2022年6月27日月曜日

たまに微風

ほとんど風が吹いていなくて、たまに吹く風も微風…
梅雨らしい雨が降らなかったのだけど…
週間予報を見ていると大阪も明けそうだなぁ…

関東甲信 東海 九州南部が梅雨明け 関東甲信は最も早い 気象庁」(NHK)
 岩波書店のTwitterに

今日はラフカディオ・ハーン=小泉八雲の誕生日(1850年)。
90年来日、96年帰化。
文献や民間伝承に取材して創作された短篇集は、人間に対する深い洞察に満ちています。


怪談

雪女 夏の日の夢』(電子書籍のみ)

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)」(小泉八雲記念館)
 灌頂の巻
   大原入御


 例の七月九日の大地震は、女院のお住居をすっかり駄目にしてしまった。
元々が、あばら屋であったところに、あの揺れ方で、僅かに残っていた築地も崩れ、屋根は全く傾いてしまった。
その中で、女院は、誰一人訪ねる者もないままに、二、三人の女房たちを相手に細々と日を過ごしていた。
たまさか妹の、冷泉大納言隆房(たかふさ)の奥方、七条修理大夫信隆(のぶたか)の奥方といった人たちが、お忍びで訪れてくるのであったが、
 「まさか、あの人たちの世話になろうとは、思いもよらぬことだったのに」
 と女院は、しみじみ、述懐されることが多かった。
(『現代語訳 平家物語(下)』尾崎士郎 岩波現代文庫 2015年)
 「ここも、近頃は、人通りが多くて行ない澄ますには、少しうるさくなってきた、どこぞ静かなところで、念仏三昧に過ごしたいのだけど」
 女院がそういわれるままに、適当な場所を物色していると、寂光院(じゃっこういん)というところをすすめる者があった。
都からは、遥かに離れた大原山の奥で、人里稀な淋しいところだったが女院は、大変、乗気であったから、そこへ居を移すことに決まった。
引越しの荷物などは、あるべきはずもなかったが、輿の世話や、出立の準備をしてくれたのは、隆房の奥方だった。
 都を離れて、次第に大原に近づいて来ると、そこはまったく物淋し場所である。
山陰(やまかげ)のせいか、直ぐ夕暮になった。
どこで打つ鐘か、入相(いりあい)の鐘の音さえも、ひとしお淋しさをつのらせる。
風が出てきて、木の葉がさやさやと音をたてて鹿の音ずれさえも聞えてくる山の中である。
過ぎし日に、西国の浦々、島々を渡った時も、これほど心細くはなかったような思いもする。
 寂光院に着くと、傍らに、ささやかな庵を結び、一間をご寝所、一間を仏間として、朝から晩まで念仏に明け暮れる日常を送るようになった。
 ある夜、かさこそと庭の落葉を踏みしだく音がした。
 「今頃、一体誰が来たのか? まさか、世を忍ぶ私に、危害を加えようという者もあるまいが」
 と、おそるおそる女房を出して見せにやると、一匹の小鹿が庭を通りぬけていった。
 女院が、
 「誰が参ったのか?」
 と尋ねると、大納言佐殿は、涙を押えて一首の歌を詠むのであった。

  岩根ふみ誰かはとわん楢(なら)の葉の
    そよぐは鹿の渡るなりけり
(『現代語訳 平家物語(下)』尾崎士郎 岩波現代文庫 2015年)
 巻第十一
 平家一門大路渡し

…前略…
 建礼門院は、東山のふもと、吉田の辺にぞたち入り給ふける。
…後略…

東山 比叡山の南に南北に連なる諸峰の総称。俗に三十六峰という。京の東壁をなすので「東山」と称する。
吉田 東山の北限神楽岡(かぐらおか<吉田山>)の西麓(せいろく)の地。吉田神社(藤原氏の氏社)がある。
(『平家物語 下 新潮古典集成』水原一校柱 昭和55年)

