昨夜、雨が降ったので涼しいかなと思ったけど蒸し暑かったです(^0^;)
夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり 三橋鷹女
夏瘦せの語は『万葉集』に大伴家持が「夏痩せによしといふ物ぞむなぎ漁(と)りめせ」とすでに早い。
日本人は古くから高温多湿の夏になやまされ、栄養も悪かったので夏痩せは一般的だったのであろう。
土用の丑の日に鰻の蒲焼きを食べるようになったのは平賀源内が鰻屋の看板を書いてからという。
この句ハッキリしている。
食べ物についてはもちろんだが、世事万般にわたって自分の好みを貫く鋭く強い女性の感覚。
(『日々の俳句』沢木欣一 求龍堂 昭和58年)
石麻呂(いしまろ)に
我(われ)物申(ものまう)す
夏痩(なつや)せに
良(よ)しといふものそ
鰻(むなぎ)捕(と)り喫(め)せ
巻16・3853 大伴家持(おおとものやかもち)
石麻呂殿に
私がものを申そう
夏痩せに
効果てきめんということですぞ
鰻を取って召しあがりなされ
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
[選者 小島ゆかり(歌人)]
万葉集の前期の天才が柿本人麻呂だとすると、
後期を代表する天才歌人は、ご存知のとおり大伴家持です。
その人がこんな歌を作っていると思うと、たいへん親しみがわきます。
ユーモアの人、家持という一面が見られる歌です。
――この歌には、「痩せたる人を嗤笑(わら)ふ歌」という題詞がついています。
[小島]
「石麻呂に 我物申す」、つまり石麻呂さんに申し上げますと、
少ししゃっちょこばって言っています。
「嗤笑ふ歌」とありますから、家持は石麻呂とたいへん親しい間柄で、
石麻呂が部下だったとの説もあります。
ともかく冗談を言えるほどの関係です。
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
――家持は続けても一首、こんな歌を石麻呂に贈りました。
痩(や)す痩すも 生(い)けらばあらむを
はたやはた 鰻(むなぎ)を取ると 川(かは)に流(なが)るな (巻16・3854)
痩せに痩せているとはいえ、生きていけるなら儲けもの。
はてさて、鰻を捕ろうとして川に流されなさるな
[小島]
家持はとてもいたずら心がありますね。
一首目では痩せっぽちの石麻呂に、「夏痩せにいいから鰻を食べなさい」と言い、
石麻呂のほうも、からかわれていると知りながら「そうか、鰻ねえ」なんて思ったりしますでしょ。
そうしたら二首目で、「でも、いくら痩せてるといっても、生きてりゃ儲けもの。
鰻を捕ろうとして川に入って流されなさるな」なんて、
自分が一首目で言ったことの揚げ足を取るような形で詠っています。
「痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた」って、じつに調子良く詠って、
しかもなんと念入りにからかっていることでしょう。
いまのお笑いコンビでいえば、この場合は家持がツッコミの役割。
で、ボケの石麻呂が「うーん、そうか」なんて言ったら、さらにツッコんでいる、
そんな場面だろうと思うんですけれど。
もうしゃれっ気十分。
家持の人間像の中に、そんなユーモア精神があったことがひとつ。
それともうひとつは、いくらユーモア精神があっても歌が上手くなければ、こんな面白味は出ません。
お笑いコンビの例で言えば、喋りのテクニックがなければ笑いはとれない。
家持の歌のテクニックがまた素晴らしいということでしょうね。
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
小島ゆかり
セリ セリ科セリ属
高さ20~80cm 花期7~8月
田んぼにいち早く姿を見せる春の七草の一つ
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。
おなじみの春の七草の一つとして知られている。
春の若い茎や葉を七草がゆやおひたしにして食べるが、
花の咲くころにはかたくなってしまう。
また、「秋ゼリは食うな」というが、ヒルの卵がついている心配があるからだ。
田んぼに水が入るといち早く姿を見せ、
