2018年8月17日金曜日

カラッとした暑さ

朝、涼しいなと感じたのは久しぶりです(o^^o)

青旗(あをはた) 
木幡(こはた)の上(うへ) 
(かよ)ふとは 
(め)には見(み)れども 
(ただ)に逢(あ)はぬかも
   巻二・148 倭大后(やまとのおおきさき)

青々と旗のように
茂る木幡の山の上を
大君の魂が抜け出して
行きつ戻りつすることは
目には見えるけれど
直には、お逢いできないことだ
(『NHK日めくり万葉集vol.2』中村勝行編 講談社 2009年)
[選者 山折哲雄(やまおり・てつお)宗教学者]
 天智天皇がお亡くなりなる時にそのお妃・倭大后が詠ったこの歌には、
木幡の山の上に天智天皇の魂が漂っていく――とあります。
私はこの点から、日本人の死後の運命に対する信仰を考える上で、
非常に参考になる歌だろうと思っています。

――木幡の山は、京都府宇治市の東部にある山と言われています。
(『NHK日めくり万葉集vol.2』中村勝行編 講談社 2009年)
[山折]
 万葉集には死者を悼(いた)む歌、挽歌が、いろいろな階層の人々に詠われています。
死んだ人の遺体から抜け出た魂が、高い所、特に山、山の頂上、
頂上を取り巻いている霧とか雲、
あるいは樹木の上に漂っていくという意味の歌が非常に多いのです。
言ってみれば、古代万葉人の人生観のひとつの中心は、
肉体と霊魂は分離するという信仰だったと思います。
 それでは死後、魂は山の高い所に昇っていって、どうなるのか。
やがて時を経て山の神になる。
こういう信仰が次第に定着してゆきます。
(『NHK日めくり万葉集vol.2』中村勝行編 講談社 2009年)
――人の魂は死後、山に昇る――。
そうした信仰が、その頃に伝わった仏教の影響を受けて、
日本独自の形になったと、山折さんは考えています。

[山折]
 仏教で人間の死後の運命を考えたのは、インド人の浄土教徒で、
その流れの浄土思想では、死者の魂は西方十万億土に往生するとしました。
それが日本に伝えられると、古代日本人は読み替えるんですね。
西のほうに死者の魂が赴くと一応認めるとしても、
西方十万億土なんていう途方もない距離については、想像のしようもない。
そこで日本人は、すでに万葉の頃から、浄土は山の上にあると考えるようになる。
読み替えるわけです。
(『NHK日めくり万葉集vol.2』中村勝行編 講談社 2009年)
[山折]
 万葉時代、死んだ人の魂は山の上に昇って神になるんですが、
仏教が入ってくると、同時にそれは仏になるという信仰に替わってゆきます。
山は、その神の世界と仏の世界を媒介する舞台になる。
日本人の神仏習合・神仏共存の信仰の原点は、ここにあるのです。
山こそ死者の赴くところという考え方を、典型的に表しているのが、
万葉集の挽歌なのです。
(『NHK日めくり万葉集vol.2』中村勝行編 講談社 2009年)
コハナバチの仲間かな?
花粉まみれになっていました(^。^)
70歳代位の男性から何を撮っているのですかと質問されたので
リハビリで歩いているのでなんでもいいのですとお答えしました。
その方が声をかけてくださったのは、公園に来るたびに私を見かけるそうです。
で、前から質問したかったそうです。
息があがらない程度を目標に歩いているので
写真を撮りながら歩くのが一番目安になるからですと話しました。
その方も写真をなさっていたそうで、
息があがると手振れになることを分っておられました。
その方は、癌や加齢黄斑変性などを患っておられるのですが、
できるだけ外に出るようにしているそうです。
休憩所の温度計を見ると26.5℃程(8時40分位)。
気持ちよく歩けましたp(^-^)q
ニュースを見ているとなんと
北海道大雪山系 黒岳で最も早い「初雪」〟(°0°)
明日は七十二候の「蒙霧升降(ふかききりまとう)」なんですが、
霧よりも先に雪がふるなんてビックリですね!
万葉人の死生観
 人以外の生き物がひそひそささやき合い
何らかの意思を抱く世界を万葉人は周囲に感じていた。
『風土記』の鹿出現や『霊異記』の狐妻や天岩屋神話の草木の言問い、
笹の葉はみ山もさやにさやけども」(133)に見られる、
恐れ敬う「み山」の神秘と草の意思に囲まれて、
身を固める旅人の心理などはそうした世界観の反映である。
(『NHK日めくり万葉集vol.2』中村勝行編 講談社 2009年)
また、人が生きることは「まこと二代(ふたよ)は行かざらし」(1410)と
現世を頼りにすべきで、
来む世には虫に鳥にもわれはなりなむ」(348)と転生の考えももつに至った。
その二つの世界は人の目の届き得ない死の闇を通り抜けてつながることのある世界だが、
並行するその世界の事情は、人には知らされることはない。
万葉では「鬼」を「もの」(547)とする訓がある。
邪悪な意志に呪的な戦いを挑む物部(もののべ)の存在に象徴されるように
(もの)との折合いが人の生に欠かせなかった。
一方で、万葉人は距離ある場所に他界を観相した。
人は死ぬと生の完了を見極める殯(もがり 167)の後、
山へ隠れる(460・466)が、その果ては「遠つ国黄泉」(1804)、
「泉下(せんか)」(897)と考える向きがあった。
(『NHK日めくり万葉集vol.2』中村勝行編 講談社 2009年)
死後の霊魂が木幡の上を通うこの歌では、后が遊離魂の飛翔を目にしている。
たとえばそれは、魂が翼のように通う姿が見えない(145)とする感覚とくらべて絶望的に哀しく鋭敏である。
その魂は親しんだ方のものでありながら、
すでに触れることのできない距離がうまれてしまった悲しみである。
天智天皇の殯宮では額田王が、哀悼している。

 かからむとかねて知りせば大御舟泊てし泊まりに標結はましを (151)

死は、港から入りまた出てゆくと感じたのであろう。
死の世界は、山にも水の彼方にも考えられていた。 (藤原茂樹)
(『NHK日めくり万葉集vol.2』中村勝行編 講談社 2009年)
チョウセンカマキリ(カマキリ科)が
稲の害虫(コバネイナゴ?)を退治してくれましたp(^-^)q
草むらのハンター カマキリ」(動画)
別のカマキリはアオモンイトトンボのカップルを狙っているようです。
台風が次から次と発生するのは海水温が高いからでしょうね…
台風と海水温の関係」(気象研究所 気象庁)

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