例の七月九日の大地震」について、巻を戻りますが
第12巻
 大地震


 長らく専横を極め、乱脈の限りを尽くした平家も滅亡し、京の町をはじめ、諸国、各荘園とも次第に秩序が整い、人心は安定し始めていた。
ようやくこれで平和な世の中が来る、と上下貴賤の別なく喜び合うのであった。
(『現代語訳 平家物語(下)』尾崎士郎 岩波現代文庫 2015年)
 ところが七月九日の正午頃であった。
突然、大地が揺れ動いた。
地震であった。
九重の塔も六重までが振り落とされ、三十三間の御堂(みどう)も、十七間までが倒れ、皇居を始め、諸々の神社仏閣から、一般の民家にいたるまで、倒壊するもの数知れない有様であった。
雷のような恐ろしい音をたてて舞いあがる塵(ちり)は、煙のようであった。
太陽の光は見えず、夕暮にも近い暗さであった。
この地震は、京都ばかりか、相当の遠くにまで及び、大地は裂け、山は崩れ、海は大津波が荒れ狂い、人々は逃げる場所もなく、埋もれて死んだ人は、白河、六波羅のあたりにも、何人いるかわからなかった。
 地震の起ったとき、法皇は、丁度、新熊野(いまくまの)へご参詣のところであったが、周囲に死傷者が続出したので、急いで六条殿へお還りになった。
主上も鳳輦(ほうれん)に乗られ、急いで池のほとりまで出御になり、法皇は南庭に幕を打ち廻して避難なさった。
女院、各宮方も車にお召しになり、それぞれ安全なところへ避難された。
天文博士たちが参内すると、
 「今夜、十時、十二時には必ずゆり返しが参ります」
 という報告をしたので、人々は一層恐ろしさに身をすくませた。
 この大地震も、入水なさった幼い主上始め平家一門の怨霊(おんりょう)のたたりではあるまいかと、人々は噂(うわさ)をして一層恐れおののくのであった。
(『現代語訳 平家物語(下)』尾崎士郎 岩波現代文庫 2015年)
 『平家物語』はこの地震については『方丈記』を用いています。
以前、現代語訳を転記していますが、
見直すと、間違いが幾つかあったので再度転記しますm(__)m
再び、間違いがあるかも…
 また、同じころであったろうか。
ものすごい大地震があって、ひどくゆれた。
そのゆれ方といったら、なみなみのものではない。
山はくずれて、川をうずめてしまい、海は傾斜して、海水が陸地をひたした。
土が裂けて、水がわき出し、巌石が割れて、谷にころげ込む。
海辺を漕ぐ船は波に翻弄され、道を行く馬は立つ足もとが定まらない。
京都近辺では、あちらでもこちらでも、お寺の堂や塔が被害を受け、満足に残ったものは一つもない。
あるものはくずれおち、あるものはひっくりかえった。
塵灰が立ちのぼって、さかんに吹き上げる煙のようである。
大地がうごき、家屋が破壊される音は、雷鳴とまったく同じだ。
家の中にいると、すぐにでもおしつぶされそうになる。
外へ走り出れば、地面が亀裂する。
羽がないので、空を飛ぶわけにはいかない。
竜なら雲にも乗れるが、人間のかなしさ、それもかなわぬ。
おそろしいものの中でも、特に恐れなきゃあならないのは、ただ地震だとなあと、しみじみ痛感したことだった。
(『方丈記 現代語訳付き』鴨長明著、簗瀬一雄訳注 角川ソフィア文庫 2010年)
 こんなにものすごく震動することは、しばらくで止まったけれども、その余震はしばらくはやまない。
これが大地震のあとでなく、ふだんならびっくりするくらいの地震が、一日に二、三十回ゆれない日はない。
十日、二十日と日がたつと、だんだんに間隔が遠くなって、あるいは一日四、五回、二、三回、または一日おき、二、三日に一回などいうふうになったが、おおよそ、その余震は三か月ほどもあったろうか。
 仏教で説く四大種(しだいしゅ)の中では、水・火・風の三つはいつも災害を起こすけれど、大地というものは、特別な変化をしないもので、安定しているはずである。
昔、斉衡(さいこう)のころであったろうか、大地震があり、東大寺の大仏の御首が落ちなどする、ひどいことなどがあったけれどその大地震も今度のはげしさにはかなわいということだ。
そこで、今度の大地震を経験した人は、みなこの世がつまらないものだということを話しあって、少しは煩悩(ぼんのう)もうすらぐように見えたけれど、それから月日がたち、年が過ぎたあととなると、大地震のこと、それによって世のはかなさを嘆きあったことなどを、口に出していう人さえいやしない。
(『方丈記 現代語訳付き』鴨長明著、簗瀬一雄訳注 角川ソフィア文庫 2010年)

元暦二年七月九日(1185 年 8 月 6 日)の京都地震について」(三雲健 京都大学)

昨夜は熊本で
これも余震なのかな…
今朝の父の一枚です(^^)/
亀で検索すると春の季語に「亀鳴く」「亀鳴いて」などがあるのですね。
鈴木真砂女の俳句に

亀鳴くや心の流転とめどなし

亀鳴くや摑みそこねし運の果て

亀鳴くや人に魔のさすときあり
(『新装版 季題別 鈴木真砂女全句集』角川学芸出版 2015年)

一方、こんな句もあります(スッポンのことかな?)

ひさご
  雑


亀の甲烹(に)らるゝ時は鳴(なき)もせず  乙州(おとくに)

 唯牛糞(ぎうふん)に風のふく音  珍碩(ちんせき)

―無季の発句の意。
亀の甲―亀のこと。『七部一句註』(仮題)に成美説として「乙州一時憤懣の事ありてたまたま作れる処か。亀は四霊の一つにて徳ある事は勿論なり、且煮らるゝ時といへどもなきもせず、かの患難に乗じては患難を行ふと云ふやうに、困窮の事あるにあたりても疑惑せずといふ心ばへなるべし。実は世を憤る気性あり。脇句も又其心をうけて牛糞に風の吹くと、一般の世態を手もなくいひなぐりたる体也」とある。
(『芭蕉七部集』中村俊定 校注 岩波文庫 1966年)