2018年8月31日金曜日

沢田教一展

訪問させていただいている方の記事を読んでやはり見たくなりました。
「沢田教一展―その視線の先に」(~9月3日まで)
百貨店で開催期間が短いのですが、ぜひ多くの人に見てほしいです。
展示物は撮影禁止なので少しメモしましたφ(..)

戦争で最初に犠牲になるのは真実である
(誰の言葉かは書かれていませんでした。
検索すると幾つか説があるようです)

一面に広がる
ベトナムの水田を
初めて目の前にした時、
まず思い浮かべたのは
津軽の風景でした。
サタ


(沢田さんの撮したベトナムと津軽の風景は
稲作の田園風景が広がっていました。)

そこに
生きる人々を、
そして
風土を
撮りたいんだ。
沢田は口癖のように語っていた。

(戦場カメラマンとしての評価が高いのですが、
日常の生活や風土を撮した作品を見ると
戦時中の日本でもこのような平穏な生活があったんだろうな
映画「この世界の片隅に」を思い出しました。)

平和になったら、
ベトナムを北から南まで
ゆっくり撮影旅行したいな。
ベトナム人の笑顔って
最高なんだよ。

南海なんば駅
御堂筋の終点に、揺るがぬミナミのランドマークとして鎮座するのが大阪タカシマヤのある南海ターミナルビル。
大阪の百貨店が次々と建て替えられるなか、近代建築の良さを残して、
再生リニューアルという手段を選択した英断にまずは拍手を送りたい。
170mもの長大な壁面に、16本のコリント様式の柱が並ぶクラッシックな外観は、1932年に久野節が設計した。
細かな装飾はテラコッタという焼きものだが、当時他に例を見ないほどの量が使用されたという。
その後増改築が重ねられて機能と動線が輻輳し、建築自体の魅力も損なわれていたため、
21世紀に入って根本的な改修と増築を行うことになった。
設計を担当した建築家・大江匡(ただす)率いるプランテックは、オリジナルの良さを引き立てながら、
現代的な要素を加える大胆な再生計画を提案した。
ミナミの待ち合わせのメッカでった「ロケット広場」は、
巨大なガラス屋根で覆われた大空間、なんばガレリアと生まれ変わった。
建設年:1932年(改修:2011年)
設計:久野節(改修:プランテック総合計画事務所)
国登録有形文化財

(赤→)3連窓のアーチと古典様式の柱がリズミカルに並ぶ。
列柱は柱頭にアカンサスの葉を戴くコリント様式。

(朱→)クラッシックな外観の屋上に現代的なガラスのボックスを新に設けた。
(『大阪名所図解』画・綱本武雄、
  解説・酒井一光 髙岡伸一 江 弘毅 140B 2014年)

南海ターミナルビル再生計画『保存・再生・先進性』」(プランテック総合計画事務所)

1932年建設とあったので空襲の被害はなかったのかなと検索すると
「本館の全焼は阻止することができました」(1945年)
この「名物カレー」が食べたくなりました(^^ )
今回で2回目ですが、ゆっくりと食べたい人には向かないかも…
テーブルが狭くて席の間隔が狭いです。
σ(^_^;のように体の小さい者は、苦にならないのですが。
途中下車をして書店によりました。
気に入った本を購入してコーヒータイム。
その本の紹介は別の機会に(^_-)
写真展のカタログ『写真家沢田教一展 ―その視線の先に』をゆっくりと見ていました。
キャパもそうですが、子どもたちを撮った写真がいいなと思いますし
沢田教一さんは、女性も魅力的に撮しておられます。
これまで東京、京都、横浜で展覧会が開かれていたんですね。
京都の時(3月14日~3月25日)は、胆のう炎でそれどころではなかったな…

8月26日に放送されたMBSドキュメンタリー
「記憶する歌 ~科学者が詠う三十一文字の世界~」

最後の方で、永田和宏さんの講演
劣化することば―ことばへの信頼を取りもどすために―
の中で紹介された歌と言葉を紹介したいと思います。
(左耳失聴で聞き間違い、聞き漏らしがあると思います)

戦後七0年いまがもつとも危ふいと
わたしは思ふがあなたはどうか


言葉が今、極端にねじ曲げられようとしている。
あるいは言い換えられることによって、
ことば」の本来もっているはずの意味が無化されようといている。
という傾向が社会の中に起こっている。
とくに政治の中で起こっている。
たとえば、

不時着と言ひ替へられて海さむし
言葉の危機が時代の危機だ


オスプレーが一昨年(おととし)の12月、沖縄の海に墜落した。
あれ、不時着ですか?
不時着と言われると日本語を考え直さないといけない。
だれが見ても墜落。
もう一つ、
ことば」に対する不感症がある。
非常に怖い言葉をきいたときも
一回目は強い反応をする。
何度もその言葉にさらされているうちに
なんとも思わなくなる。
なんとも思わなくなることはとても怖いことだと思います。

