2022年6月17日金曜日

風が吹かないので

歩いているときは風がほとんど吹かないので蒸し暑かったです(^^;)

舞鶴で30度超 近畿各地 気温上昇 水分補給など熱中症注意」(関西NHK)
昨日、紹介した記事の続報が出ています。
北朝鮮「腸に関する伝染病」“800世帯余で患者確認”と伝える〟(NHK)
北朝鮮の人々があわれになる…

下痢は、止めない方がいい場合があります。
腸は、ヒューマニエンスQ (クエスト)「“腸” 脳さえも支配する?」で、
腸は自らが“考え”行動する臓器と紹介されていました。

下痢は、腸が体内の異物を排除しようとする大切な働き。
薬で止めると、毒素が体内に残ってしまいます。

O157に下痢止め使わないで 専門家が注意喚起」(朝日新聞 2017年8月24日)
下痢止めよりも水分補給が必要です。
クラシックTV「The Artist 宮田大」で宮田大さんが最初に弾いてくれた曲が

 星めぐりの歌

あかいめだまのさそり
ひろげた鷲のつばさ
あをいめだまの小いぬ
ひかりのへびのとぐろ
オリオンは高くうたひ
つゆとしもとをおとす
(『宮沢賢治全集3』ちくま文庫 1986年)
アンドロメダのくもは
さかなのくちのかたち
大ぐまのあしをきたに
五つのばしたところ
小熊のひたひのうへは
そらのめぐりのめあて
(『宮沢賢治全集3』ちくま文庫 1986年)
昨日の「天声人語」(2022.06.16)に

…前略…
▼話は百余年前にさかのぼる。
第1次大戦とロシア革命に伴う混乱の中、幾万のポーランド人が極東シベリアへ追いやられた。
飢えや病い苦しむその孤児たちけでも救おうと1919年、救援団体が結成される。
▼米国や中国に断られた団体代表は、かすかな望みを抱いて日本政府と交渉する。
意外にも快諾が得られ、日本赤十字社が窓口に。
敦賀港から上陸した孤児は750人を超えた。
福田会と大阪の病院に預けられ、温かい食事や散髪で元気を取り戻し、母国へ帰る。
▼この史実はポーランドでは学校教材ともなったが、日本では忘れ去られた。
十数年前、駐日ポーランド大使が日曜の散歩中に偶然、福田会の表札を目にして、交流が再開した。
▼<戦争というものは、誰かが望んだときに始まるが、しかし、誰かが望んだときに終わるものではない>。
思想家マキャベリの言葉である。
世界がこれほど停戦を望んでも砲火はやまない。
これまで何人が孤児になったことか。
支援の手を休めるわけにはいかない。
最近出た本です。
「中学生から」とありますが、岩波ジュニア新書のように分かりやすく、且つ、内容は濃いです。
最初に編集部からのメッセージが書かれています。
また、「はじめに」を読むことができます。
その「はじめに」には、

……
 歴史がくりかえしてきた重要な問題のひとつは、たとえば日本のような戦場から離れた国に住む人びとの、当事者意識の減退と、関心の低下、そして倦怠(けんたい)ではないか、つまり「胸の痛み」が持続しないことではないか、ということです。
……

編集部より」と「おわりに」を転記します( ..)φ
『中学生から知りたいウクライナのこと』と題した本書は、ロシアのウクライナ侵攻を受け、急きょ、発刊することにした一冊です。
この事態を前に、私たちは歴史の学び方を根本から間違えていたのではないか、という痛烈な反省のもと企画しました。
読者の対象として考えたのは、中学生から大人まで。
第Ⅰ章、第Ⅱ章は、新聞やウェブ雑誌へ寄稿されたものを含んでおり、中学生にはすこしむずかしいかもしれません。
その場合は、第Ⅲ章から読みはじめてみてください。
         ――編集部より
(『中学生から知りたいウクライナのこと』小山哲・藤原辰史 ミシマ社 2022年)
  おわりに

