公園に着くと曇り空で助かったと思ったのだけど
風がなく蒸し暑さがたまりませんでした(ーー;)
ニュースを見ていると猛暑が気になりますが
「国内最古 300年前のサクラの押し花など見つかる」にすごいな(°0°)
押し花にするとこんなにも長い間、保存できるのですね!
河骨の高き莟を上げにけり 富安風生
(『現代日本文學体系95 現代句集』筑摩書房 昭和48年)
ショウリョウバッタ
ショウリョウというのは、お盆に死者の霊を送る精霊流しからきたことば。
このころによく見かけるのと、姿が精霊船の形に似ているという2つの意味がある。
オスは、飛ぶときに前と後ろの翅を打ちつけてキチキチという音を出すため、キチキチバッタとも呼ばれる。
後脚をそろえて持つと、脚でジャンプして逃げようと何度も体を前後に動かす。
その姿が米をつく動作に似ているため、コメツキバッタとも呼ばれる。
謝るときにくり返し頭を下げる人を「コメツキバッタのように」とたとえることもある。
(『昆虫の不思議』三枝博幸監修・伊沢尚著 ナツメ社 2006年)
ヤブキリがいました。
成虫になっているので、稲を食べに来たのではなくて虫を食べてくれるp(^-^)q
クマゼミ(熊蟬) セミ科
[語源]
クマのように大きくて黒いというので、つけられた名と考えられる。
日本のセミのなかで最大種である(ただし、沖縄産の亜種と与那国産の亜種は、本土亜種よりすこし大きい)。
[習性]センダンやアオギリなどの木を好み、同じ木に多数がとまっていることがある。
亜種のヨナクニクマゼミは、雄をとらえて鳴かせると、近くに仲間が飛んでくるという。
木にとまって鳴いているときは、シャシャシャシャ……とせわしく鳴いていて、
からだの割にはうるさくないように思えるが、とらえると、
ギャーギャーとものすごい声をだし、ちゃっかいをだしたネコもびっくりして逃がしてしまうほどだ。
[体長]60~65mm
[分布]本州(東京以西)、四国、九州、沖縄
[出現期]7~8月
(『名前といわれ昆虫図鑑』栗林慧・写真 大谷剛・文 偕成社 1987年)
アブラゼミ(油蟬) セミ科
鳴き声がジリジリジリ……で、油で揚げたり、いためたりするときの音に似ているからという説と、
羽が透きとおらず、油紙のようだからという説がある。
両方によるのかもしれない。
羽が透きとおっていないのは、このセミとニイニイゼミだけである。
体長56~60mm。
日本全土で、7月から9月まで見られる。
11月ごろ鳴くことも、まれにある。
(『名前といわれ昆虫図鑑』栗林慧・写真 大谷剛・文 偕成社 1987年)
空蟬を妹が手にせり欲しと思ふ 山口誓子
(『忘れ得ぬ俳句』野見山朱鳥 朝日選書 1987年)
死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ
上田三四二(みよじ)『湧井(わくい)』(昭50、角川書店)
上田三四二は、医師である、歌人であり、評論家であり、
そして小説家として、精力的な活動をしてきた作家であったが、
昭和41年(1966)結腸がんの宣告を受け、手術をすることになった。
手術は成功したが、この体験は上田にとって生涯の転機となった。
上田自身が京都大学医学部を出た内科の医師であり、専門は結核であったが、
がんの病理についても当然のことながらよく知っている。
医師という職業は(私のように医学に関係した基礎研究に携わっている人間も同様だが)、こういうとき残酷なものである。
自らが置かれている現在の状況と今後の進行が、否応なく自分で分ってしまうからである。
(『現代秀歌』永田和宏 岩波新書 2014年)
掲出歌では、まず「死はそこに抗ひがたく立つゆゑに」と詠われる。
がんの宣告直後の歌である。
昭和41年という時点で考えれば、がんであるという宣告は現在と較べものにならないほどに重い、深刻なものであったに違いない。
医師の上田にして、「死はそこに抗ひがたく立つ」と感じざるを得ない衝撃的なものであったのである。
