2022年6月12日日曜日

風が吹くと

日差しはきつかったのですが、ときおり吹く風が気持よかったです。
九州地方でも平年より遅く梅雨入りしているけど

気象台「九州南部が梅雨入り」と発表 平年より12日遅い〟(鹿児島NHK 6月11日)

昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値):近畿」(気象庁)
 なんの準備もなく避難してきた人々にとって大きな壁。
言葉が分からないことの大変さを経験しているカテリーナさんがサポートしている。

彦根市在住のウクライナ人が避難者にオンラインで日本語講座」(滋賀NHK 6月10日)
昨日紹介した藤原道長の「わが世……」の歌。
今日、紹介する本を読んでいると、
「わが世」どころかわが身をも危うくする歌だったのかもしれない。

第五部 冬
 藤原道長の望月の歌(千年紀)


  この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

は、藤原道長の栄華を象徴する歌として有名ですね。
永井路子さんも小説のタイトルを『この世をば』(新潮社、1986年)としています。
ただしその出典に関しては、いささか奇妙な点があります。
というのも、道長はこの歌を自らの日記『御堂関白記(みどうかんぱくき)』にも家集『御堂関白集』にも掲載していないからです。
 それは藤原行成の日記『権記(ごんき)』も、歴史物語『大鏡』・『栄花物語』も同様であり、道長近辺の資料にはこの歌が一切出ていません。
ですからこの歌が千年後の今日まで伝えられることはなかったかもしれないのです。
(『古典歳時記』吉海直人 角川選書 平成30年)
 ではどうして今日まで伝えられたかというと、現場に居合わせていた右大臣藤原実資(さねすけ)が自ら日記『小右記』 に書き留めていたからです。
もう少し詳しくいうと、道長は当日のことを『御堂関白記』寛仁(かんにん)2年(1018年)10月16日条に、「於 此、余読和歌、人々詠之」とだけ記しています。
この月は中秋の名月ではなく陰暦十月(冬)の満月だったのです。
「余和歌を読む」とあるので、道長が和歌を詠んだこと、さらに居合わせた人々がその歌をみんなで唱和したことまではわかりますが、どんな歌を詠んだかまではわかりません。
 道長がこの歌を日記に書き留めなかった理由について、歴史家の竹内理三氏は単純に道長の照れと見ておられます。
しかしながら「この世をば」歌に関しては、道長の照れ云々(うんぬん)で解消すべき問題ではありません。
たとえその日、道長の娘威子(いし)が立后したことで、娘三人が三后を独占することになったとしても、そして道長が天皇の外戚(がいせき)として君臨していたとしても、この歌の内容は明らかに天皇制に対する不遜(ふそん)な表現(不敬)になっているからです。
道長自身そのことに気づいていたからこそ、自身の日記にあえて書き留めなかったのではないでしょうか。
 ここであらためて『小右記』同日条を検討してみましょう。

  太閤招呼下官云、欲読和歌、必可和者、答云、何不奉和乎、又云、誇(ほこり)たる歌になむ有る、但非宿構者、此世乎ば我世とぞ思望月の虧(かけ)たる事も無と思へば、余申云、御歌優美也。無方酬答、満座只可誦此御歌、元稹(げんしん)菊詩、居易(きょい)不和、深賞歎、終日吟詠、諸卿饗応余言数度吟詠、太閤和解、殊不責め和、

 太閤(道長)は下官(実資)に自分が歌を詠むから、必ずそれに和して歌を詠むようにと念を押しています。
「宿構に非(あら)ず」とは、前もって作っておいたのではなく即興で詠んだということです。
実資が唱和することを承諾すると、「誇たる歌」と自嘲(じちょう)しながらも「この世をば」の歌を詠みあげました。
 しかし歌を聞いた実資は約束を違(たが)えて歌を詠まず、道長の機嫌を損ねないように、元稹と白居易の菊詩の故事を出し、みんなで唱和してその場を取り繕いました。
こうして望月の歌が『小右記』に書き留められたことで、今日まで伝えられたのです。
というより実資は、意図的に道長の歌を書き留めているのではないでしょうか。
というのも、これは下手すると道長不敬の動かぬ証拠になりかねないからです。
だからこそ自ら同調する歌を詠みたくなかったのでしょう(吉海「藤原道長五十賀歌小考」同志社女子大学日本語日本文学会会報21・平成9年7月)。
 その後、どういうルートを辿(たど)ったのか『袋草紙』14に「小野宮右府記云」として、

  太閤招下官云、欲読和歌、必可和者、答何不奉和歌。又云、誇たる歌になんある。
   此世をば我よとぞおもふ望月のかけたることもなしとをもへば
  余申云、御歌優美也。無方、満座只誦此御歌、元稹菊詩、居易不和、深賞美歎、終日吟詠、諸卿饗応、余言、数度吟詠、太閤和解殊不責和。 (『袋草紙注釈』上62頁)

と『小右記』が引用されていますが、ここでは秀歌には返歌をしない例とされており、政治的な配慮には一切言及していません(道長の歌は秀歌とは思えませんが)。
 さらに『続古事談』にも惹かれていますが、

  又右大将にの給、歌をよまむとおもふに、かならず返し給べし。大将、などかつかまつらざらんと申さる。大殿仰らるるやう、ほこりたるうたにてなんある。ただしかねてのかまへにあらずとて、
   此(この)世をば我世とぞ思ふもち月のかけたる事もなしと思へば
  大将申さる、この御歌めでたくて返歌にあたはず。ただこの御歌を満座詠ずべき也。元稹が菊詩、居易和せず、ふかく感じてひねもす詠吟しけり。かの事をおもふべしと申さるれば、人々饗応(きやうおう)してたびたび詠ぜらるれば、大殿うちとけて、返歌のせめなかりけり。

と、漢文からわかりやすく和文に書き直されています。
 こうして古記録から歌論集・説話集へと「この世をば」歌が複数回引用されたことで、後世に伝わる土壌が形成されていきました。
ここまで来ると、もはや不敬云々からは遠ざかっています。
その代わり臨場感や緊張感も薄れてしまっているようです。 
(『古典歳時記』吉海直人 角川選書 平成30年)
今朝の父の一枚です(^^)v
まだ咲かないかなと待っていた花

 超小型ながら立派なラン

 光こぼれる初夏の午後。
公園の芝生の間におもしろい花を見つけた。
まるでエッシャーの「無限階段」
不思議な螺旋を描く花は、その名もネジバナ(捩花)という。
別名をモジズリ(文字摺)。
属名の Spiranthes も「螺旋の花」という意味だ。
 近寄って見ると、螺旋をなして咲く花は、大きさの差に目をつぶりさえすれば、形も色もカトレアの花にそっくりだ。
それもそのはず、ネジバナは小さいながらも立派なランの仲間である。
…後略…
(『したたかな植物たち―あの手この手のマル秘大作戦【春夏篇】』多田多恵子 ちくま文庫 2019年)