馴らされてゆく言葉こそが怖しい
初めは誰もが警戒するが


最初は非常に警戒するのですが、二度三度と聞かされているうちに
その言葉に対して反応しなくなる。
反応しなくなるということは、みんながそれを受け入れるということ

四月にアウシュビッツを訪ねました。
人間のある種、悲劇のきわまった場所ですね。
別の言い方をすると人間の愚かさの極みでもある。

いちにんの狂気に帰するはたやすけれ
止めなかつたのだ誰ひとりとして


こう言うときにドイツ国民はどうしたのか、
知っていたけれどものが言えなかった。
止められなかった。
私の歌は「止められなかったのだ誰ひとりとして」と書いていない。
止めなかつたのだ誰ひとりとして
そこが大事なことだと思っている。
見て見ぬ振りをする。
わかっているけどものは言えなかった。
というところがすごく大きかった。
今の日本を見ていてやはり、それに近いことを正直感じています。
民衆が唯一持っている力は「ことば」だというふうに思っています。
ことば」こそが民主主義を支える根幹である。
民衆は権力として、武器として「ことば」を持っている。
この「ことば」を取り上げられると民衆は完全に無力になる。

4 件のコメント:

  1. こんばんは~

    沢田教一展へ行ってこられたんですね。

    >ベトナム人の笑顔って最高なんだよ。

    その箇所、覚えています。
    やはり、どの国の人も同じだと思いますが、笑顔を向けてもらえると自然とこちらまで笑顔になりますね。
    笑顔って不思議な力があるように思います。


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    1. カイさんこんばんは(*^O^*)/
      カイさんの記事を読んで、見たくなり出かけましたp(^-^)q
      沢田教一さんの笑顔の写真を見てホッとしました。
      >笑顔って不思議な力があるように思います。
      子どもたちの笑顔、村人の笑顔が素敵でしたよね。
      女性の憂いのある表情も素敵でした。
      沢田教一さんのように命をかけて撮影した写真等で
      アメリカ政府の報道では知る事ができなかった
      ベトナム戦争の悲惨さを知ることができたのですよね。
      今の日本のマスコミは、政府のコメントをそのまま国民に知らせています。
      そこには、宮武外骨などのように気骨のある姿は見えません。

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  2. おはようございます、というより初めてコメントさせて頂きます。
    数年前に風先輩(私は高校の後輩です)にメールを一度だけしたことがあります。
    その際には丁寧にご返信をして頂きありがとうございました。
    また私がその後何らコンタクトせず申し訳ありませんでした。

    沢田教一氏は私の頭の中では写真家でベトナムに取材に行かれた方としか知りませんでしたが、たまたま3月に京都に出かける用事があり見てきました。
    感性の乏しい私ですが、当時のベトナムと言えば米軍機からの空爆の模様がニュースに流されていたことがうろ覚えで少し記憶にあるくらいで、庶民、市民の生活状態を知ることは殆どなかったように思います。
    戦争とはそのようなものかもしれませんが、その地で生きている、生活している人間がいる、どんな状況になるかを想像してみることがいかに重要であるかを思い知らされたように感じました。

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    1. マサシさんこんばんは(*^O^*)/
      記憶が飛んでいるのでマサシさんにどんなお返事をしたのか忘れてしまっていますm(_ _)m
      発病以来、左耳が突発性難聴で全く聞こえなくなりました。
      そのため、閉じられた空間(宴席)では気分が悪くなり、
      耳鳴りなどで話が聞きとれなくなってしまいます。
      高校の同窓会総会に初めの頃は参加しても途中で退席していましたし
      ここ数年、参加することができなくなってしまいました(o_ _)o

      マサシさんは、京都での展覧会をご覧になったのですね。
      高校1年の時に沖縄に帰郷したことがあります。
      その時に米軍基地からB52爆撃機がベトナムへ空爆に出撃するのを見たりしました。
      沖縄という小さな島からベトナムへ毎日、爆撃機が飛び立ち、若い兵隊が送られたり
      戻ってきたりする姿を目の当たりに見ました。
      ベトナムの様子は、命がけで戦場に赴き取材している記者たちによって知ることができました。
      今の日本では、アフガンなどに出かけて取材している記者に
      政府が近づくなと言っているのに勝手な行動をしている。
      「自己責任」などという言葉を使って批判している人たちが多くいます。
      ベトナム戦争に限らず、命がけで取材をしているカメラマンなどによって私たちは、真実を知ることができます。
      でないと、西南戦争で明治政府が西郷軍を残虐な行為をしていると情報操作をしたのを鵜呑みにした国民と同じようなものの味方をしてしまうと思います。

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