在原業平に、「つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざりしを」(『古今集』哀傷)という一首があるが、
人は死という絶対的な<無>から、遂には逃れられない存在である。
いつかは死ぬ、しかし、それははるかかなたにあると思っていられるからこそ、今日も重い患うことなく過ごしている。
「きのふけふとは思は」ないという気楽さが、現在の生を平穏ならしめているのである。
その「死」が、もうすぐそこに立っている、いや目の前に立ちはだかっていると感じたのが、がん宣告ののちの上田の歌である。
死が立ちはだかっているからこそ、いまという時点での生が愛しく思われる。
「生きてゐる一日一日」が泉のように清らかで、健気で、かけがえのない大切な時間であると実感されたのである。
(『現代秀歌』永田和宏 岩波新書 2014年)
それは上田だけの衝撃ではなかった。
「たすからぬ病と知りしひと夜経てわれより妻の十年(ととせ)老いたり」(『湧井』)とも詠われている。
夫のがんの宣告は、なにより妻に大きな衝撃を与えた。
帰って妻にそれを告げたのであろう。
たった一晩で、妻は夫より10年も老けこんでしまったと、その夫は嘆くのである。
(『現代秀歌』永田和宏 岩波新書 2014年)
20年ほど前に父がK医大附属T病院で肺ガンの宣告を受けたことがあります。
肺炎になったあと、CTなどの検査を受け
もう大丈夫だろうと最後に痰の検査を受けたら、陽性反応が出たのです。
そのとき両親に付添っていて、父が診察室から呼ぶので母を待合室残して
私が父と一緒に検査結果を聞きました。
若い医師がいきなり痰の検査でガン反応が陽性だったと告げました。
もう少し、言い方があるだろうと内心ムッときました。
母は、本当に可愛そうになるくらいにオロオロしていました。
後日、内視鏡検査などを受けたのですが、癌細胞は見つかりませんでした。
それ以来、父はT病院に不信感を持っています。
kazeさん
返信削除こんばんは
夜10時過ぎてもまだ外は30度切っていません
本当に異常な暑さです
お散歩熱中症に気をつけてくださいね
ガンの本人告知の是非について
議論されている途中でいつのまにか
治療の合意のために
あっさり告知されるのが普通になってしまいました
腕のたつ医師もありがたいですが
心のある医師に診て欲しいです
becoさんこんばんは(*^O^*)/
削除最近、熱帯夜が騒がれないほどの酷暑ですよね(ーー;)
リハビリ散歩は、普段よりも短めにしています。
歩くので精一杯で写真を撮るのも枚数が少なくなっています(^^ゞ
ガンの告知については、20年前はまだ試行錯誤の段階だったと思います。
また、告知しなかったために逆に訴えられるというケースもあり
本人の意思など考慮せずに告知されるということもあったようです。
父が検査を受けた病院は、私も手術(皮膚癌の疑い)を受けましたし
母も白内障の手術を受けました。
私と母は、この病院でよかったと思いましたが
父を担当した医師は…
こんにちは~=^_^=
返信削除本当に暑くてたまりませんね
この暑さのお散歩は避けた方がいいのでは?
癌が見つかったと言っていて最終的には無しと言われたら
お父様の病院に対して不信感を出されるのは当然の事ですよね
病院側の伝え方も問題ですね
蘭☆☆さんこんばんは(*^O^*)/
削除この公園の場合、木影が多いので助かっています。
私以上に高齢の方も頑張って歩いておられ
昨日は、母の年齢くらいの方と立ち話をしました。
大きな病院になるといろいろな医師がおられ
この先生に診てもらってよかったなと感謝する方もおられるし…
出会いがその病院のイメージを大きく左右しますね。
病院での診察の時に普段の体調を記録しているメモを持参します。
気になる病状があるときは、それを先生に見ていただきながらアドバイスをもらっています。
蘭☆☆さんも病院に行くときに事前に聞きたいことなどを
簡単なメモにして行かれると聞き忘れることがないと思います。