2022年6月18日土曜日

曇り空

曇り空で蒸し暑かったのですが
雲が昨日よりも厚かったので日差しがあまり届かなかった分、助かりました。
それでも紫外線は雲を突き抜けて届いていると思います。

ビタミンD 95%の子どもで不足や欠乏 和歌山県立医大」(和歌山NHK 6月14日)
昨日の「天声人語」にドナルド・キーンさんのことが紹介されていました(今日は生誕100年)。

…前略…
▼右手に銃、左わきで和英辞典を抱えた写真もある。
大戦中、アリューシャン列島に上陸し、日本兵が手投げ弾を胸にたたきつけて玉砕する姿に衝撃を受ける。
一方で、日本兵の手紙や日記を解読し、辞世の歌や遺書の格調に驚く。
のちに紀貫之や芭蕉らの日記を読み込む研究につながった。
…後略…

特別展「生誕100年 ドナルド・キーン展―日本文化へのひとすじの道」(神奈川近代文学館)
正岡子規 第六章「写生」の発見

…前略…

 子規は、蕪村が芭蕉より優れていることを証明しようとしたわけではない。
むしろ子規は、芭蕉と蕪村が美を二分する双子のようなものだと考えていた。
すなわち芭蕉の「消極的美」と、それと対等の位置にある蕪村の「積極的美」である。
子規がこうした二つの美の型を発見したのは、詩歌の世界にとどまらず、すべての芸術の世界においてであり、しかも、そのどちらかが優れていると考えるべきではないと言う。
(『ドナルド・キーン著作集 第15巻 正岡子規 石川啄木』角地幸男訳 新潮社 2018年)
ヨーロッパの芸術や文学は「積極的美」の傾向にあるが、アジアの芸術や文学は一般に「消極的美」だった(子規は消極的美を称えるにあたって、日本の芸術批評の典型的な用語――たとえば幽玄<ゆうげん>――を使っている)。
芭蕉が「積極的美」に相当する俳句も作っていることは事実だが、その傑作の多くは「消極的美」だった。
芭蕉の一派に属する俳人たちが、よく「寂(さ)び」とか「細(ほそ)み」といった美の基準を言うのはそのためで、彼らは西洋芸術に見られる「積極的美」を、粗野で、つまるところ劣ったものと見なしがちだった。
 子規は蕪村の俳句に見られる「積極的美」の証例として、蕪村が句の季節を好んで春と夏としたこと、特に夏を好んだことを挙げている。
確かに暗い秋や冬と違って、春と夏は「積極的美」の季節だった。
少なくとも十世紀初めの『古今集(こきんしゅう)』の編纂までさかのぼればわかるように、日本の詩人たちは桜の季節である春と紅葉の季節である秋に、飽くことのない関心を示してきた。
蕪村が選んだのは、どちらかというと夏の景色について俳句を作ることだった。
芭蕉はたとえば夏の時期の紀行である『おくのほそ道』に収めた句のように、夏を舞台にした素晴らしい俳句を作っている。
しかし芭蕉の夏の句に詠まれた花々の多くは単に季節を示すためのもので、本来の関心の対象ではなかった。
 これと対照的に蕪村が俳句で花に触れる場合は、その花でなければならない独特な何かを摑(つか)まえたからだった。
…後略…
(『ドナルド・キーン著作集 第15巻 正岡子規 石川啄木』角地幸男訳 新潮社 2018年)
  愚痴無智の甘酒作る松ケ岡  蕪村

 この句は鎌倉の松ケ岡即ち今は宗演老師のいる東慶寺のことを言うたのであるが、この松ケ岡(地名)の東慶寺という寺は北条時宗の細君が開山の尼寺で、今でいう女権保護のために建てた寺で、この寺に一歩でも足を踏み込んだ女にはもう法律の権威が及ばない、尼の許しを得なければ将軍であろうが大名であろうが、その女をどうすることも出来ないのであった。
それは北条時代から御維新前まで続いて来たのであって、自然この寺には沢山の女が庇護(ひご)されてもいたし、またその女の望みによっては末寺の坊に落飾(らくしょく)して住まっていた女も沢山あった。
そういうところから女は元来愚痴でかためた無智なものであるが、その愚痴無智の尼が退屈の余りに甘酒を作るというのである。
普通の家庭でも女等が集まると、お鮓(すし)をつけるとか牡丹餅(ぼたもち)をつくるとかする、それと同じような訳で、尼どもが集まって甘酒をつくるというのである。
この句の「尼」と甘酒の「甘」とが掛言葉になって、それがこの句の主な趣向になっておる。
易水(えきすい)の句などに比べると同じ蕪村の句でも下等な句である。 
(『俳句はかく解しかく味う』高浜虚子 岩波文庫 1989年)
東慶寺のこと」(臨済宗円覚寺派 松岡山 東慶寺)

自力で理解するのが難しい場合、手引きになる本を手に取ります。
どのような本を選んだかは、後々まで影響すると思うのですが…
この句を「下等な句」とまで酷評しているのは、虚子の俳句観をあらわしているのだと思う。
蕪村句集 夏
 愚痴無智(ぐちむち)のあま酒(ざけ)造る松が岡  明和五句稿 落日庵・句帳

 愛欲に迷った無智の尼たちが、憂世(うきよ)の愚痴をこぼしながらも、松が岡東慶寺の庫裡(くり)で楽しそうに甘酒を造っている。

「甘酒」に「尼」を掛けたのも効果的であり、406(「御仏に昼供へけりひと夜酒」)とともにペーソスのある佳作。
◇愚痴 三毒煩悩(ぼんのう)の一。真理を理解する能力がなく、多くの惑いの根本となる愚かさ。
◇松が岡 鎌倉市松が岡の東慶寺。有名な駆込み寺。三年間修業すれば離縁も許されたので縁切り寺とも。
「鎌倉誂物(あつらへもの) 尼寺や十夜に届く鬢葛(びんかづら)」(宰町、元文3年『卯月庭訓』)。
(『與謝蕪村集 新潮日本古典集成』清水孝之校注  新潮社 昭和54年)
蕪村句集 夏
 御仏(みほとけ)に昼供(そな)へけりひと夜酒(よざけ)

仏前に花や水などを供えるのは早朝のこと。
酒ではない甘酒を、夜でなく「昼供へけり」に諧謔(かいぎゃく)があり、尼たちが大好物にくつろぐ午後の明るさが思われる。
底本「備へけり」と誤る。
◇ひと夜酒 甘酒。一夜のうちに熟するのでいう。
(『與謝蕪村集 新潮日本古典集成』清水孝之校注  新潮社 昭和54年)
 愚痴無智(ぐちむち)のあまざけ造(つく)る松ヶ岡 句帳(夏より 落日庵 句集)

[訳]愚痴・無知の甘酒を造っているよ、松ヶ岡で。
[季]「あまざけ」夏。
[語]愚痴――仏教用語。理非の区別がつかない愚かさ。
愚痴・無智――グチムチの音の響きから甘酒を煮るときの擬音語を連想。
あまざけ――「尼」と「甘」をかける。
松ヶ岡――鎌倉の尼寺・東慶寺のある場所。駆け込み寺・縁切寺(東慶寺)。
[解]離縁を望んで東慶寺に駆け込んだ女たちに同情しながらも、女たちの会話を滑稽に転じた。
[参]6月8日、召波亭、兼題「一夜酒」(夏より)。「松ヶ岡似たこと斗(ばか)り咄(はな)し合ひ」(誹風柳多留・127)。
(『蕪村句集 現代語訳付き』玉城 司訳注 角川ソフィア文庫 2011年)