシア軍の攻撃に晒されています。
ハートネットTV「戦禍のウクライナ・ろう者たちのいま」
ゲストにサヘル・ローズさんが話をされていました。
こうした同じ「心の家郷」を、芭蕉は空間の所在に求め、雲水(うんすい)の如く生涯を漂泊の旅に暮した。
しかるにその同じ家郷を、ひとえに時間の所在に求めて、追懐のノスタルジアに耽(ふけ)った蕪村は、いつも冬の炬燵(こたつ)にもぐり込んで、炭団(たどん)法師と共に丸くなって暮していた。
芭蕉は「漂泊の詩人」であったが、蕪村は「炉辺の詩人」であり、殆(ほと)んど生涯を家に籠(こも)って、炬燵に転寝をして暮していた。
(『郷愁の詩人 与謝蕪村』萩原朔太郎 岩波文庫 1988年)時に野外や近郊を歩くときでも、彼はなお目前の自然の中に、転寝の夢に見る夢を感じて
古寺(ふるでら)やほうろく捨(すて)る芹(せり)の中
と、冬日だまりに散らばう廃跡の侘しさを詠(よ)むのであった。
「侘び」とは蕪村の詩境において、寂しく霜枯(しもが)れた心の底に、楽しく暖かい炉辺の家郷――母の懐袍(ふところ)――を恋いするこの詩情であった。それ故にまた蕪村は、冬の蕭条(しょうじょう)たる木枯(こがらし)の中で、孤独に寄り合う村落を見て
木枯や何に世渡る家五軒
と、霜枯れた風致(ふうち)の中に、同じ人生の暖かさ懐かしさを、沁々(しみじみ)いとしんで詠むのであった。
この同じ自然観が、芭蕉にあっては大いに異なり、
鷹(たか)ひとつ見つけて嬉(うれ)しいらこ岬(ざき) 芭蕉
と言うような、全く魂の凍死をおもわすような、荒寥(こうりょう)たる漂泊旅愁のリリックとなって歌われている。
反対に蕪村は、どんな蕭条とした自然を見ても、そこに或る魂の家郷を感じ、オルゴールの鳴る人生の懐かしさと、火の燃える炉辺の暖かさとを感じている。
この意味において蕪村の詩は、たしかに「人情的」とも言えるのである。 蕪村の性愛生活については、一(ひとつ)も史に伝(つたわ)ったところがない。
しかしおそらく彼の場合は、恋愛においてもその詩と同じく、愛人の姿に母の追懐をイメージして、支那の古い音楽が聞こえて来る、「琴心挑美人(きんしんもてびじんにいどむ)」の郷愁から
妹(いも)が垣根三味線草(さみせんぐさ)の花咲きぬ
の淡く悲しい恋をリリカルしたにちがいない。
春風馬堤曲に歌われた藪入(やぶい)りの少女は、こうした蕪村の詩情において、蒲公英(たんぽぽ)の咲く野景と共に、永く残ったイメージの恋人であったろう。
彼の詩の結句に引いた太祇(たいぎ)の句。
藪入りの寝るやひとり親の側(そば) 太祇
には、蕪村自身のうら侘しい主観を通して、少女に対する無限の愛撫(あいぶ)と切燐(せつりん)の情が語られている。 蕪村は自(みずか)ら号して「夜半亭(やはんてい)蕪村」と言い、その詩句を「夜半楽(やはんらく)」と称した。
まことに彼の抒情詩のリリシズムは、古き楽器の夜半に奏するセレネードで、侘しいオルゴールの音色に似ている。
彼は芭蕉よりもなお悲しく、夜半に独り起きてさめざめと歔欷(きょき)するような詩人であった。
白梅(しらうめ)に明くる夜ばかりとなりにけり
を辞世として、縹緲(ひょうびょう)よるべなき郷愁の悲哀の中に、その生涯の詩を終った蕪村。
人生の家郷を慈母の懐袍(ふところ)に求めた蕪村は、今もなお我らの心に永く生きて、その侘しい夜半楽の旋律を聴かせてくれる。
抒情詩人の中での、まことの懐かしい叙情詩人の蕪村であった。 附記――蕪村と芭蕉の相違は、両者の書体が最もよく表象している。
芭蕉の書体が雄健で闊達(かったつ)であるに反して、蕪村の文字は飄逸(ひょういつ)で寒そうにかじかんでいる。
それは「炬燵(こたつ)の詩人」であり、「炉辺(ろへん)の詩人」であったところの、俳人蕪村の風貌を表象している。
(『郷愁の詩人 与謝蕪村』萩原朔太郎 岩波文庫 1988年) 今朝の父の一枚です(^^)v
鳩(はと)
〇ハトが鳴くと天気が良い(山形・福島・新潟・岐阜・愛知・奈良)、雨中にハトが鳴けば雪が降りやむ(新潟)、ハトが鳴くと雨が降る(山形・宮城・栃木・新潟・岐阜)、ハトが一回鳴けば明日雨、二回鳴けば二日後に雨(山形)、のように、ハトの鳴き声による占候にも晴雨の対立が見られる。
そのうえ鳴く時間や鳴き声、場所などで細かな占候法もある。
(『日本俗信辞典 動物編』鈴木棠三 角川ソフィア文庫 2021年)