夏になると白い花火のような花をあぜ沿いに咲かせるよ。
共通のにおいや味は虫たちが知っている
セリ科の植物には、ほかにミツバやパセリ、ニンジン、セロリなど、独特のにおいを持つものが多い。
そういえば、キアゲハはこれらのセリ科植物に卵を産み、幼虫はその葉を食べて育つんだ。
(『田んぼの生きもの おもしろ図鑑』湊秋作編著 農山漁村文化協会 2006年)
7月27日の記事でキアゲハの幼虫がセリの花をムシャムシャ食べていました(´。`)
ヤブミョウガ ツユクサ科 ヤブミョウガ属
暖地の林に生える多年草で、都心の公園でも見かけます。
大きな葉がミョウガを思わせますが、実際は縁の遠いツユクサ科で、
初秋に高さ1mほどの花茎を立てて白い花を咲かせます。
花は次々に実になり、青白い光沢を帯びた藍黒色に熟します。
色調はブルーベリーにちょっと似ていかにも鳥が好きそうですが、
実際はあまり食べてもらえず、冬でも実が残っています。
実を一粒、指でつぶしてみました。
びっくり。
果皮は粉々に壊れ、ざらざらと砂粒がこぼれ出たのです。
砂粒はタネでした。
虫眼鏡で見ると台形で中心に穴があり、どこかで見たと思ったら、そうだ、
物干しを立てるコンクリートの土台石に似ているのでした。
水気も素っ気も養分もない硬い砂粒の詰まった実。
おいしい実を偽装する栄養価ゼロの実なのでした。
(『実とタネキャラクター図鑑』多田多恵子 誠文堂新光社 2017年)
韓衣(からごろも)裾に取りつき泣く子らを置きてそ来のや母(おも)なしにして
(20巻4401)他田舎人大島(をさだのとねりおほしま)
信濃の国の防人。
この歌にも「来のや」(来ぬよ)という訛りがあるが、この人は幼子をもっていたらしい。
別れを悲しんで、わが韓衣の裾にとりすがって泣くというのである。
韓衣というのは裾の左右が合わない構造になっていたらしく、
合わない形容に用いられることばだから、そのイメージが別離の上に重ねられているはずである。
そしてこの子は「母なし」だという。
すでに母は死んでしまったらしい。
当時は別居婚がふつうだったから、今までだって時折り訪れる父親だけが親だったとも考えられるが、
今その父親まで遠く生き別れとなるのだから、子どもたちの悲しみがよく知られるし、
それ以上に当の父親自身が辛かったろうことも了解できる。
しかも「来のや」とは、すでに出発してしまった後の表現だから、
子どもたちは二親ともに失われた故郷に残されているのである。
この防人にとっての離脱は、孤児を故郷に残すことを意味した。
(『万葉のことばと四季(書籍版)』中西進 角川選書 昭和61年)
もう花が終わったと思っていたら咲き出したのがありました。
リュウキュウフジウツギ(花言葉は「誠実」)
翁長さんのご冥福を祈っているかのようです。
「ゴルバチョフ氏、翁長知事に追悼文」(琉球新報)
彼はいつも不変で堅固な意志を持ちながら、
将来への明確なビジョンを持っていました。
彼の活動の基本方針は、平和のための戦いであり、
軍事基地拡大への反対と生活環境向上が両輪でした。
スズメがサクラの樹の害虫を退治してくれましたp(^-^)q
ギンヤンマが産卵していましたp(^-^)q
「トンボの育ち方」(動画)
今朝のEテレ〝こころの時代~宗教・人生~ 「いのちを詠う」〟は永田和宏さんでした。
1月に放送されて感銘を受けました。
その永田さんが昨日の朝刊の読書欄に
「私の好きな新書『演劇入門』平田オリザ<著>」について寄稿されていました。
その最後に書かれていたのが
コンテキストの摺り合わせこそが対話であるとすれば、
昨今の国会討論はそれをわざとずらすことで、
対話そのものを無意味化する好例であろう。
久しぶりに父が一緒に公園に来ました。
父が撮しているのはクサギ。
母と一緒に来ていたときに、クサギについて母に説明していました。
田舎のクサギよりも匂いが薄いと言っていました。
〝「平和の家を作る」シュモーに学ぶ会…西村宏子〟を聞くことができます。
(2018年10月1日(月) 午後3:00配信終了)
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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m