こちらは被害もなく台風は通り過ぎたけど…
〝夫婦円満の象徴が…「夫婦岩」のしめ縄 台風の高波で切れる〟
庭の石に本二三冊合歓の花
(『荷風俳句集』加藤郁乎編 岩波文庫 2013年)
事(こと)もなく
生(い)き来(こ)しものを
老(お)いなみに
かかる恋(こひ)にも
我(あれ)はあへるかも
巻四・559 大伴百代(おおとものももよ)
なんということもなく
平凡に生きて来たというのに
老い波せまる今になり
はっと目が覚めるような恋に
わたしは出合ったことよ
(『NHK日めくり万葉集vol.3』中村勝行編 講談社 2009年)
[選者 田辺聖子(たなべ・せいこ)作家。]
円満な家庭を営み、仕事もしてきた。
そういう人生を悔やむでもなく、笑うでもなく過ごしてきたのに、
老いの影がさすようになってから、
世の中がひっくり返るような新しい運命・恋に出合うとは思わなかった。
この作者にとって「我はあへるかも」というのは、半分は自足の気持ちでしょうね。
こんな人生を味わえて、こんなふうに締めくくることができてよかった。
これから先はどうなるかわからないけれど、と。
ご本人はちょっと困って苦しんでらっしゃるかもわからないけれど、
全然関係ない我々が読むと、良かったですねと、祝福してあげたい。
(『NHK日めくり万葉集vol.3』中村勝行編 講談社 2009年)
――作者、大伴百代がいた太宰府には当時、
大伴旅人や山上憶良、大伴坂上郎女など万葉集を代表する歌人たちが集まり、
一種の文学サロンを作っていました。
この歌に詠まれた恋の相手は、才気溢れる大伴坂上郎女だとも言われています。
[田辺]
この歌には、大らかな明るい気分がありますね。
「そんなこと、よくあるって……」
「じつは私もそうだった。あっ、ペロッとしゃべてしまった」などと、
万葉びと同士で笑っていたかもしれないですね。
それくらい明るくて健康的な時代だったと思います。
(『NHK日めくり万葉集vol.3』中村勝行編 講談社 2009年)
――年齢を重ねてからの恋……。
田辺さんも「カモカのおっちゃん」のモデルになった
夫・川野純夫さんと結婚したのは、中年を迎えてからでした。
[田辺]
四十代になって思いもよらず中年のおじさんと巡り会い、
まずビックリしたのが話が絶えないこと。
「そんなことあったの、苦労したねぇ」と、男も女もなく言い合えた。
「戦中から戦後にかけて、女の人には女の人なりの苦労があったでしょう」
「それはあったわよ」と、こういう話もできた。
歳をとってからは、異性の友達、違う境遇の人、違う学歴の人など、
自分とは異なる人生体験を経てきたお友達をたくさん持つと楽しいでしょうね。
この作者もそうなんですよ。
五十代や六十代になって、もう一度思春期のような恋をすることがあるかもしれない。
人生の奥底は深いんだよと、万葉集が教えてくれているみたいね。
(『NHK日めくり万葉集vol.3』中村勝行編 講談社 2009年)
「田辺聖子文学館」
ゆうべの台風どこに居たちょうちょ
(『風天 渥美清のうた』森英介 文春文庫 2010年)
ムクゲが風に吹かれていました。
花びらにしがみついていたのはハラビロカマキリ。
σ(^_^;だったら船酔い(?)するだろうな…
留 別
青嵐いづこに棲むもひもじけれ
昭和21年作。
戦争が終わったからと言って、食糧事情がすぐによくなったわけではない。
ほとんどの国民はひもじさを抱え、生きるのに必死であった。
何でもいいから、腹いっぱいになるまで食べる、
これがすなわち御馳走であり、贅沢なことであった。
「平和なんて胃袋からしか生れない」は、秀野の実感である。
(『石橋秀野の100句を読む』山本安見子著 飯塚書店 2010年)
あおあらし【青嵐】
(「青嵐 せいらん」を訓読した語)青葉の茂るころに吹くやや強い風。
<[季]夏>。
(『広辞苑 第六版』)
「インフラメンテナンス国民会議 近畿フォーラム2018」が
昨日から開催されています。
だれでも無料で入場できるのですが、体力に余裕がない(^_^;
挨拶する方と立ち話をしてました。
今回も大阪はあまり被害がなかったけど
これで台風を甘く見ると大変なことになりますねと
〝「自分は大丈夫」 それ、正常性バイアスです〟
昨日の夕刊の記事
〝東京五輪マラソン号砲「1時間半繰り上げを」コースの暑さ2年分計測、学会で提言へ〟
松本孝朗中京大学教授は
「7時スタートでは、立ってみる観客やボランティアの熱中症発生も危惧される。
5時半に繰り上げれば、8時半までに競技が終わる。
具体的なデータをもとに、繰り上げが有効であることを訴えたい」
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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m