 大学の専門の課程で西洋史を学びはじめてしばらく経ったこと、歴史学という学問が嫌いになりかけたことがあります。
ヨーロッパ史学史の本を読むと、「歴史の父」ヘロドトスがペルシャ戦争、トゥキュディデスがペロぽネス戦争という、それぞれ同時代の戦争に触発(しょくはつ)されて歴史を研究したことが書かれています。
私はヨーロッパ近世史に関心があったのですが、こちらも、文献を読んでいくと、征服と迫害と戦争のことばかり書かれているのです。
ある日、思いついて、高校の世界史の授業で使っていた年表の近世のところを開いて、征服・迫害・戦争にかかわる事項に鉛筆でしるしを付けてみました。
すると、しるしの付いていない項目のほうが断然少なかったのです。
 歴史学という学問は戦争から出発しているのだ、と学部三回生の私は思い、こんな血にまみれた過去の世界にのめり込んで勉強し続けることにどんな意味があるのだろうか、懐疑的な気持ちになりました。
 そんな状態で勉強を続けているうちに、16世紀のポーランドに「ワルシャワ連盟協約」という宗派間の平和を保障する取り決めがあったことを知りました。
宗教的な対立が原因となって人びとが殺しあった近世のヨーロッパで、ちがった考えをもつ人を迫害しないとお互いに誓いあう人たちがいたということに、私は救われたように気がしました。
「われわれは異なった信仰と諸教会における差異のために血を流すことをしない」と書かれたこの協定をテーマにして、私は卒業論文を書きました。
 私が小学生のころ、「戦争を知らない子供たち」という歌がヒットしました(1970年、北山修の作詞、杉田二郎の作曲)。
小学校のクラスで作った歌集に入っていて、遠足に行くとき、バスのなかでみんなで歌った記憶があります。
ふりかえってみて、大学生時代の私の歴史学への疑いの気持ちは、「戦争を知らない子供たち」のひとりとしての感覚に根ざしていたように思います。
 しかし、子ども時代の私は、本当に戦争を知らなかったわけではありません。
ヴェトナム戦争は私が生まれる前からはじまっていて、私が中学を卒業するころに終結しました。
たしかに私の頭上に爆弾が降ってくることはありませんでしたが、在日米軍はこの戦争の戦略に深く組み込まれていて、藤原さんが対談のなかで触れているように、日本でも反戦運動が起こっていたのです(151頁)
 歴史の勉強を続けるうちに、私は、自分が戦場で敵を銃で撃ったり、敵から爆撃されたりする体験を持たないという意味で「戦争を知らない」ことは素晴らしいことだけれども、実際に起こった(あるいは、起こっている)戦争を認識しないという意味で「戦争を知らない」ことは、知的な態度として、また倫理的にも、よくないことではないか、と考えるようになりました。
ヘロドトスやトゥキュディデスの歴史叙述の意義についても、今の私は、学生時代とはちがった視点で受けとめています。
 もちろん、数学者の伊原康隆さんへの手紙のなかで藤原さんが指摘しているように(26頁)、戦争を扱うときに歴史学が「悪い意味にも良い意味にも威力を発揮」することには十分に注意しなければなりません。
そして、過去の歴史学が、どういうときに、どんなふうに「悪い意味」で威力を発揮したかということについても、私たちは歴史学の研究の成果をとおしてそれを知るのです。
 とはいえ、自分が研究の対象としている地域で戦争が起こったことは、私にとって大きな衝撃でした。
この本に再現された語りのなかにも、そのような私の心の動揺が現れていると思います。
 近世のポーランドの研究をする歴史学者が、ウクライナの現在進行中の問題についてこんなふうに語ってよいのだろうか、というためらいは、「おわりに」を書いている今でも、自分のなかに残っています。
現代史の研究者として、また文章の書き手として抜群のセンスをお持ちの藤原辰史さんと一緒でなかったら、私はこの本を書くことも、その元になる対談に応じることも、なかったでしょう。
 今中学生の人、そして、近い過去または遠い過去に中学生だったすべての人に向けて、複雑きわまりないウクライナの過去と現在についてふたりの歴史家が対論しながらわかりやすく語る、という思い切ったイベントを企画し、しかもそれをあっという間に本にすることは、ミシマ社の三島邦弘さんでなければ思いつかないし、実現もしなかったことだと思います。
動画の音声を文章に起こしてくださったミシマ社の社員の方々、手際よく、しかもていねいに編集を進めてくださった角智春さん、ウクライナの心に寄り添った装画を考えていただいた寄藤文平さんと古屋郁美さん、みなさんに心から感謝いたします。
    2022年5月 小山哲
(『中学生から知りたいウクライナのこと』小山哲・藤原辰史 ミシマ社 2022年)
今朝の父の一枚です(^^)v
ネムノキを追い越そうと「高山牛蒡」が背伸びをしているp(^^)q

ゴボウ(牛蒡)
「高山ごぼう」なしでは正月が来ない


…前略…

 また、大阪北部の豊能地区の中山間地域には江戸の初期から「高山ゴボウ」の栽培があり、換金作物として良く、多いときには10ヘクタール以上も作付けされました。
ここはキリシタン大名、高山右近の生誕地として知られています。
250年前に、三島の農学者小西篤好(こにしあつよし)によって高山ゴボウの栽培が始まり、耕土を1メートル位ほり起こし、堆肥に真菜をすき込むという設計の栽培方法や在来種子の採種の方法を農民に教え、それが今も農家に受け継がれています。
品種としては滝野川の赤茎と推定され、春まきし、12月に収穫され、京阪神はもとより京都にも出荷され、色は黒くても香りが良く、煮ても柔らかくすじが残らないことから人気が高く、「高山ゴボウを食べなんだら正月を越せん」といわれています。
(『なにわ大阪の伝統野菜』なにわ特産物食文化研究会 農山漁村文化協会 2002年)

いばらきの歴史を探ろう! 近世編」(7/16 茨木市立文化財資料館)